デヴィ夫人の若い頃が美人すぎる!昔の画像をまとめてみた!

セレブの象徴とも言われるデヴィ夫人。その”夫人”という称号は昔若い頃はインドネシアの建国の父スカルノ初代大統領の第3夫人であったことによるものです。そこで、今から随分昔のデヴィ夫人の若い頃の暮らしぶりを画像とともにお見せしたいと思います。

目次

  1. デヴィ夫人の昔の若い頃に迫る前に、デヴィ夫人のプロフィール
  2. 昔は凄かった!若い頃のデヴィ夫人は赤坂の高級クラブのホステスだった。
  3. ”ただの愛人”から”インドネシアの建国の父の第三夫人へ”若い頃のデヴィ夫人が体験した大昔のシンデレラストーリー
  4. 若い頃のデヴィ夫人を襲った悲劇!「母と弟の急死」、そして「夫の失脚と死」
  5. 「昔は良かった...」と若い頃に思いを馳せながら過ごした時代

デヴィ夫人の昔の若い頃に迫る前に、デヴィ夫人のプロフィール

今やバラエティに引っ張りだこなデヴィ夫人ですが、インドネシアのスカルノ初代大統領の夫人という肩書がある一方で、実は日本の本名もある生粋の日本人です。そこで、デヴィ夫人のプロフィールを見てみましょう。

本名は意外な名前!?デヴィ夫人のプロフィール

デヴィ夫人といえば「セレブ」!

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デヴィ夫人を表す言葉といえば、勿論「セレブ」だと思います。今回の記事では「セレブ」になった若い頃の経緯にも語っていきます。

北朝鮮ともつながっている!デヴィ夫人の社交力!

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元夫のスカルノ大統領が北朝鮮と親交が深かった影響か、デヴィ夫人も北朝鮮と昔から親交が深いとされており、北朝鮮の公式行事に来賓として座る画像が出ているようです。

2014年の都知事選では田母神俊雄候補を応援していたデヴィ夫人

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2014年の都知事選では田母神俊雄候補を応援していたデヴィ夫人

昔からの北朝鮮とのつながりからか、北朝鮮寄りと思われがちなデヴィ夫人ですが、この画像から見てとられるように、2014年の都知事選では"保守的"と評される田母神俊雄候補を応援していたようです。

昔は凄かった!若い頃のデヴィ夫人は赤坂の高級クラブのホステスだった。

昔の日本は今ほど裕福ではなかったことも関連していると思いますが、デヴィ夫人は西麻布の生まれであるものの、父親は大工職人であり、借金も抱えていたためか、昔は相当貧しかったようです。そんな若い頃のデヴィ夫人が見つけた仕事が高級クラブのホステスだったようです。

仰天!若い頃のデヴィ夫人は苦学生で映画にも出演していた!?

定時制高校に通いながら、150倍の倍率を経て入社した千代田生命保険や喫茶店などを掛け持ちして働いていた若い頃のデヴィ夫人はこの頃からエクストラとして映画にも出演していたようです。後々大統領夫人になる気品や凛々しさも垣間見えました。

家計のために高校中退!そして赤坂の高級クラブへ

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1956年、若干16歳という年齢で父親を亡くした若い頃のデヴィ夫人は更に困窮した家計を支える為に、高校を中退して、16歳という年齢で赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」のホステスになります。

”ただの愛人”から”インドネシアの建国の父の第三夫人へ”若い頃のデヴィ夫人が体験した大昔のシンデレラストーリー

若い頃に若干16歳という年齢で父親の死・高校中退という波乱を経験し、赤坂の高級クラブのホステスとなったデヴィ夫人。そんな若い頃のデヴィ夫人とインドネシアをつなげたキッカケは何だったんでしょうか?

びっくり!急遽インドネシアに行くこととなったデヴィ夫人

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ホステスとして務めていた若い頃のデヴィ夫人は1959年に若干19歳という年齢で「インドネシアへの開発援助を担当する東日貿易の秘書」としてインドネシアのスカルノ大統領の下へ行くこととなりました。

若い頃のデヴィ夫人をインドネシアへ送り込んだ児玉誉士夫

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若い頃のデヴィ夫人がインドネシアのスカルノ大統領の下へに行くこととなった「インドネシアへの開発援助」という案件は「フィクサー」と呼ばれた大物政治活動家児玉誉士夫(こだまよしお)が関わっていたとされています。

初めはスカルノ大統領の愛人からスタートした若い頃のデヴィ夫人

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ひょんなことからインドネシアとの縁が出来た若い頃のデヴィ夫人はスカルノ大統領の愛人となりました。インドネシアはイスラム教国で1人の男性が4人の妻を持てるのですが、この時2人の夫人がスカルノ大統領にいたそうです。

ついに結婚へ!22歳という年齢でインドネシア大統領第3夫人となったデヴィ夫人

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愛人関係であった若い頃のデヴィ夫人とスカルノ大統領ですが、デヴィ夫人が22歳となった1962年に正式に結婚しました。

若い頃のデヴィ夫人は周恩来中国首相とも会っていた!

出典: http://yaplog.jp/cv/warabidani/img/285/dewi_p.jpg

結婚後は世界各国を公務のために訪問していたようですが、スカルノ大統領が共産主義国との融和を図っていたためか、中国の周恩来首相とも3人で画像に写っております。しかしこの画像に象徴される共産主義国との蜜月関係が若い頃のデヴィ夫人にとって一番の悲劇を生むこととなるのです。

若い頃のデヴィ夫人を襲った悲劇!「母と弟の急死」、そして「夫の失脚と死」

マスコミの取材で心労たたり... 母の急死

出典: http://ks.c.yimg.jp/res/chie-que-12119/12/119/461/107/i320

海外旅行が自由化されていない上に、航空技術も発達していなかった1962年に日本から遠く離れたインドネシアの大統領夫人として嫁ぐこととなった若い頃のデヴィ夫人はマスコミの注目の的となったようです。その注目は家族に注ぐようになり、母にもマスコミの取材が舞い込むようになりました。しかし、応対への心労が祟り、デヴィ夫人の母は急死したそうです。

詐欺に遭い、母の死も見とれなかった結果、死を選んだ弟

家族を失ったデヴィ夫人に追い打ちを掛けた「9月30日事件」

出典: http://migino38.up.n.seesaa.net/migino38/image/9.30.jpg?d=a1

デヴィ夫人が母親と弟を亡くしてから3年後の1965年、共産主義に対して融和的な態度を取ってきたデヴィ夫人の夫であるスカルノ大統領への反発の声が頂点に達した結果、インドネシアで「9月30日事件」というクーデターが発生しました。このクーデターでスカルノ大統領は失脚して、反共・親米を標榜するスハルト大統領が実権を握ることとなりました。若い頃に家族を失っただけでなく、政変で自らの生活が激変するというすさまじい経験をデヴィ夫人は若い頃に一気に経験することとなりました。

混乱の最中、一人娘を出産したデヴィ夫人

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25歳という若さで夫の失脚・政変という更なる波乱に巻き込まれた若い頃のデヴィ夫人ですが、かろうじて日本に戻ったデヴィ夫人は1967年3月に一人娘のカリナさんを出産しました。デヴィ夫人の娘だけあって、カリナさんは若い頃から日本のメディアに出演しています。

デヴィ夫人の若い頃の終わり。スカルノ大統領の逝去

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インドネシアの独立・建国や政変による失脚の末、スカルノ大統領は1970年に逝去しました。結果として、第3夫人とはいえ、デヴィ夫人はわずか30歳で大統領の未亡人となりました。こうして、ホステスからインドネシアの大統領夫人となり、失脚による亡命も経験したデヴィ夫人の若い頃はひとまず終止符を打つこととなったようです。

「昔は良かった...」と若い頃に思いを馳せながら過ごした時代

若い頃に高校中退からインドネシアの建国の父に嫁いだデヴィ夫人は、政変による失脚に加え、夫も亡くした後、娘とともにフランスに移住し、パリ社交界で暮らすこととなりました。

夫の死後に受けた若い頃のデヴィ夫人の撮影

出典: https://yagibooksaboutbooks.files.wordpress.com/2013/07/imgp3985.jpg

この画像はデビッド・ハミルトンというカメラマンにより撮影された、1974年のGOROという日本の雑誌の創刊号にて掲載されたデヴィ夫人のグラビアの表紙です。若い頃に夫を亡くしたとは言え、未だ34歳だったデヴィ夫人の美人ぶりは健在で、後の芸能活動につながる美人のオーラがにじみ出ているようです。

こんなに華やか!デヴィ夫人のパリ社交界暮らし!

出典: http://www.earthaidsociety.org/img/dev/devi_10.jpg

若い頃に培った外交能力が役だったためか、大統領の未亡人であったデヴィ夫人はパリ社交界でそれなりの存在感を出していたようです。増々美人になったデヴィ夫人はある時社交界で知り合った伯爵とも婚約していたようです。

踊りまくる!デヴィ夫人は「社交界の華」だった!?

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インドネシアの建国者の未亡人という肩書からか、パリ社交界において若い頃と同等またはそれ以上に注目を受けたデヴィ夫人ですが、このように社交界の方とのダンスにも興じています。

インドネシアとは疎遠になり、日本でタレント活動へ

出典: https://image.middle-edge.jp/medium/caf9b966e9fe469e419ede7725d7a104.jpg

デヴィ夫人は元々第3夫人であり、子どもも娘が1人だけしかいなかった上に、政変後のインドネシアは若い頃と打って変わって、スカルノ大統領の政敵であったスハルトによる強力な政権が親米路線を持っていました。そのためか、デヴィ夫人が日本とインドネシアの間で政治・経済の面の便宜を図ることはほとんどなかったようです。そこで、デヴィ夫人はインドネシアの政財界から離れ、日本の芸能界に関わるようになりました。

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