オードリー・ヘップバーンの名言集!(英語あり)強く美しい名言の数々を紹介

オードリー・ヘップバーンの名言を集めてみた。強く美しい女性オードリー・ヘップバーンができあがるまで。オードリー・ヘップバーンが過ごした戦争下のヨーロッパ。オードリー・ヘップバーンの名言を英語と併せてご紹介。晩年の人道支援活動も美しい。映画が見たくなる名言満載。

オードリー・ヘップバーンの名言集!(英語あり)強く美しい名言の数々を紹介

目次

  1. オードリー・ヘップバーンの名言集をまとめてみた
  2. オードリー・ヘップバーンのプロフィール
  3. オードリー・ヘップバーンの生い立ちと戦争
  4. コンプレックスの塊だったオードリー・ヘップバーンの少女時代
  5. オードリー・ヘップバーン婚約破棄
  6. オードリー・ヘップバーン主演「ティファニーで朝食を」
  7. オードリー・ヘップバーン結婚・離婚・出産
  8. 晩年のオードリー・ヘップバーン
  9. 話題を集めたギャラクシーチョコレートのCM
  10. オードリー・ヘップバーンの名言を集めてみた。

オードリー・ヘップバーンの名言集をまとめてみた

名言は英語のオリジナルも併せてご紹介

永遠のファッションアイコンとしても知られるオードリー・ヘップバーン。晩年は人道支援活動を積極的に行う人物としても知られていました。オードリー・ヘップバーンはまた、人生の長さだけ名言が存在する人物として知られています。強い意志と美意識がうかがえるオードリー・ヘップバーンの名言を集めてみたいと思います。

オードリー・ヘップバーンのプロフィール

オードリー・ヘップバーンのプロフィール

オードリー・ヘップバーン オードリー・キャスリーン・ラストン(Audrey Kathleen Ruston) エッダ・キャスリーン・ファン・ヘームストラ・ヘップバーン=ラストン (Edda Kathleen van Heemstra Hepburn-Ruston) (1929年5月4日-1993年1月20日)(満63歳没) ベルギー・ブリュッセル/イクセル出身 亡くなったのはスイス/ヴォー州 国籍:イギリス 身長:170cm

オードリー・ヘップバーンの生い立ちと戦争

1930年ごろのオードリー・ヘップバーン。オードリー・ヘップバーンはベルギー生まれ。

オードリー・ヘップバーンの名言集#1

父ジョセフはボヘミア出身のイギリス人の銀行家、母エラはオランダの貴族の家の女性です。戦争下のヨーロッパを、イギリス、ベルギー、オランダと移り住んでいます。そのため、オードリー・ヘップバーンは英語に加え、オランダ語、スペイン語、イタリア語、フランス語まで話すことができたのだとか。

I’m half-Irish, half-Dutch, and I was born in Belgium. If I was a dog, I’d be in a hell of a mess! 私はアイルランド人とオランダ人のハーフでベルギー生まれなの。もし犬だったら、滅茶苦茶になってるところよ。

オードリー・ヘップバーンの名言集#2

母は二度目の結婚。異父兄が2人います。5歳のとき両親が別居。オードリー・ヘップバーンはロンドンの父親と生活をしていました。このころ、オランダ名エッダからオードリーに改名。フランス語しか話せなかったというオードリー・ヘップバーンは英語に苦労したそう。夏の休暇はオランダの祖父の城で過ごすという優雅な子供時代を過ごしています。

You go back. You search for what made you happy when you were smaller. We are all grown up children, really… So one should go back and search for what was loved and found to be real. - Audrey Hepburn (オードリー・ヘップバーン) - 過去へさかのぼりましょう。小さかったときに何に幸せを感じたのかをさがすの。私たちはみんな成長した子供。本当に…。だから人は回想し、愛したものや気付いた現実を探し求めるべきなのです。

6歳にはロンドン郊外の私立寄宿学校に入学。前後してヒトラー旋風が起こります。オードリー・ヘップバーンの父はヒトラー派だったとも伝えられます。かねて不仲だった両親の仲は修復不可能に。9歳で両親が離婚します。

オードリー・ヘップバーンが10歳になると第2次世界大戦が勃発します。出ていった父と慌ただしく再会し親権を勝ち取った母はオードリー・ヘップバーンを連れてオランダのアルンヘムへと帰国します。オランダが中立国だったためと言われています。オランダの祖父の城で生活を始め地元の小学校に入学したオードリー・ヘップバーン、今度はオランダ語がわからずに苦労したそうです。

オードリー・ヘップバーンの名言集#3

戦時中のつらい経験はのちにオードリー・ヘップバーンの人道活動につながります。食糧の確保もままならないときは、チューリップの球根から粉を挽き、ケーキやビスケットを焼いて食べたこともあるといいます。

“I believe that happy girls are the prettiest girls.” 最も可愛い女の子は幸せな女の子だって信じてるわ。

11歳のときドイツ軍がアルンヘムへ侵攻し、5年間の占領が始まります。翌年、オードリー・ヘップバーンはバレエを学ぶ目的でアルンヘム音楽学校に入学。食料不足が深刻になります。

13歳の時には祖父一家の領地と財産が没収されます。レジスタンスの処刑が始まる中、兄のアレクサンデルがレジスタンス組織に参加。もう一人の兄イアンはベルリンで強制労働を始めます。14歳になるとレジスタンスを支援する母エラの言いつけで連絡係をしたり、バレエで資金集めをすることに。しかしオードリー・ヘップバーンも栄養失調でバレエができなくなります。

オードリー・ヘップバーンの名言集#4

15歳になるとアルンヘムが戦場になり、ドイツ軍司令部へ連行され逃亡するという経験をします。16歳のときは地下室で生活をしていました。5月4日の誕生日にオランダ解放宣言。イギリス兵からもらったチョコレートの味に涙が出たとも伝えられていました。その後、国連救済復興機関(ユニセフの前身)からの救援物資が届いたことは、のちの人道支援活動でも繰り返し語られていました。その後一家はアムステルダムに転居しています。

“Let’s face it, a nice creamy chocolate cake does a lot for a lot of people; it does for me.” 現実を見ましょうよ。クリーミーな美味しいチョコレートケーキはたくさんの人にたくさんのものをもたらすわ。私にはそうよ。

5歳からバレエを習い始めたオードリー・ヘップバーン。プロのバレリーナになるのが夢でした。1940年代の後半になって名門ランベール・バレスクール入学後はモデルなどのアルバイトをしながらレッスンに打ち込んでいたといいます。

オードリー・ヘップバーンの名言集#5

オードリー・ヘップバーンはバレリーナとしては身長が低く、身体が弱かったということで、トップバレリーナへの夢は絶たれてしまいます。女優になってからは、バレエのレッスンで鍛えたダンスの才能も発揮されることになります。

The most important thing is to enjoy your life – to be happy – it’s all that matters. 最も大切なことは自分の人生を楽しむこと、幸せになること。それだけよ。

コンプレックスの塊だったオードリー・ヘップバーンの少女時代

オードリー・ヘップバーンの名言集#6

美貌と才能に恵まれ、品のあるファッションセンスが永遠のファッションアイコンとして称えられる美しいオードリー・ヘップバーンですが、コンプレックスの塊だったということも伝えられています。角ばった肩、大きな鼻、やせっぽちな体など、オードリー・ヘップバーンがコンプレックスに感じていたとされる欠点は、そのままオードリー・ヘップバーンの美しい魅力として語られることが多い部分でもあります。

“I never thought I’d land in pictures with a face like mine.” 私のような顔が写真に載るなんて思いもしなかったわ。

オードリー・ヘップバーンの名言集#7

のちにオードリー・ヘップバーンは、コンプレックスに関してこんな名言を残しています。

he greatest victory has been to be able to live with myself, to accept my shortcomings and those of others. - Audrey Hepburn (オードリー・ヘップバーン) - わたしにとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。

オードリー・ヘップバーンの名言集#8

オードリー・ヘップバーンは強さと美しさを兼ね備えた女性という側面がある一方、運命や運について語る名言も多い人物。ラッキーナンバーは55で、楽屋などの番号が55だと落ち着いたといいます。『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞にノミネートされると、撮影中に着用した「ラッキードレス」を着てアカデミー賞に出席。みごと受賞したというエピソードもあります。運命は信じるけれど、チャンスをつかむのは自分次第。そんなオードリー・ヘップバーンの信条も興味深いですよね。

I’ve been lucky. Opportunities don’t often come along. So, when they do, you have to grab them. 私はラッキーだったの。チャンスは一度にそう来るものじゃないわ。だから現れたときはぎゅっと掴まないと。

オードリー・ヘップバーンの名言集#9

美しい少女らしい雰囲気も魅力的なオードリー・ヘップバーン。1959年の映画『緑の館』で共演した小鹿の面倒を見ていたオードリー・ヘップバーン。哺乳ビンでミルクをあげるなど世話をしていたため、撮影が終わっても離れがたくなり、ペットとして引き取って飼っていたのだそう。リアル・バンビがペットだった?!

“If I’m honest I have to tell you I still read fairy tales and I like them best of all.” 正直なところ私はまだおとぎ話を読むし、大好きなの。

オードリー・ヘップバーン婚約破棄

1952年、ロンドンで舞台に立っていたオードリー・ヘップバーンはイギリス財閥の御曹ジェイムズ・ハンソン男爵と婚約。オードリー・ヘップバーンの一目ぼれだったともいわれています。

この結婚にはオードリー・ヘップバーンの母が反対していたとも伝えられています。ブロードウェイ・ミュージカル『ジジ』の主役で注目を集めていたオードリー・ヘップバーン。直後に映画『ローマの休日』の主演が決まりニューヨークへ。オードリー・ヘップバーンは婚約を解消しています。二人の生活基盤があまりにも違い、すれ違いになることに気付いたためとされています。

オードリー・ヘップバーンの名言集#10

婚約破棄に関して、オードリー・ヘップバーンはこんな名言を残しています。

If I get married, I want to be very married. もし結婚するなら、ちゃんと結婚したいの。

婚約破棄で結婚相手になるはずだった相手と別れたオードリー・ヘップバーン。その後2度の結婚をしますが、晩年は独身になりました。美しいウエディングドレスもできあがっていた中での婚約破棄。このときのドレスはのちにオークションにかけられ、オードリー・ヘプバーン子供基金(Audrey Hepburn Children's Fund)に寄付されたということです。

オードリー・ヘップバーンの名言集#11

オードリー・ヘップバーン主演「ティファニーで朝食を」

オードリー・ヘップバーンの名言集#12

オードリー・ヘップバーンの代表作とされ、永遠のファッションアイコンとして有名になった映画「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリー役。原作者のトルーマン・カポーティは当初、ホリー役にマリリン・モンローを希望。確かに自由気ままな役柄はマリリン・モンローを想定されて書かれたものでした。オードリー・ヘップバーンを主役に抜擢することで、原作とは全く違ったアプローチが行われています。

ヘプバーンはこの役を「人生最大の派手派手しい役」と呼び「実際の私は内気な性格なのです。このような外向的な女性を演じることはかつてない苦痛でした」と語っている

オードリー・ヘップバーンの名言集#13

冒頭のジバンシーの黒いドレスは、史上最も洗練されたドレスとして多くの女性のあこがれに。パールのバックネックレスやアップにした髪型、何もかもが完璧で、現在でも数えきれないほどのファッション写真のお手本として繰り返し焼き直されているファッションです。オードリー・ヘップバーンスタイルといえば「ティファニーで朝食を」のオープニング画像を思い浮かべる人も少なくないでしょう。

“Why change? Everyone has his own style. When you have found it, you should stick to it.” なんで変えなきゃいけないの? みんなそれぞれのスタイルがあって、それを見つけたらずっと持ち続けるべきよ。

オードリー・ヘップバーンの名言集#14

自由奔放、謎が多いホリー・ゴライトリー。気分屋でかごの中に閉じ込められるのは拒否。「赤い気分」に襲われるとティファニーへ出かけ、お天気の話をしにサリー・トマトというマフィアの囚人に毎週刑務所まで会いに行く、猫に名前はつけないなど、エピソードのひとつひとつが魅力的な映画です。

don’t want to be alone, I want to be left alone. - Audrey Hepburn (オードリー・ヘップバーン) - 一人ぼっちになるのはいやだけど、そっとしておいて欲しいの。

ここにいるけれどここは本当の場所じゃない、いつでもどこかへ消えていってしまいそうなホリー・ゴライトリーのセリフ。飼っている猫に名前を付けないし、家具も買わない、魅力的だけれどつかみどころのない女性を演じています。

エンディングシーンもやっぱり印象的だった「ティファニーで朝食を」エンディングシーンの動画もご紹介します。

オードリー・ヘップバーン結婚・離婚・出産

オードリー・ヘップバーンの名言集#15

1954年、オードリー・ヘップバーンはメル・ファーラーとスイスで挙式しています。映画「戦争と平和」の共演も決まり、撮影準備中の結婚でした。

When you have nobody you can make a cup of tea for, when nobody needs you, that’s when I think life is over. お茶をいれてあげる人もいなくて、誰もあなたのことを必要としなくなったとき、人生は終わりだと思う。

オードリー・ヘップバーンの名言集#16

二度の流産を経て1960年7月に長男ショーン・ヘプバーン・ファーラーが誕生しています。1968年離婚。離婚後はスイスに移り、息子との生活を楽しんでいました。

“I have to be alone very often. I’d be quite happy if I spent from Saturday night until Monday morning alone in my apartment. That’s how I refuel.” 私は頻繁に独りにならないとだめなの。土曜の夜から月曜の朝までアパートで独りで過ごせたらとても幸せよ。そうやって自分に燃料を補給してるの。

流産を繰り返しながらも子供を育て、母としての人生を楽しんでいたオードリー・ヘップバーン。その後、40歳でイタリア人精神科医アンドレア・マリオ・ドッティと再婚。1970年2月にルカ・ドッティが生まれます。1982年に離婚に至っています。

オードリー・ヘップバーンの名言集#17

オードリー・ヘップバーンの名言集#18

“Nothing is impossible, the word itself says ‘I’m possible’!” 不可能(インポッシブル)なものなんてない。その言葉が自体が言ってるもの、「’I’m possible’」私は可能だって。

オードリー・ヘップバーンの名言集#19

若いころのオードリー・ヘップバーンの名言には強く美しい言葉が多くあります。助けの手は自分自身の手であるというこちらの名言。助けがほしいと思ったときこそ、自分の手を動かすときという強い名言です。この「手」に関する名言、晩年には自分を助ける手は片方でいいから、もう片方は人を助けるために使うものだと変化します。

“Remember, if you ever need a helping hand, it’s at the end of your arm.” 覚えておいて、もし助けの手が必要になったら、それは自分の腕の先にあるから。

オードリー・ヘップバーンの名言集#20

オードリー・ヘップバーンは年齢があがるにしたがってスクリーンでのスター女優としての仕事を減らし、チャリティー活動に熱心に取り組むようになっていきます。

Success is like reaching an important birthday and finding you’re exactly the same. - Audrey Hepburn (オードリー・ヘップバーン) - 成功は誕生日みたいなもの。待ちに待った誕生日がきても、自分はなにも変わらないでしょ。

オードリー・ヘップバーンの名言集#21

1989年にユニセフ親善大使に任命されたオードリー・ヘップバーン。亡くなる直前まで精力的に活動を続けていました。晩年のオードリー・ヘップバーンは熱心な人道活動家として知られています。

People, even more than things, have to be restored, renewed, revived, reclaimed, and redeemed; never throw out anyone. - Audrey Hepburn (オードリー・ヘップバーン) - 人は、物以上に、回復して、新しくなり、生き返り、再生し、報われることが必要なの。決して、誰も見捨ててはいけません。

オードリー・ヘップバーンの名言集#22

“I love people who make me laugh. I honestly think it’s the thing I like most, to laugh. It cures a multitude of ills. It’s probably the most important thing in a person.” 私のことを笑わせてくれる人が大好きなの。本当に笑うってことが私にとっては一番好きなこと。笑いはたくさんの病を治すわ。人にとって一番大切なことじゃないかしら。

晩年のオードリー・ヘップバーン

1992年9月、ユニセフの活動でソマリアに滞在し、スイスの自宅へ戻ったオードリー・ヘプバーンは腹痛に悩まされるように。精密検査を受けるためにアメリカへわたります。腹膜偽粘液腫と呼ばれるがんの一種にかかっていることがわかります。

オードリー・ヘップバーンの名言集#23

As you grow older, you will discover that you have two hands, one for helping yourself, the other for helping others. 歳を取ると、自分には二つの手があるってことが分かるはず。一つは自分を助けるため、もう一つは他人を助けるための。

オードリー・ヘップバーンの名言集#24

オードリー・ヘップバーンに残された時間が少ないことがわかり、家族や友人は最後のクリスマスを自宅で過ごさせてあげようと、プライベートジェットを手配。花がいっぱい積まれたプライベート・ジェットでスイスへ帰国したオードリー・ヘップバーンは1993年1月20日自宅で息を引き取ります。63歳でした。

“I was born with an enormous need for affection, and a terrible need to give it.” 私はとてつもない愛情への要求とそれを与えることの強い必要性を持って生まれたの。

話題を集めたギャラクシーチョコレートのCM

最新のCG技術を駆使して現代に蘇ったオードリー・ヘップバーンのCM動画。美しいオードリー・ヘップバーンの姿が楽しめます。オードリー・ヘプバーンをフルCGで完全再現し、イタリアロケを敢行したことも話題に。

オードリー・ヘップバーンの名言を集めてみた。

変わらないオードリー・ヘップバーンの美しさが楽しめる主演映画などをもう一度楽しんでみたい。オードリー・ヘップバーンの強くて美しい名言を集めてみました。また気になる名言があったら、どんどんまとめていきたいと思います。

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