マイケル・J・フォックスの現在!パーキンソン病と闘う今の病状は?

マイケル・J・フォックスとパーキンソン病の闘い。財団設立し多額の資金を集めてパーキンソン病の治療研究に尽力している。マイケル・J・フォックスの人気は闘病生活を含めた裏表のない人間性によるもの?マイケル・J・フォックスのこれまでのキャリアや闘病の軌跡を振り返る。

マイケル・J・フォックスの現在!パーキンソン病と闘う今の病状は?

目次

  1. 今マイケル・J・フォックスはどうしてる?現在が気になる
  2. マイケル・J・フォックスの現在まで
  3. マイケル・J・フォックスの結婚と家族
  4. バック・トゥ・ザ・フューチャーの成功
  5. 現在によみがえったバック・トゥ・ザ・フューチャー
  6. やっぱり気になるのはマイケル・J・フォックスの今の病状
  7. マイケル・J・フォックスとパーキンソン病-発病から公表まで
  8. マイケル・J・フォックスとパーキンソン病-闘病生活と病状
  9. マイケル・J・フォックスとモハメド・アリのパーキンソン病との闘い
  10. マイケル・J・フォックスと民主党TVCMでの病状
  11. 今・現在のマイケル・J・フォックスの近況
  12. マイケル・J・フォックスとパーキンソン病リサーチ財団
  13. ナイキ・マグと「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」
  14. マイケル・J・フォックスとギター
  15. 今現在のマイケル・J・フォックスのようすをまとめてみた

今マイケル・J・フォックスはどうしてる?現在が気になる

マイケル・J・フォックスといえば80年代を代表する俳優。ティーンアイドルとして一世を風靡しました。テレビのシットコムではコメディアンぶりを発揮する存在でもありました。30歳という若さで発病したパーキンソン病を公表し、現在まで闘病を続けている人物としても知られています。パーキンソン病との闘いは現在も続行中。俳優業引退宣言をするも、闘病しながらカムバック。時折元気な姿で公の場に出てくると、同じパーキンソン病で苦しむ患者さんたちに希望の光を与えています。

現在のパーキンソン病の病状が気になるマイケル・J・フォックスのプロフィール

ニューヨークマンハッタン在住の生粋のニューヨーカーというイメージのあるマイケル・J・フォックスですが、出身はカナダです。マイケル・J・フォックスのこれまでをまとめていきましょう。

マイケル・J・フォックス
Michael Andrew Fox, OC
1961年6月9日(55歳)
カナダ・アルバータ州・エドモントン生まれ
身長163cm。
芸名のJは俳優デビュー時に同姓同名俳優がいたためにマイケル・J・ポラードにちなんでつけたもの。
妻は女優で料理研究家のトレイシー・ポラン
1男3女がいる
15歳から芸能活動をスタート。
1983年海外テレビドラマ「ファミリー・タイズ」で人気を集める。
1985年映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公マーティ・マクフライを演じてティーンアイドルになる。
1990年ごろから体調の変化が始まる。
1998年パーキンソン病であることを公表し大きな話題を集める。

マイケル・J・フォックスの現在まで

マイケル・J・フォックスの父親は警察官で陸軍軍曹。母は女優で会社の給料係として働いていたといいます。父親の仕事の関係で引っ越しが多く、カナダ国内を複数回転居しています。1971年父が引退すると最終的にはバンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)のバーナビー市に落ち着きます。出身校は地元の公立バーナビーセントラル高校です。

15歳の時にカナダのテレビシリーズ「Leo and Me」に出演。18歳になるとロサンゼルスに引っ越し、俳優の道へと進みます。

のちに話題になったデビュー作とパーキンソン病の奇妙なつながり

デビュー作になったカナダのテレビシリーズ「Leo and Me」からはなぜか4人のキャストとクルーが若くしてパーキンソン病を発病しています。この発症率の高さは話題になり、環境面などに発症の因果関係はなかったのか調査が行われたなどとする報道もありました。

マイケル・J・フォックスとカナダ

マイケル・J・フォックスとカナダとの関係は深く、結婚後は一時バンクーバーに引っ越したことも。マイケル・J・フォックスはカナダ勲章を授与されていますが、これは民間人が受けることができる最高位の勲章にあたります。パーキンソン病との闘病を通し設立した「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」での功績は素晴らしく、現在まで休むことなく続けているチャリティ活動で出身国カナダでも尊敬を集める存在です。

マイケル・J・フォックスの結婚と家族

マイケル・J・フォックスは1985年からシットコムの「ファミリー・タイズ」の相手役で、1988年映画『再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ』でも共演したトレイシー・ポランと結婚しています。

マイケル・J・フォックスとトレイシー・ポランの現在

2016年3月ごろのマイケル・J・フォックスとトレイシー・ポランの現在の画像が拡散されています。ホワイトハウスにディナーに招待されたようすですね。

マイケル・J・フォックスの妻トレイシー・ポラン

トレイシー・ポランはニューヨーク州ロングアイランド出身。母は雑誌編集者でコラムニスト。父はファイナンシャル・コンサルタントでライターという家庭の出身です。リー・ストラスバーグ・インスティテュート等で演劇を学んでいます。二人の間には4人の子供がいます。

マイケル・J・フォックスと長男のサム

長男のサムとマイケル・J・フォックス。身長差が大きいのが興味深いところです。

海外では「フーディ」として知られるマイケル・J・フォックスの妻

トレイシー・ポランはマイケル・J・フォックスの闘病生活を支える一方、2014年に母と二人の姉妹との共著として発刊した「The Pollan Family Table」というレシピ本も話題になっています。ポラン家の食卓の意味を持つ同書は、兄で「雑食動物のジレンマ」「フードルール」といった食に関するベストセラーで知られるマイケル・ポランが序文を寄せています。

海外の雑誌などではおなじみのおいしそうなレシピ画像はSNSなどでもさかんに拡散中。マイケル・J・フォックスのファミリーのクリスマスのレシピは話題を呼んでいました。

バック・トゥ・ザ・フューチャーの成功

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はロバート・ゼメキス監督、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグを従えアカデミー賞音響効果賞を受賞しています。

1985年映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が大ヒット。マイケル・J・フォックスの人気は不動のものになります。

1885年から2015年まで、デロリアンでタイムトラベルするマイケル・J・フォックスが演じたマーティのファッションからセリフまで、すべてが80年代のアイコンとして話題に。

ヒット作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は合計3作製作され、トリロジーとしても代表的な作品になりました。公開当初は海外で「フューチャー現象」と名付けられる一大ブームに。

好評を博した「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はシリーズ化され「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」の続編2作が製作されることになります。「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」は同時に制作を行い、それぞれの公開は6か月の期間をおいておこなれています。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」は本来1本の映画として製作されていたもの。しかし映画の尺が長すぎるということで2作に分けることに。そのため「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」の終わり方に納得がいかないとするファンが公開当初は多かったというエピソードも。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」のあとにも続編があるだろうと思って長く待っていたファンにとって、マイケル・J・フォックスのパーキンソン病の発症はつらいニュースに。しかしマイケル・J・フォックスがタイムトラベルで時空を移動した2015年になると、再びバック・トゥ・ザ・フューチャーの続編を望む声が聞かれるようになっていました。

現在によみがえったバック・トゥ・ザ・フューチャー

バック・トゥ・ザ・フューチャーとトヨタのカップリング。トヨタが満を持してアメリカで発表したミライ。CMは往年の名コンビ、マイケル・J・フォックス演じるマーティとクリストファー・ロイド演じるドックの競演でした。ガルウィング仕様のミライを使用したCMにアメリカ人をはじめ海外の往年のファンがなつかしさにほっこりしたというエピソードです。海外CMリリースと時間を合わせて海外のテレビ番組に出演したマイケル・J・フォックス。久々にカメラの前に姿を現しました。パーキンソン病の病状が心配されるマイケル・J・フォックスだけに、今もけっこう元気そうでよかったという声も集まっていました。

2015年、結局今現在のバック・トゥ・ザ・フューチャーの続編が制作されることはなかったわけですが、その代わり、日本が誇るトヨタのCMで、あの名作バック・トゥ・ザ・フューチャーの今現在を舞台にした続編が語られることに。海外ファンも国内ファンもこの続編には歓喜の声があがりました。

トヨタは、マクフライを演じるマイケル・J・フォックスと、風変わりな科学者のエメット・ブラウン博士(ドク)役のクリストファー・ロイドを再会させた。5分程度のプロモーションビデオは、1989年に公開された映画続編の一場面から始まる。デロリアンでタイムトラベルをするために、道端のゴミ箱から空き缶や紙くずを取り出し燃料タンクに投げ入れるシーンだ。

日本のファンよりずっとアメリカ人のファンや海外のファンの間で話題になった感もあった2015年バージョンのバック・トゥ・ザ・フューチャー。今現在のマイケル・J・フォックスのようすや、ドックことクリストファー・ロイドのようすが楽しめる作品に。

2015年10月21日に北米でトヨタ「MIRAI」が発売されました。 米国トヨタが同車の発売日にこの日を選んだのは、1989年に公開された映画「BTTF」(バック・トゥ・ザ・フューチャー)PART2で主人公のマーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)が「未来」にタイムスリップした日にちなんでいます。

マイケル・J・フォックスのSNSで見るバック・トゥ・ザ・フューチャー続編風CM

あのころのマイケル・J・フォックスと今現在のマイケル・J・フォックス。CMの会話になつかしさを覚えるファンは多そうです。

トヨタのミライのCMのワンシーン。ダイナーでマーティとドックがあのころの未来を語り合います。

実現したもの、実現しそうなもの、これからの発明や普及が待たれるもの、変わってしまったもの、変わらないもの、ダイナーに座って語り合うマーティとドックの掛け合いをお楽しみください。

過去の作品の中で予想されていた数々の発明品が、2015年にどれだけ実現したかを2人が語り合っている。3D映像や指紋認証技術、自動で靴紐が締まるスニーカーなどは実現したが、ドクによれば、犬の散歩ロボットは「まだそこまでは行っていない」という。「未だにファックスが使われているだなんて信じられる?」と問いかけるマーティー。ドクが「家のファックスはまだ現役だ」と答えると、それならファックスして欲しいとマーティーにからかわれてしまう。

海外CMトヨタ「ミライ」バック・トゥ・ザ・フューチャー

やっぱり気になるのはマイケル・J・フォックスの今の病状

マイケル・J・フォックスのパーキンソン病は完治する治療法が確立されていない難病。しかし決して下を向くことなく著作を出版し、精力的に自身の名前を冠した「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」での活動を行い、驚異的な寄付金を集めて製薬会社に病気の原因の追究や治療薬の開発をサポートしています。俳優をほぼ引退したあとは、こうした功績が認められているマイケル・J・フォックス。

時折、病状が悪化しているのではないかという憶測記事も出るのですが、その都度テレビ出演などをこなし、病気に負けない姿をアピールしています。

2015年トヨタミライのCM出演やTV出演もやはり、こうした闘病中の患者さんたちへの激励のメッセージとなったことは事実のよう。

20年を超える闘病生活を送るマイケル・J・フォックス。パーキンソン病を診断されたときは、仕事ができるのはあと10年などと言われた経験もあるといいます。

「僕は25年前にこの病気を診断されて、あと10年くらいしか仕事ができないと言われたんだ。いま頃とっくに障害を抱えているはずだったんだよ。そんな状態には程遠いよ。まだ買い物に行ったりマーケティングをしたりできるからね」

久しぶりにTV出演した今のマイケル・J・フォックスのようす

マーティのシャツとジーンズ、そして赤いラインのナイキというファッションでジミー・キンメルライブに登場したマイケル・J・フォックス。暖かい拍手で迎えられていました。冒頭にはファックスを送って~というジョークも取り入れ、会場にはヒューイ・ルイスも参加。終始バック・トゥ・ザ・フューチャーへのオマージュで会場を沸かせます。

海外テレビ番組出演時の今のマイケル・J・フォックスの動画

バック・トゥ・ザ・フューチャー続編CMと同じ設定でトークショーに出演したマイケル・J・フォックス。今の病状が気になりますよね。くぐもったように声が少し聞き取りにくい感じですが、それ以外は元気そう。体のねじれや手の震えはそれほど感じられません。47歳のマイケル・J・フォックスを予測した画像が若いころのドナルド・トランプにそっくりというくだりで笑いを誘っています。ナイキの自動ひも結びスニーカー「ナイキ・マグ」にも注目です。

マイケル・J・フォックスとパーキンソン病-発病から公表まで

誰もが驚いた29歳から発病していたというマイケル・J・フォックスのパーキンソン病公表。あれほど若々しくピーターパンのように年齢を感じさせないイメージだったマイケル・J・フォックスにパーキンソン病という難病があったことに驚いたファンは多かったもの。

1991年映画「ドック・ハリウッド」を撮影中にはすでに病気の症状を自覚していたというマイケル・J・フォックス。しかし翌年になるまで正確な診断が出なかったといいます。パーキンソン病の診断を受けたマイケル・J・フォックスは飲酒量が増え、生活が荒れた時期もあったということです。1998年、パーキンソン病であることを公表する決心をします。それ以降は現在まで、パーキンソン病の啓蒙活動を継続しています。

パーキンソン病を公表直後のゴールデングローブ賞で

左手を常にポケットの中に入れていたのは、病状と関係がありそうです。公表後もゴールデングローブ賞の授賞式に出席していました。

マイケル・J・フォックスとパーキンソン病-闘病生活と病状

マイケル・J・フォックスのパーキンソン病の症状は、当初は小指がひきつったり震えたりといったことから始まったといいます。半年の間に、左手全体がひきつったり震えたりするようになったということです。また、体の一部分が固まって動かなくなることも。そこで病院で検査を受けることになります。まだ30歳だったマイケル・J・フォックス。健康に問題はなく、演技で体を動かすシーンは難なくやってのけてきたため、まさか自身がパーキンソン病にかかっているとは想像だにしなかったということです。

マイケル・J・フォックスはパーキンソン病の発症から公表をせずに仕事を継続していた時期も長かったもの。公表した後に出演したオプラ・ウィンフリー・ショーは最初の著作「ラッキーマン」{Lucky Man: A Memoir)のプロモーションとしての出演でもあります。

2002年のトークショーの動画では、パーキンソン病の病状までははかり知ることは不可能ですが、体の動きは顕著です。

2002年に発行された最初の著作「ラッキーマン」(Lucky Man: A Memoir)では、自身の生い立ちやこれまでのキャリア、パーキンソン病の発病やその病状などを語っています。本作はアメリカをはじめ海外を中心にベストセラーになりました。マイケル・J・フォックスは売上金の全てをマイケル・J・フォックスパーキンソン病リサーチ財団に寄付しています。

マイケル・J・フォックスとモハメド・アリのパーキンソン病との闘い

モハメド・アリとともにパーキンソン病の啓蒙活動、チャリティー活動を行うことも。俳優とスポーツ選手、どこにも病状らしきものが見られないとはいえ、著名人の二人はパーキンソン病を患っていることを公表し、闘病してきました。

2016年モハメド・アリが亡くなると追悼ツイートをしたマイケル・J・フォックス。ともに闘病を戦ってきたモハメド・アリに感謝の意を述べています。

マイケル・J・フォックスとモハメド・アリの動画も残っています。

2冊目の自叙伝で語られた病状や家族との絆

2009年2冊目の自叙伝「いつも上を向いて」(Always Looking Up: The Adventures of an Incurable Optimist)を出版。「いつも上を向く」というのは、マイケル・J・フォックスの身長が低いから、上を向いているということだけではなく、病状がどうでも、常に顔をあげて落ち込まないでやっていくということがタイトルになっています。娘たちの誕生を経て家族が増えたマイケル・J・フォックス一家。子供たちや妻との絆が強くなったエピソードが語られていきます。

マイケル・J・フォックスと民主党TVCMでの病状

マイケル・J・フォックスは民主党支持者。理由はシンプルで民主党はパーキンソン病の治療に関して重要とされる胚性幹細胞研究を支持している政党だから。共和党はこの研究には保守的な立場をとり胚性幹細胞研究を禁止していました。

マイケル・J・フォックスと民主党TVCM

そこでマイケル・J・フォックスは民主党を応援するTVCMに出演。しかし日ごろドラマなどでは見せないパーキンソン病の病状である大きな体の震えなどもそのままに出演したため、民主党支持を集め、自身の財団に優位に働かせるためにわざと薬を飲まないで出演したのだろうなどと批判にさらされます。

保守派のこうした批判には、冷静な対応をしたマイケル・J・フォックス。トークショーに複数出演しています。パーキンソン病の病状に関して批判したラジオパーソナリティーに対しては、自身は気にしないけれど、パーキンソン病で苦しむ人たちを侮蔑したことになったとコメント。またしてもマイケル・J・フォックスの良い人ぶりが話題を呼んだ結果に。

テレビのインタビューを受けたマイケル・J・フォックスはさらに体を震わせながら受け答えを行い、パーキンソン病の病状がさらに心配されるように。マイケル・J・フォックスは病状が画面にどううつるかよりも、パーキンソン病の治療方法を確立するために必要な研究として胚性幹細胞研究の必要性が訴えたかったというのよう。マイケル・J・フォックスは現在まで一貫して、パーキンソン病の治療方法の確立のため、必要な研究には資金を集めて支援するという立場を崩していません。

CNNに出演して、一連の騒動についてコメントをするマイケル・J・フォックス。こうした心無い批判に立ち向かう姿も、患者たちに勇気を与える結果に。

ロビン・ウィリアムとパーキンソン病

2014年、ロビン・ウイリアムが亡くなると、実は生前初期のパーキンソン病と戦っていたことが公表されました。マイケル・J・フォックスは公表されることがなかったロビン・ウィリアムのパーキンソン病について驚き、追悼ツイートでは長年「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」への寄付を続けていたことについて言及しています。

今・現在のマイケル・J・フォックスの近況

パーキンソン病の病状の現在の状態や今の家族の関係など、2016年のインタビュー記事もアップされています。父親として子供たちと接するようすは、自叙伝などでも繰り返し語られてきました。911のときは家族はニューヨークに、自身はロサンゼルスにいたため、交通機関が使えず帰宅がままならなくなりました。ロサンゼルスからニューヨークまで運転手を2人と車を手配し、車を飛ばして家族の元へ帰ったというエピソードも有名に。

娘たちはマイケル・J・フォックスがパーキンソン病にかかってから生まれているので、マイケル・J・フォックスの病状がどうでも特に気にしないのだとか。パーキンソン病以外のマイケル・J・フォックスの父親像を知っているためか、パーキンソン病であることだけをことさら人柄として認識しているわけではないとも伝えていました。

長男のサム(27歳)以外の3人の子供たちは、パーキンソン病と診断された以降に誕生しているため、父のことをパーキンソン病を抱えた人と単純に定義づけることはないという。 「だってあの子たちはずっとこの病気と共に育っているからね。それしか知らないわけだし、子供たちに僕のことを説明するように求めたら、たぶん僕がパーキンソン病を患っているっていうことなんて最後に出てくるくらいだと思うよ」

2015年レターマンショーに出演したマイケル・J・フォックス。病状は動画で見る限り一進一退なんでしょうか。ユーモアのセンスに変化はなく、立て続けにジョークを飛ばしていきます。

ポモナ大学に招かれたマイケル・J・フォックス。2016年2月現在のマイケル・J・フォックスのようすがわかります。リラックスしたようすでジョークを飛ばすマイケル・J・フォックス。パーキンソン病の病状がどうであれ、常に前向きなようすには感動を覚える人が多いですよね。

マイケル・J・フォックスとパーキンソン病リサーチ財団

マイケル・J・フォックスパーキンソン病リサーチ財団がこれまで集めた研究費用はなんと6億5000万ドル(約680億円)という金額にのぼっています。

マイケル・J・フォックスパーキンソン病リサーチ財団がパーキンソン病について行ってきた啓蒙活動の影響力の大きさは、集めた金額の大きさに如実に表れているともいえそう。

2016年10月に出演した朝のワイドショーでは、マイケル・J・フォックスの愛用しているナイキのスニーカーや人気ドラマ「The Good Wife」についても語っています。

ガラスの向こうに集まったファンの数もすごい。これまでのマイケル・J・フォックスのキャリアなどもまとめて紹介されています。ナイキ・マグについても語っていますね。

ナイキ・マグと「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」

ナイキは2011年に「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」とが提携し自動で靴紐が締まるスニーカー「ナイキ・マグ」をデザイン。オークションに出展することで10日間で10億円を超える資金を集めています。ナイキがマイケル・J・フォックスパーキンソン病リサーチ財団の資金集めに大きなインパクトがあるのは継続中のようです。

パーキンソン病を患ってからのマイケル・J・フォックスのほうがバック・トゥ・ザ・フューチャーのスター時代のマイケル・J・フォックスよりより人間らしく、前向きでチャーミングだと感じる人は多いようです。病状が心配されるという報道がある中、定期的に公に姿を現しては変わらないユーモアのセンスで人々を笑わせ、がんばってるなぁと好意的に受け取られるという、マイケル・J・フォックスの魅力がすごい。

マイケル・J・フォックスとギター

「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」は毎年チャリティイベントの一環としてコンサートを行います。2016年12月にはデイヴ・マシューを迎えてマイケル・J・フォックスとともに演奏を行っています。

コールド・プレイのクリス・マーティンを迎えたコンサートの開催もありました。マイケル・J・フォックスはデビュー当初はバンド活動も行っていた人物。ギタリストでもあります。

今現在のマイケル・J・フォックスのようすをまとめてみた

2016年ニューヨークで、マイケル・J・フォックスと妻のトレイシー・ポランがマジソン・スクエア・ガーデンで行われたバスケットボールの試合を観戦に訪れている画像です。NBAのポートランド・トレイル・ブレイザーズとニューヨークニックスの試合を観戦したマイケル・J・フォックスのようすが伝えられました。

心配されているマイケル・J・フォックスの病状。過去25年間にわたる闘病生活はお茶の間が目撃してきているだけに、SNSや動画サイトなどには応援コメントや同じ病気で苦しむ人たちの声が集まります。公に姿を現すたび、前向きで元気なコメントが出てくるマイケル・J・フォックス。これからもユーモアのセンスを忘れずに、病気に立ち向かっていってほしいということで、まとめを終えたいと思います。

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2023-12-01 時点

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