君島十和子の夫・君島誉幸はどんな人?二人の娘や家族についてまとめ

元は芸能人として活動していた君島十和子。そんな君島十和子は現在十和子ブランドとして有名になりました。しかし、この君島十和子の夫や家族とのスキャンダルは非常に闇が深いものでした。君島十和子の夫のことや、その家族や旦那との間に生まれた娘について紹介します。

君島十和子の夫・君島誉幸はどんな人?二人の娘や家族についてまとめ

目次

  1. 謎多き君島十和子と夫の関係
  2. 君島十和子はモデルでもあり女優でもあった
  3. 君島十和子の夫は有名デザイナーの婚外子だった
  4. 君島十和子の夫の君島誉幸の存在
  5. あまりにも複雑すぎる君島十和子の夫である君島誉幸
  6. 君島十和子の夫である君島誉幸にも婚外子の子供がいた
  7. 君島十和子は夫とともに遺産相続に巻き込まれる
  8. それでも君島十和子は夫と居ることを選んだ
  9. 夫を支えたのは十和子ブランドという新しいブランド
  10. 君島十和子と夫の間の家族はどうなっている
  11. 君島十和子は旦那と今も仲睦まじい関係
  12. 君島十和子は夫と苦難を乗り越えて美のカリスマになった

謎多き君島十和子と夫の関係

『君島ブランド』という名前で有名な化粧品。実は皇室のファッションブランドも手がけていた君島ブランドですが、そのブランドを作り出した君島一郎と関係のある君島誉幸と結婚した君島十和子。様々なトラブルを芸能界に残していったこの二人の謎に迫ります。

君島十和子は1966年5月30日生まれの50歳です。東京都豊島区に生まれた君島十和子は、旧姓を吉川十和子と言います。中学生のころから雑誌『mc Sister』でモデルを務め、1986年には女性ファッション誌の『JJ』の専属モデルになりました。

君島十和子はモデルでもあり女優でもあった

1988年に君島十和子は、その経歴を活かして芸能界で女優としてデビューします。芸能人としてテレビや映画で活躍する中で、知名度を上げていくことになります。雑誌で活躍していた頃は『吉川とわ子』という名前で芸能人として活動していたようです。

NHK銀河テレビ小説『新橋烏森口青春篇』で芸能人として女優デビュー後は、『極道の妻たち 三代目姐』などに出演しました。芸能人として順調に活動していたため、このままどんどんその道を上り詰めていくのかと思われていたとき、突然君島十和子は大きなニュースを巻き起こすことになります。

君島十和子の夫は有名デザイナーの婚外子だった

君島十和子は1995年12月にデザイナーとして活躍する君島一郎の婚外子である君島明と入籍することを発表するんです。その後、あっさりと芸能人を引退することを発表して、君島十和子は芸能界から逃げるように去っていきました。このときの、夫の騒動をさらに詳しく解説していきます。

そもそも君島一郎は、日本を代表するファッションデザイナーの一人であり、パリ・コレクションで作品を発表するほどの、海外でも高い評価を受けた人物でした。そのため、1979年にはパリにパリキミジマを開店し、パリの社交界でも名のしれたデザイナーとなった人物なんです。

パリだけでなく中国政府に依頼されて上海のファッションショーでも作品を発表するなど、1代で君島ブランドを作り出すことに成功したんです。そのため、このブランドは上流階級や社交界、そして皇族にも愛用者を得ることになったのです。まさに、日本でもっとも憧れられるブランドとなったのです。

君島十和子の夫の君島誉幸の存在

しかし、君島一郎には君島由紀子との間ではない、婚外子の息子が存在していました。それが君島誉幸でした。この君島誉幸は本名を佐藤明と言います。当時は君島明と名乗っていたそうです。その後現在の君島誉幸という名前を名乗るようになります。

君島十和子の夫となる君島誉幸ですが、この君島誉幸は君島一郎と君島由紀子の間に生まれた子供ではなく、婚外子だったのです。君島誉幸自身がその事実を知るようになるのは20代になってからだったようです。君島一郎に内縁の妻がいて、その間に生まれた子供だったわけです。

あまりにも複雑すぎる君島十和子の夫である君島誉幸

君島誉幸が君島の姓を名乗れるようになったのは、君島一郎が養子として引き取ったのではなく、君島誉幸の母親と君島一郎の母親が養子縁組をするという、とんでもない形で君島誉幸は君島の姓を名乗れるようになったのだとか。まるで、ドロドロとした昼ドラすらも超えるような驚きの出来事があったようです。

こういったスキャンダルは徐々に明るみに出ていくことになりますが、まだそのときは、うまく表沙汰になりすぎることなく、君島ブランドは守られていました。しかし、君島十和子と君島誉幸が結婚することになった中で、とある驚きの事実が発覚してしまうのです。

君島十和子の夫である君島誉幸にも婚外子の子供がいた

君島十和子と君島誉幸の結婚が世間を騒がせたのは、君島一郎との関係だけでなく、なんと君島誉幸にまで、婚外子がいたという事実だったのです。なんとこのスキャンダルは、君島十和子と君島誉幸が婚約会見をした2日後に出てきたのです。まさにとんでも家族だったというわけです。

旦那のそういった事実を君島十和子はすでに知っていたらしいのです。しかし、この問題がスクープされるとまでは思っていなかったようで、スキャンダルが発覚したことにより、皇室御用達の君島ブランドは一気に失墜していくことになります。

君島十和子は夫とともに遺産相続に巻き込まれる

君島十和子は旦那の家にまつわる様々なスキャンダルが暴かれていく中で、君島ブランドが一気に信用を失う姿を目の当たりにしました。君島ブランドの製品がほとんど売れなくなり、経営は一気に傾いていきました。そんな中で、君島一郎は1996年7月14日に急死してしまったのです。

当たり前ですが、海外にまでお店を持っていた君島ブランド。人気が一気に失墜したことで、君島一郎は大きな借金を残してこの世を去ってしまったのです。同時に君島一郎と君島由紀子の間に生まれた君島立洋と、君島誉幸の対立構造や借金以外の遺産の問題で揉めることになるのです。

家族でありながら、二人は顔をそのときまで合わしたことすらなかったようです。本妻の息子と内縁の妻の間に生まれた息子との対立問題は、わずかばかりに残っていたブランドのイメージを更に悪くさせたのです。結果的に残された遺産は平等に分配されたと言われていますが、君島一郎が残した借金は君島誉幸が背負うことになってしまったのです。

それでも君島十和子は夫と居ることを選んだ

もはや一連の家族騒動のせいで君島ブランドは完全に終わってしまったのです。そのため、君島ブランドは立て直しに完全に失敗し、ブディックはすべて閉店してしまうという結末を迎えるのです。このときの君島誉幸は40億円近い借金を背負ったと言われています。

旦那の一大事に、元芸能人であった君島十和子は、自らが広告塔になって新しいブランドを展開することを考えたのです。旦那が困っているときは、妻がなんとか支えるもの。そんな気持ちと元芸能人というパイプを活かして、君島十和子は、十和子ブラントとして化粧品の開発に取り組んだのです。

夫を支えたのは十和子ブランドという新しいブランド

徹底して自らをブランドの象徴にして、十和子ブランドという新しいブランドを生み出した君島十和子。この努力によって君島十和子は『美のカリスマ』として同年代の女性から絶大な支持を受けることになります。2013年には年商13億にまで成長したそうです。

化粧品だけではなく、君島十和子の関連書籍は飛ぶように売れるようになり、年齢を重ねてもなぜあんなに美肌でいられるのか、そんな疑問を持った女性たちが書籍を買い漁るようになりました。君島誉幸も皮膚科医という立場からブランドを支えたと言われています。

君島十和子と夫の間の家族はどうなっている

旦那と二人三脚でドンそこから這い上がった君島十和子。そんな君島十和子は1997年に娘を出産しています。その後2001年には二人目の娘を出産しています。この君島十和子の娘である長女もちょっとした有名人になったんです。

君島十和子の家族は君島十和子と君島誉幸と二人の娘。その長女である君島憂樹は、難関と言われる宝塚音楽学校の102期生に合格しているんです。一度目の受験では失敗したようですが、二度目の受験で無事合格し、家族の中からまたもや有名人が飛び出すことになりました。旦那も誇りに思う娘でしょうね。

この娘の宝塚音楽学校への道のりは、もともと君島十和子が大の宝塚ファンだったことも関係しているようです。娘をタカラジェンヌにしようと、幼少期からかなり教育をしていたと言われています。現在娘は『蘭世惠翔(らんぜけいと)』という芸名で宝塚で活動しているそうですよ。

君島十和子は旦那と今も仲睦まじい関係

化粧品をプロデュースするクリエイティブ・ディレクターとしての才能を開花させた君島十和子。そんな君島十和子は旦那と一緒に写った写真を公開しています。

現在もこのような形で旦那との仲の良い姿を自らの書籍や雑誌で公開していることもあるようです。ふたりとも年齢とは違って、非常に肌が若々しいのは、自身のブランド商品の効果でしょうか。

夫の窮地を救った妻。そんな姿も君島十和子を支持する女性たちの尊敬する部分なのかもしれません。

君島十和子に関する情報を調べると、夫のスキャンダルよりも、君島十和子が実践している美容法に関するつぶやきがたくさん出てきますね。

様々な美容法に挑戦するのは、夫が皮膚科医であることも関係しているのかもしれません。夫からいろんなアドバイスを受けて、より若々しい肌が長続きする方法を模索しているのかもしれませんね。

君島十和子は夫と苦難を乗り越えて美のカリスマになった

結婚してすぐに飛び出した夫の出生にまつわる事実。そこから夫と実家の家族との問題、夫が抱えた借金問題など、それを乗り越えるのは並大抵の努力ではなかったと思います。

しかし、夫を信じ続けて苦難を乗り越えた先には、十和子ブランドという新しい君島ブランドが待っていました。夫が受けた辛い出来事を乗り越えて新しいブランドを作り出しました。夫と二人三脚でバッシングにも耐え続けた強さが、新しいブランドを生み出すことにつながったのかもしれませんね。

Thumb君島十和子の娘・長女は宝塚?芸名や次女についても調査【画像】

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2020-08-14 時点

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