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ドナルド・キーンさんが死去。死因や養子のキーン誠己の現在は?
日本文学者・日本学者として沢山の功績を残してきた、ドナルド・キーンさんが死去したという訃報が飛び込んできました。ドナルド・キーンさんの死去した死因は何だったのか、また養子とされているキーン誠己さんの現在についてもまとめていきます。

ドナルド・キーンさんのプロフィール
日本文学者のドナルド・キーンさんが24日、お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。(玲)https://t.co/KaBU7CJLm6 #ドナルド・キーン pic.twitter.com/OZzRHvmhmL
— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) February 24, 2019
愛称:鬼怒鳴門(きーん・どなるど)雅号
本名:キーンドナルド
生年月日:1922年6月18日-2019年2月24日(没)
現在年齢:96歳没
出身地:アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク市
血液型:???
身長:???
体重:???
活動内容:日本文学者、日本学者、文芸評論家
所属グループ:???
事務所:???
家族構成:上原誠己(別名キーン誠己)養子・浄瑠璃三味線奏者
ドナルド・キーンさん逝去ー
— ブクログ 読書管理アプリ (@booklogjp) February 24, 2019
日本文学研究の世界的第一人者、そして文化勲章受章者。ご冥福をお祈りします。2017年刊行の『知の巨人、日本美を語る』は、キーンさんの仕事と魅力が詰まった一冊でした。
▼https://t.co/Z3cRCCZlZs
▼NHKニュースhttps://t.co/tC0DOSlC7z pic.twitter.com/DwLowPHiy6
日本文学者・日本学者としてその名を広めるとともに、日本人に日本の良さを伝えてきていたドナルド・キーンさんが2019年2月24日に死去したというニュースが入ってきました。ドナルド・キーンさんは、日本人よりも日本を愛した人物として、さまざまな功績を残してくれました。そして、東日本大震災以降は、東北を訪れ、被災者や気落ちした日本人を励ます姿もありました。
ドナルド・キーンさんと言えば、東日本大震災の直後に「日本に永住し、日本人になる」と表明されたことが忘れられない。
— 中井寛一 (@ichikawakon) February 24, 2019
地震と原発事故の混乱の中でこのニュースを聞き、感動を覚え、かつ勇気づけられたなあ。
それにしても、三島由紀夫を直接知る人がまたいなくなってしまったな。。。 pic.twitter.com/l1Q01nSDP4
この記事では、日本を愛し、日本の良さを日本人に伝えてきてくれたドナルド・キーンさんの死去した死因や、養子と言われているキーン誠己さんについてもまとめて行きます。日本の伝統文化に関わっているキーン誠己さんとドナルド・キーンさんとのエピソードや、今現在についても不ご紹介していきます。まずは、ドナルド・キーンさんについてみて行きましょう。
ドナルド・キーンさんの人物像
ちなみにこちらが源氏物語の直撃を食らった日本文学研究者、ドナルド・キーン氏。現在は日本人となって『鬼怒鳴門』となっていらっしゃるとのこと。 pic.twitter.com/05ELA2Qdhf
— 葉桜藍 (@seamt1217) February 18, 2019
それではまずは、知の巨人とも呼ばれていたドナルド・キーンさんについて知っていきましょう。ドナルド・キーンさんの経歴についてはまたまとめていきますが、ドナルド・キーンさんの両親は、ロシア系ユダヤ人で、元々ユダヤ語と言われていたイエディッシュを話す人たちだったそうです。9歳の時に父親とのヨーロッパ旅行で外国語に深い興味を示した過去があります。
昨日 96歳で亡くなられたキーン先生。合掌。思い出です。2012年11月26日、日本ペンクラブ創立77回記念日。懇親会に日本に帰化されたドナルド・キーン/鬼怒鳴門先生がご来賓で、57年前に日本ペンクラブの会員になられた当時のエピソードを語って下さいました。
— 鶴田静 (@soloshika) February 25, 2019
撮影エドワード・レビンソン2012年11月 pic.twitter.com/dd801fHXFk
両親が離婚したというドナルド・キーンさんは、その御母子家庭で育つこととなり、経済的にも厳しかったため奨学金をもらいながらの学業でしたが、頭がかなり良かったようで飛び級をして16歳でコロンビア大学の文学部に入学しています。そこで出会った中国人学生の影響もあり、ドナルド・キーンさんは中国語や漢字についても興味を持ち独学で勉強を始めたようです。
ドナルド・キーンと三島由紀夫#RIP pic.twitter.com/wlHKJaQt2n
— 古書きとら Old&Rare Books (@kosho_kitora) February 24, 2019
ドナルド・キーンさんと言えば、現在さまざまな書籍を出版している人物としても有名ですが、中でも松尾芭蕉の「おくのほそ道」の英訳や、日本を代表する作家である三島由紀夫さんや安部公房さんなどの日本文学の英訳をしたことでも有名ではないでしょうか。そして、三島由紀夫さんとは知り合った1957年から深い親交があったということも有名で、今でも2人の写真が残っています。
東日本大震災の後に日本に帰化したドナルド・キーンさん
ドナルド・キーンさんは日本国籍を取得していたんですよ
— siphon (@Siphon_Drip) February 24, 2019
ご冥福を祈ります pic.twitter.com/6kTa66AG9J
日本で平成23年に起きた東日本大震災のときには、ドナルド・キーンさんは日本に帰化することを公表していました。日本国籍を取ったあとは、出生名だったDonald Lawrence Keeneから、「キーンドナルド」というカタカナ表記に変え、雅号として使用する名前には、漢字で鬼怒鳴門(きーんどなるど)を使っていました。震災が起きた同年の秋には岩手を訪問したりもしていました。
今までのドナルド・キーンさんの経歴
日本の古典文学を海外に伝えたドナルド・キーンさん
ありがとう、ドナルド・キーンさん。 pic.twitter.com/QUWfJeYPey
— 三野たけ (@3notake) February 24, 2019
ここではドナルド・キーンさんの経歴を簡単にみていきましょう。ドナルド・キーンさんは、1940年にたまたまニューヨークで見かけた「源氏物語」を見つけ、それが日本文学とのでありだったようです。当時18歳だったドナルド・キーンさんは、ちょうど、勉学のための資金など実生活はとても厳しい時だったようで、その美しい描写に強く興味を持ったといいます。
日本と日本文化をこよなく愛し、そして三島由紀夫の良き理解者であったドナルド・キーン氏が亡くなられた。
— Love Bird (@ayumi6080304) February 24, 2019
御歳、96歳。大往生である。三島作品の多くが海外で翻訳され読まれていることにも大きく貢献された方。
鬼怒鳴門さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/auIAvaO00X
日本とアメリカの関係も怪しかった最中ですが、昭和28年の31歳の時に京都大学の大学院に2年間留学しています。そしてその時に、後の文部相・永井道雄さんと知り合い、そこから中央公論社社長だった嶋中鵬二さんと紹介され、日本の作家たちとの人脈を広めたようです。まだまだ外国人が日本文学について学ぶという人が少なかった中、ドナルド・キーンさんは珍しい存在でした。
「言葉の力が再び試されています。」
— masa (@bobu_masa) February 24, 2019
今一度。
ドナルド・キーンさん死去。https://t.co/YPLM8NCaJB
ドナルド・キーンさんの経歴については、沢山あり書ききれないのですが、自身の出身大学であるコロンビア大学では名誉教授であり、その他にはケンブリッジ大学、東北大学、杏林大学などでも名誉博士でした。その他には、全米文芸評論家賞受賞や文化勲章受章を受賞していたり、日本ペンクラブの名誉会員でもありました。それ以上に日本にかなりの影響を与えています。
反戦主義者でもあったドナルド・キーンさん
日本文学の国際化に貢献した文化勲章受章者で米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさんが24日、心不全のため亡くなった。享年96歳。
— Colette (@Colette89677107) February 24, 2019
初めて三島由紀夫を読んでいた頃でしたがドナルド・キーンさんの文章には、よく遭遇しました。
ご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/MS4eIEn26M
ドナルド・キーンさんは、実はコロンビア大学で東洋文学を学んでいいた最中、日米戦争がはじまり、諜報ちょうほう要員に選ばれたため日本語の勉強をさせられました。沖縄では捕虜だった人の尋問摸したということです。その際に日本人の遺品などにも触れ、日本人の内面の繊細さを知ることとなります。そこからドナルド・キーンさんの日本への敬意が起きたそうです。
今日の東京新聞。
— 望月慎太郎 (@mionao21) February 25, 2019
「ドナルド・キーンさんが暮らしの中で感じたことをつづる連載「東京下町日記」では、独自の視点から戦争と平和憲法、原発なども話題に。キーンさんは日本文化の最良の理解者であり続けた。日本を心から愛し、多くの日本人に愛されたキーンさんの見事な生涯が、いま閉じられた」 pic.twitter.com/9XCd8nf8OK
戦争を知っているからこそ、ドナルド・キーンさんはあの日の惨状もみてきた人物だからこそ、反戦を掲げていました。そして、その時の状況と東日本大震災の荒れ地が重なったように見え、何度も何度も東北に足を運び、現地の人を励まし続けました。そして、東京と東北の復興の差についても苦言を呈する場面もあり、日本人よりも日本人らしい部分が多い人物でした。
ドナルド・キーンさんの死去した死因は?
気になる死去の死因は心不全だった
[号外]号外です。ドナルド・キーンさん死去https://t.co/ylmQlitalY pic.twitter.com/QvMGtvCJoA
— 新潟日報モア (@niigata_nippo) February 24, 2019
ここでは、ドナルド・キーンさんの死去の理由についてまとめていきます。すでに96歳という年齢であったキーンさんは、2017年の夏終わりごろから体調が不安定で崩しがちだったということが分かっています。2018年には、今までのキーンさんの日常をまとめた写真展もあり、そこでは元気な姿を見せていたというドナルド・キーンさんですが、9月には入院していたようです。
25日の東京新聞朝刊では、日本文学研究者のドナルド・キーンさんの訃報を掲載しています。「評伝」は、キーンさんの本紙連載「東京下町日記」担当、鈴木伸幸が執筆。日本の醜悪なところも美も受け止めてくれた稀有な生涯と素顔を、長年身近に接してきた者の視点からつづっています。#DonaldKeene pic.twitter.com/ySljJe9oL8
— 東京新聞文化部 (@tokyobunkabu) February 25, 2019
苦しむこともなく、穏やかに永遠の眠りにつきました。自ら選んだ母国で日本人として、日本人の家族を持ち、日本に感謝の気持ちをささげつつ、幸せに最期の時を迎えました。日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています。
元々大往生な年齢だったドナルド・キーンさんですが、その入院から腎臓や心臓などの臓器が徐々に弱っていったということでした。そして、身内である養子のキーン誠己さんは10月中旬に、すでにいつ何があってもおかしくない状況であると医師から告げられていたといいます。そこから約4カ月経過した2月24日6時21分に心不全で亡くなったということです。死因は心不全でした。
養子・キーン誠己さんの現在は?
ドナルド・キーンさん二は養子がいた!
【キーンさん 思い続けた日本】https://t.co/zgpbxiJJtC
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) February 24, 2019
日本と日本文学をこよなく愛し、晩年は日本に帰化したドナルド・キーンさんが24日、96歳で亡くなった。講演で「日本のことを考えない日はなかった」と、日本との縁を語ったことも。
ドナルド・キーンさんの死去した死因について分かったところで、ここでは、ドナルド・キーンさんの養子と言われているキーン誠己さんについても知っていきましょう。日本という国と結婚したとかつて語っていたドナルド・キーンさんですが、晩年には日本の伝統をつないでいく人物と養子縁組していたようです。その養子と言われているのがキーン誠己さんです。
キーン誠己こと五代目鶴澤浅造とは?
文楽が結ぶ養父 浄瑠璃三味線奏者、キーン誠己さん : NIKKEI STYLE https://t.co/NreuSHMXzQ
— PsiLiam (@PsiLiam) February 24, 2019
浄瑠璃三味線奏者であるキーン誠己さんは、2012年にキーンさんの養子になったようです。1950年に新潟に生まれたキーン誠己さんは、元々は造り酒屋の生まれでしたが、東京の大学に進みました。そして東京で文楽と出会うきっかけがあり弟子入りをします。その縁で人形浄瑠璃文楽座に所属することとなり、三味線奏者の道を歩み始めます。新潟と文楽が繋いだ縁だったようです。
ドナルド・キーンさん、亡くなったのか。。
— banosa (@ban_osa) February 24, 2019
ショックだなあ。やっぱり元号が代わる年にはなんかあるのかなあ。
ドナルド・キーンさん死去、養子のキーン誠己さんが談話「穏やかに永遠の眠りに」 - 毎日新聞 https://t.co/GRHLCnwJEB
元々持っていた持病もあり、1997年に三味線を廃業としたキーン誠己さんは実家に戻り家業を手伝います。その合間に浄瑠璃を習いたいという声もあり教えるようになっていきます。そして、2006年11月にドナルド・キーンさんの対談の楽屋に訪れ、2人は出会うこととなりました。そこから浄瑠璃一座を立ち上げ、キーンさんの食事や身の回りの世話をしたりしていたようです。
「黄犬ダイアリー」ドナルド・キーンさんと息子・キーン誠己さんおふたりの共著。なんとも、たのしい一冊。
— 水野木内みどり (@kiuchi_midori) October 25, 2016
平凡社 pic.twitter.com/rvbw16VHf8
独身を貫いてきたドナルド・キーンさんでしたが、誠己さんとの生活は一緒に夕方に商店街に出かけたりと仲の良いものだったようです。そして、今現在もキーン誠己さんは、浄瑠璃一座の活動もあり、海外公演なども行いながら日々過ごしているということのようです。血縁だけではない、養子という関係ながらも浄瑠璃三味線がつないでくれた親子の縁だったということです。
死去したドナルド・キーンさんの冥福を祈ろう
https://t.co/pghuxwrXVj 日本文学研究者のドナルド・キーンさん死去 96歳 https://t.co/tR2WdKG0C1 https://t.co/pghuxwrXVj pic.twitter.com/wr0edHAAWb
— 英検攻略ネット (@eigosuki1) February 24, 2019
日本文学の研究者として活躍していたドナルド・キーンさんの死因についてやその人物像をまとめてきました。また、養子であるキーン誠己さんの現在についてもまとめてきました。日本人よりも日本を愛していたドナルド・キーンさんでしたが、その人生の背景には戦争に巻き込まれた過去もありました。
ドナルド・キーン氏は既に東京下町の寺に自分の墓を立ててたそうだ。墓石の表面にはキーンにちなんで黄色の犬「黄犬〜キーン」が描かれている。これは幼少期、ニューヨークの家に居た愛犬ビンゴの姿だそう。人の手を煩わせず最後まで日本人で終わろうとした潔さを感じる。 pic.twitter.com/9AWhRmrp32
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) February 24, 2019
ドナルド・キーンさんの著書は沢山残されていますので、その作品に触れ日本人としてのあり方を再確認するのも良いかもしれません。また、東京の下町に自ら自分のお墓を建てたというドナルド・キーンさんですので、ファンの方は訪れて感謝を告げるのもいいかもしれません。日本に多大な影響を与えてくれたキーンさんの冥福を祈りましょう。


