浜崎あゆみの出身地はどこ?実は極貧で壮絶だったその生い立ちとは?

苦労人の浜崎あゆみの生い立ちは“極貧・壮絶”の言葉通りです。出身地による差別に苦しんだ浜崎あゆみの思いは歌詞に表現されています。浜崎あゆみの歌や奉仕活動を紹介しながら、生い立ちや出身への反動ともいえるような現在の活躍も見ていきます。

浜崎あゆみの出身地はどこ?実は極貧で壮絶だったその生い立ちとは?

目次

  1. 壮絶な過去 浜崎あゆみのプロフィール
  2. 浜崎あゆみの祖父母は朝鮮出身
  3. 出身への差別に苦しんだ浜崎あゆみ
  4. 浜崎あゆみの壮絶な生い立ち① 父親の失踪
  5. 浜崎あゆみの壮絶な生い立ち② 理不尽なイジメ
  6. 出身が特殊なことから浜崎あゆみは大人に甘えずに育った
  7. 浜崎あゆみの光と影
  8. 浜崎あゆみから感じられる生い立ちへの反発
  9. ひたすら前を向き続ける浜崎あゆみ
  10. まとめ

壮絶な過去 浜崎あゆみのプロフィール

本名:濱﨑 歩
誕生日:1978年10月2日
出身地:福岡県福岡市
学歴:堀越高等学校中退
職業:歌手、作詞家、作曲家
所属事務所:エイベックス・マネジメント

浜崎あゆみの前人未踏の記録

シングル総売り上げ枚数:約2138万枚(ソロアーティスト歴代1位)、ミリオンセラー5作(女性ソロアーティスト歴代タイ1位、連続首位獲得年数12年(女性アーティスト歴代1位)、通算TOP10獲得作品数50作(ソロアーティスト歴代1位)、2001年-2003年日本レコード大賞3連覇、2009年ツアー動員数約60万人
かつて女子高生のカリスマと言われた浜崎あゆみは前人未到の記録があり、音楽界への貢献度が高いアーティストです。

浜崎あゆみの祖父母は朝鮮出身

15年以上も前、冬の寒空の下ビルの屋上でひたむきに歌っている歌手がいて大変そうだなぁと思ったことがあります。ブレイク前の浜崎あゆみです。現在のステージとは雲泥の差があります。辛い下積み時代を過ごした後チャンスをつかんだら一直線にスターにのぼりつめた浜崎あゆみには壮絶な生い立ちがあったことをご存知でしょうか?

朝鮮出身者の差別部落

福岡県福岡市に生まれ育った浜崎あゆみの家系は朝鮮出身です。浜崎あゆみの祖父母が朝鮮半島から移住してきた朝鮮移民です。韓流ブームを経験した現在とは違い、当時はかなりの偏見があったのでしょう。福岡の部落地域に住みつき、子が生まれ孫の浜崎あゆみが産まれました。浜崎あゆみの家族は、祖父母の出身が朝鮮半島であった為に差別を受け、小さな小屋で貧しい生活を強いられました。教科書でしか知らないような部落地域ですが、本当に存在していたんですね…

朝鮮出身者の貧民街

家というものではなく朝鮮出身者用の豚小屋のようなところだった上に、行政のし尿処理を受けられずドブ川で用を足していたとのことです。浜崎あゆみ自身はこんな生活ではありませんが、母親は苦労したようです。それにしても朝鮮出身者の家族というだけでこんな住環境を強いられるなんて今ではありえませんよね。極貧という表現がちっとも大袈裟じゃないです。

朝鮮出身者の過去と現在

福岡と朝鮮は距離が近い為、今でも福岡には韓国出身者が多いです。韓流ブームも経験した今の日本なら焼肉店や韓国料理店を開いて成功することも出来ますが、浜崎あゆみの祖父母が移住してきた頃はそんな時代じゃなかったんですね。

出身への差別に苦しんだ浜崎あゆみ

壮絶な過去を経験した浜崎あゆみは、いろいろなことが重なり今の成功を手にしています。ここまでどのような過去があったかを調べてみました。

浜崎あゆみの壮絶な生い立ち① 父親の失踪

苦しい生活の中、馬車馬のように働いた浜崎あゆみの父親は失明したともいわれていますがそのうち失踪してしまいました。祖父母の出身地に帰ってしまったのでしょうか。姿を消す前に浜崎あゆみに「すぐ帰るからね」と言い残したそうです。浜崎あゆみは幼心にもその言葉を信じていたのでしょう。蒸発した父親は戻らず、このことをきっかけに浜崎あゆみは人間不信になりました。

人を信じる事って いつか裏切られはねつけられる事と同じと思っていたよ あの頃そんな力どこにもなかった きっと 色んなこと知りすぎてた

人を信じられないし、信じる力もなかったということですね。浜崎あゆみが子供の時に受けた心の傷はあまりにも深く残っています。

浜崎あゆみの壮絶な生い立ち② 理不尽なイジメ

祖父母の出身地への差別で貧しい生活をしていたから、浜崎あゆみに対するイジメもあったみたいです。あそこの子供と付き合うのはやめなさいと言われ、転校させられそうになったこともありました。祖父母の出身地のせいで転校の話がでるなんて理不尽すぎます。

いつから大人になる いつまで子供でいいの どこから走ってきて ねえどこまで走るの 居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待出来るのか分からずに

浜崎あゆみの不安な気持がストレートに表現されています。もし浜崎あゆみが無邪気な子供時代を送れていたらこの歌は生まれていませんね。

出身が特殊なことから浜崎あゆみは大人に甘えずに育った

祖父母の出身地による差別、何も悪いことをしていないのにイジメがある、理不尽な大人を目の当たりにした幼いころの浜崎あゆみは何を感じていたのでしょうか。簡単に推測できることではありません。

中学生の時の浜崎あゆみは不良になりました。そりゃ祖父母の出身地のせいで差別を受けたらぐれちゃいますよね。学校を休みがちだった為担任の先生が浜崎あゆみの母親を呼び出そうとしましたが、母親はお腹が痛いと言ってきてくれなかったそうです。

それでも浜崎あゆみは母親に対して怒りの気持ちを持たなかったそうです。浜崎あゆみに同情した担任に対しても怒らず、ただただ悔しい思いがしたとのこと。苦労した分、浜崎あゆみは子供の時から達観したものがあったのでしょうか。

いつも強い子だねって言われ続けてた 泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ そんな風に 周りが言えば言う程に 笑うことさえ苦痛になってた

子供は親の期待に応えようと無理をすることもありますが、浜崎あゆみも同じだったんですね。本当は泣きたかったのかなって思います。

浜崎あゆみは子供の時に、家に帰ったら誰もおらず外に一人でいるのが怖くて、手で窓ガラスを割って中に入り、血だらけになったというエピソードがあります。子供なのに浜崎あゆみは周囲に助けを求められず、自分でどうにかする術を身に着けていたんですね。

一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く きっとそんな毎日が当たり前と思ってた

なかなか大人に甘えられずにいた浜崎あゆみは自分の力だけが頼りと思いながら育っていたんですね。

普通の家庭なら親が不在がちな子供の為にペットを飼うこともできますが、浜崎あゆみの家庭でそんな余裕もなく孤独感を抱えた幼少期だったろうと思われます。現在、貧しい家庭出身の浜崎あゆみがペットと戯れているのを見るとなんだかほっとしちゃいます。

やがて浜崎あゆみは芸能事務所に入り、出身地である福岡の銀行の広告などにでながら福岡と東京都の間を行き来するようになります。福岡出身の芸能人が多いですが、浜崎あゆみも芸能界を夢見て、中学卒業後に上京して芸能活動に専念するようになります。

自分で作詞作曲が出来る浜崎あゆみは、自分の思いを歌にしていることが多いです。歌にしながら自分の気持ちを昇華させているんでしょう。自分の生い立ちや出身への思いも無意識に表現されていると思うと、浜崎あゆみの歌が意外に深いことが分かります。

浜崎あゆみの光と影

浜崎あゆみは自分の過去ついて聞かれたくないんだそうです。祖父母の出身地への偏見、浜崎あゆみの出身地である地元福岡でのイジメ、辛い過去は蒸し返されたくないのは当然ですね。それとは正反対に成功した現在では、褒め称えられ喝采を浴びる一方で、嫉妬の対象にもなりえます。

私は何を想えばいい 私は何て言ったらいい もてはやされたって羨まれたって 解ってるのかさえ解らない

これまでの人生でさんざん光と影を見てきた浜崎あゆみには、簡単に口にはできない思いがあるんじゃないかと思います。

華やかな外見の割に、浜崎あゆみの歌は切ない感じのものが多いです。寂しさや不安な気持を表現した歌にお年頃の女子高生が次々に共感し、浜崎あゆみは女子高生のカリスマとして爆発的に人気が出ました。

大きなくりっとした目が印象的な浜崎あゆみに憧れた女性は多いです。整形の噂がささやかれながらも、浜崎あゆみのような大きな目元になりたがった子はたくさんいます。

浜崎あゆみは2013年「世界で最も美しい顔100人」で60位になっています。プロ意識が高くセルフプロデュースできる浜崎あゆみは外見の磨き方も半端ではありませんでした。人間離れしたCGのような美貌で浜崎あゆみ旋風を巻き起こしました。

浜崎あゆみから感じられる生い立ちへの反発

美学あふれる浜崎あゆみの世界観は夢のような昂揚感を与えてくれます。プロとして、浜崎あゆみは世俗的な汚さを決して見せようとはしませんでした。幼い時にさんざん辛い思いをした分、もうイヤなことは極力見たくないのかもしれません。浜崎あゆみは楽曲だけでなく、ミュージックビデオ・CDジャケット・ライブ演出といったビジュアルアートまで自分で厳しくチェックしています。

浜崎あゆみが求める現実離れした美しさには、彼女の生い立ちへの反発心からくるように思われます。朝鮮部落出身で貧しい生活をしていた時には身の回りに美しいものはなく、ひたすら美しい世界に憧れていたのかもしれません。自分を認めてほしい気持ちも人一倍強いことが音楽の完成度にもあらわれています。

ひたすら前を向き続ける浜崎あゆみ

2000年初のコンンサートツアーの第二幕直前に左耳の突発性難聴を患いました。医者からすぐ治療するよう忠告されましたが浜崎あゆみはツアーを強行しました。その後もファンや事務所の恩人の為仕事をこなしていた浜崎あゆみは2007年には左耳の聴覚が完全に失われ治癒出来なくなっています。歌手にとって大事な聴覚が失われても浜崎あゆみは歌手活動をやめません。壮絶な生い立ちを経験した浜崎あゆみは苦労があっても前に走ってしまうんですね。

朝鮮出身者の家族として訳の分からない子供のうちから苦しい生活を強いられた浜崎あゆみは自分の心が傷つかないよう必死な子供時代を過ごしたことでしょう。なんとなく防御壁を張ったような孤独な歌姫の心が本当に安らかになれるといいのですが。

まとめ

ひたすら前を見ることで自分の心を守ってきたであろう浜崎あゆみにとって、出身も含めた過去を丸ごと受け入れることは難しいかもしれません。しかしすべて受け入れて心穏やかになった時、また別の歌が作れるんじゃないでしょうか。

これまでもファンの投票でアルバムの選曲をしたりして、ファン第一に活動している浜崎あゆみは意欲的な挑戦を続けています。2016年5月から行われる全国アリーナツアーでは、観客によるライブ中の写真撮影OKにしてツイッターと連動させる新しい試みを行います。これまで第一線で活躍してきた浜崎あゆみの音楽への情熱はまだまだ止まりません。浜崎あゆみがこれからどんな歌を作っていくのか楽しみです!

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