武豊が勝てない!その理由は落馬が起因?引退危機が迫っている?

武豊といえば競馬界ではレジェンドともいえる存在ですが、最近なかなか勝てないと話題になっています。年間200勝を何年も達成してきた武豊が勝てないなんて、いったい何があったのでしょうか。今回その真相を調べてみることにしました。

武豊が勝てない!その理由は落馬が起因?引退危機が迫っている?

目次

  1. 最近勝てない武豊のプロフィール
  2. 武豊にとって競馬は天職?
  3. 武豊はなぜ勝てないのでしょうか。理由その1
  4. 武豊はなぜ勝てないのでしょうか。理由その2
  5. 武豊が最近なかなか勝てないと、ついには引退説まで!

最近勝てない武豊のプロフィール

生年月日: 1969年3月15日 (47歳)
出身地 : 滋賀県
国籍  : 日本
身長  : 170cm
血液型 : A型
職業  : 騎手
配偶者 : 佐野量子
親   : 武邦彦

武豊は1984年、15歳の時にJRA競馬学校に入学しました。3年後の1987年18歳になった武豊は、3月1日に阪神競馬場にてアグネスディクターに騎乗し、騎手としてデビューしました。

そして、武豊は同年3月7日に阪神競馬場にてダイナビショップに騎乗し、初勝利を挙げます。さらにJRAのG1レースでの武豊の初勝利は、1988年の菊花賞にてスーパークリークに騎乗してのものでした。

その後、1989年に米アーリントン競馬場で海外初勝利、1990年に仏ドーヴィル競馬場にてヨーロッパ初勝利、1994年には仏ロンシャン競馬場にてムーランド・ド・ロンシャン賞というG1レースを武豊は若干25歳で制し、JRAの日本騎手として初の海外G1ジョッキーとなりました。そして、1995年武豊は26歳4ケ月という若さで、史上最速・最年少で通算1000勝を達成しました。

その間、武豊は1990年には名馬オグリキャップに騎乗しこの年の有馬記念を制し、同馬のラストランを勝利で飾りました。

1997年、武豊が28歳の時、この年の年間最多勝利騎手・年間最多重賞勝利騎手に輝いています。

2005年は、武豊にとって記念すべき年となりました。名馬ディープインパクトに騎乗し、皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、無敗での牝馬3冠を達成しました。この記録は史上2例目となる快挙でした。

武豊にとって競馬は天職?

競馬にさほど詳しくない人でも、「武豊」と言えば天才騎手という4文字を思い浮かべる人は少なくないと思います。

そして、武豊が図抜けた戦績を残し競馬人気を盛り上げた競馬界の功労者であることは、誰もが認めるところでしょう。

まさに、武豊にとって騎手は天職だと言っても過言ではないのかもしれません。

このように武豊は18歳で騎手としてデビューして以来、前人未到とも言うべき輝かしい実績を挙げてきました。しかし、ここ最近、戦績はパッとしない状況が続いているようです。いったい武豊に何があったのでしょうか。

武豊はなぜ勝てないのでしょうか。理由その1

藤田伸二という騎手がいますが、彼が競馬界の実態を書いたいわゆる暴露本が出版されています。あくまでも藤田の個人的な見解ですが、この本には武豊が勝てない理由も赤裸々に綴ってありました。

藤田騎手もG1レースをトータルで16勝している有力騎手であり、武豊には及ばないまでも立派な実績の持ち主です。その藤田による裏話はそれなりに説得力があります。

藤田によると、武豊が勝てない理由の1つとして06年から競馬界に導入された「エージェント制」が挙げられるそうです。これは、騎手が騎乗する馬を競馬専門誌の記者が厩舎や馬主と騎手の仲介者となって決める制度です。

この制度によって厩舎や馬主の力が強くなり、これまでのように騎手が騎乗する馬を選びにくくなってきました。そのため武豊ほどの実績のある騎手でも騎乗したい馬を選べなくなってきたようです。

そして、力が強くなった厩舎や馬主が目先の利益を優先するあまり、実績のある騎手を簡単に切り捨て、自分たちの意向に簡単に従う若手や外国の騎手に有力馬を騎乗させる傾向があるとのことです。

その煽りを食ったのは武豊も例外ではなく、そうした状況にさすがの武豊もうんざりしたようです。さらに社台グループなど有力な競走馬生産牧場集団があからさまに武豊を批判するようになり両者の関係が次第に悪化し、ますます有力な馬に騎乗することが難しくなったみたいです。

勢いがあり勝利確実と呼ばれている有力馬でいくら下馬評が良くても確実に勝てるとは限りませんが、武豊や藤田伸二のような勝ち方を知っている手練のベテラン騎手によればその手腕によって勝率が上がるのです。

だからこそ武豊は競馬界で目を見張るような実績を残しレジェンドと呼ばれるようになってきたのに、競馬界のなかで発言力が絶大となった大手クラブや有力馬主は今になって掌を返したように武豊を切り捨てるようなことをするわけです。

これまで競馬界を盛りたててきた功労者の一人である武豊に対する仕打ちとしては、あまりにもひどいと言わざるをえません。

武豊はなぜ勝てないのでしょうか。理由その2

武豊が勝てない理由の2番目は、ずばり度重なる「怪我」です。野球や相撲など他のスポーツの世界でも良く使われる比喩として「無事これ名馬」という言葉があります。まさに競馬の世界でも同じで、無事に怪我なくレースに臨むことができることが名騎手の条件だろうと思います。

とは言え、長い競技生活の中ではどうしても怪我は避けられないと思います。特に競馬の場合、一瞬の判断ミスが重大な怪我に繋がりやすいスポーツなので長くやっていれば誰でもある程度は仕方がないことだと思います。それは既に40代後半に差し掛かり騎手生活も30年目を迎えようとしている武豊も例外ではありません。

ここ15年の間に武豊は落馬による重大な怪我を5回起こしています。01年の左手首骨折を皮切りに、02年には骨盤骨折、08年には右腕骨折、10年には左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折、右前腕裂創と複数個所の骨折により長期離脱を余儀なくされました。そして、14年に右手親指を骨折してしまい、これが5回目の重大な怪我となってしまいました。

それでも、15年には久々の年間100勝越えを達成し復活を果たしました。このようにこの15年間の武豊の騎手生活はまさに壮絶そのもので、騎手とは何と過酷な商売だと思い知らされます。下手をすると、ハリウッド俳優のクリストファー・リーブのように下半身不随になるリスクを騎手は抱えているのです。

40代後半に差し掛かり度重なる怪我に泣かされて来て、さすがの武豊も勝てない自分にジレンマを感じるようになったのでしょうか。「引退」の2文字が武豊の脳裏をよぎっても不思議ではないかもしれません。

武豊が最近なかなか勝てないと、ついには引退説まで!

武豊は、05年の年間212勝をピークに勝利数は年々減少してきているようです。そして2010年以降は200勝はおろか、100勝もおぼつかない年が続くようになりました。(2015年は106勝と久しぶりに100勝を突破しましたが)

大手クラブや有力な馬主との確執、度重なる怪我との戦いの最中、徐々に勝利数が減ってきて勝てない状況が続くとさすがの武豊も引退するのではという噂が囁かれるようになりました。

そして、武豊自身も全盛期のようには勝てないもどかしさから「引退」を仄めかすような談話を残しているようです。武豊はその実績を考えると競馬界にとってはまさに「至宝」とも呼べる存在です。このまま消えて行くのを見過ごせないと多くの競馬ファンは思っているはずで、再び華々しく復活する姿を是非見たいと思います。

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