明石家さんまの逸話まとめ!島田紳助や大竹しのぶとのエピソード

お笑いBIG3の中で変わらぬ芸風と現役感を見せる明石家さんま。旧知の中で知られる島田紳助と、元妻の大竹しのぶとの逸話がたくさんあります。明石家さんまらしい笑える逸話、らしからぬ泣ける逸話まで、明石家さんまの魅力が詰まった逸話をまとめました。

明石家さんまの逸話まとめ!島田紳助や大竹しのぶとのエピソード

目次

  1. 逸話がたくさんある!明石家さんまのプロフィール
  2. BIG3になった明石家さんま
  3. 明石家さんまと旧知の仲、島田紳助のプロフィール
  4. 明石家さんまとの逸話
  5. 明石家さんまが唯一籍を入れた女性、逸話の多い大竹しのぶのプロフィール
  6. 明石家さんまと大竹しのぶの逸話
  7. 明石家さんまのキーマンはやはりこの二人

逸話がたくさんある!明石家さんまのプロフィール

明石家さんま

本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)
出身地:奈良県
生年月日:1955年7月1日
事務所:吉本興業
同期芸人:関根勤/島田紳助/オール阪神・巨人
配偶者:大竹しのぶ(元)
子供:IMALU/二千翔

学生時代から人気者

さんまは学生時代からクラスの人気者で、常に笑いを取っていました。高校の運動会のリレーでは後ろ向きに走ったり、アンカーと口裏を合わせて仲良く肩を組んでゴールしたそうです。当然教師の逆鱗に触れ、さんまたちは正座をさせられますが、さんまはその状況すらもおかしくなってしまいつい笑ってしまいました。教師はとうとうぶち切れ、さんまは逃げ出そうとしますが、捕まえられてしまったというのがこの画像です。この画像はさんまのカラクリTVでTシャツ化もされました。

落語家からテレビスターへ

高校3年生の頃、さんまは落語の世界をめざし笑福亭松之助に弟子入りします。入門の理由として『センスがよろしいから』ととんでもなく失礼な事を言ってしまったさんまでしたが、『そらおおきに』と大きな器で受け止めてくれたそうです。しかし、なかなか落語家として上手くいかず極貧生活を強いられたさんまは当時交際していた女性と駆け落ちし、東京へ逃げ出してしまいます。しかし結果的に東京で成功せず大阪に戻ってきたさんまを師匠は快く許し、迎え入れました。

TVに出始めたさんまを気に入った横山やすし

さんまは落語がてんでダメでした。しかし天性の華を感じたマネージャーがテレビで売る事を提案。さっそく当時の大人気深夜番組『11PM』に落語家として出演。師匠から和服ではなく営業用のブレザーで出演するよう言われたさんまはさっそく笑いを取りに行きました。しかし司会の藤本義一からCM中に「テレビを分かっていない」と怒られてしまいます。しかし、横山やすしはさんまをえらく気に入り、自宅に呼んで競艇のモーター音を聞かせたエピソードが語り継がれています。

21歳になった明石家さんまは、桂三枝の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。桂三枝に才能を見出されますが、当時はかなりこってり絞られることも多かったようです。しかし、結果的に認められたさんまはなんと桂三枝の司会の後任として指名されるほどになりました。関西ローカルの番組でしたが、若者を中心にアイドル的な人気に火が付き、一躍スターダムにのし上がります。

BIG3になった明石家さんま

今でも現役!

芸能人として活躍している期間は人それぞれですが、明石家さんまは最も長い芸能人ではないでしょうか。師匠と呼ばれ、無理のない程度笑いを取るスタンスが一般的な芸人の最後ですが、明石家さんまは未だに「自分が面白いか」が気になって仕方がないといいます。世代を超えて愛される明石家さんまの笑いの裏に、旧知の仲である島田紳助、唯一結婚生活を共にした大竹しのぶとの逸話がたくさんありますので、明石家さんまの人物像を深堀していきましょう。

明石家さんまと旧知の仲、島田紳助のプロフィール

芸能界を引退した島田紳助

本名:長谷川 公彦
出身地:奈良県
生年月日:1956年3月24日
事務所:吉本興業
配偶者:一般女性
子供:娘が3人

学生時代、暴走族だった島田紳助がお笑いの世界へ

島田紳助は学生時代非常に荒れた生活を送っていたといいます。学校の窓ガラスを割ったり、校内で盗品を売りさばくのは日常茶飯事だった為、教師には「ゴミ」と言われていたそう。高校生の時に車上荒らしで少年鑑別所に送られた経験もある島田紳助。ちなみに芸能界入りした後「この学校の誇り」と言われたそうですが『ゴミも埃も変わらへん』と一蹴したそう。

18歳でB&Bに憧れ芸能界入りした島田紳助。なかなか続く相方に恵まれませんでしたが、20歳の時松本竜介と『紳助・竜介』を結成。ツッパリ漫才として人気を博しました。ダウンタウンの松本は『お笑いがかっこええと思た』と紳助・竜介の漫才を見て感動し、お笑いの世界に踏み切ったと言います。

涙もろく、寂しがり屋だが、上下関係に厳しい島田紳助

島田紳助は学生時代『泣き虫まー君』とヤンキーに似つかわしくないあだ名がつけられるなど、涙もろい事で有名です。MCを務めた『嗚呼!バラ色の珍生!!』でも度々涙を見せ視聴者の涙を誘いました。人の気持ちに同情し、なんとかしてやりたいと思う島田紳助の優しさと弱さがよく分かります。

引退直前ではヘキサゴンメンバーの頑張る姿に涙を見せる事も多かった島田紳助。世間ではバッシングも多く受けていましたが、島田紳助はとても繊細で寂しがり屋の為『仲間』を得る事でさんまの様な黙っていても人が寄ってくる『華』が欲しかったのではないかと推測します。トラブルの多かった島田紳助。2004年に女性マネージャーへ暴行し、傷害罪で訴えられた後カメラの前で謝罪し、芸能活動を自粛しています。

また、若手お笑いトリオ東京03に対し、番組収録中にパワハラをしたエピソードも有名です。いずれのトラブルも『あいさつが無い』や『入社間もないのに上に対して舐めたクチを聞いていた』など、上下関係をきちんとしなかった事に怒り、抑制が利かなかった事が原因でした。特に東京03の一件はネットを炎上させ、バッシングが続くこととなります。

国民が驚きを隠せなかった。島田紳助突然の引退

2011年8月、突如『島田紳助芸能界引退』の臨時速報が流れました。世間が騒ぐ中、引退理由を記者会見で語りました。暴力団との関係があった事が原因と言い、自分の立場で芸能界を引退する事で後輩に警鐘を鳴らしたかった、というのが理由でした。

島田紳助が引退会見を開いた直後、『どうせ戻ってくる』といった厳しい声が響く中、未だに復帰していない島田紳助。憶測にすぎませんが、当時島田紳助はとても疲れていた様に見えました。元々自分に自信がなく批判される事に反応しやすい島田紳助は、度重なるネットのバッシング、自分を慕ってくれる仲間たち、自分の周りに集まる黒い影に悩んでいたのではないでしょうか。『自分が願っていたのはこういう人生か』という気持ちと『自分を慕ってくれる仲間が出来た。しかし慕われるような人材ではない』という狭間で苦しんだ結果、という印象を持ちます。

明石家さんまとの逸話

二人の出会い

吉本入りした同期の二人は意気投合します。島田紳助はさんまを相方として誘いますが断られ、さんまに紹介された松本竜介とコンビを組むことになりました。『紳助・竜介』は前述の通り大人気の漫才コンビとなります。

二人の芸名の由来についての逸話があります。島田紳助の「島田」は師匠の名字から、「紳助」という名前はいくつかの候補の中から師匠が決めてしまったそうです。本人は『けんじ』という芸名を望んでおり、『紳助』が一番嫌だと思っていました。芸名が決まった際明石家さんまに「その名前じゃ絶対に売れない」とからかわれ島田紳助は落ち込みます。しかし、その後明石家さんまが『さんま』という芸名を貰ったと知った紳助は「こいつ終わった」と大笑いしました。

ブレイク後の二人

俺たちひょうきん族に島田紳助が出演するようになってから、紳助は開腹手術をするため入院した事があります。病名はポリープだとも、がんだとも言われていますが詳細は公表されていません。手術前の紳助をお見舞いに来たさんまは病室に入るなり、何も言わずに強く紳助の手を握りしめました。感激した紳助は泣いてしまいますが、『泣きおった!』と爆笑するさんまに「こいつはネタを探しに来ただけだった」と落胆する島田紳助のエピソードが語られています。

オレたちひょうきん族でさんまの彼女を演じていた島田紳助。実際にさんまがアパートから女を追い出し、手切れ金のお金を叩きつけた所を見た紳助は人でなしとさんまを攻めます。さんまは『次の彼氏と付き合うときに忘れられる為ひどい別れ方をあえてする』といい、紳助は『愛した女だから別れ際も優しくする』と全く別の価値観を持っています。しかし、さんまが捨てた女を慰めて付き合ったこともある紳助でした。

寂しがり屋の紳助は、よく明石家さんまの電話に留守電を残していたそうです。内容は無言であるなどいたずらが多かったのでさんまはほとんど無視していたのですが、紳助が本当に聞いてほしい話があるときの留守電には必ず折り返していたさんま。声色で相手の様子が分かっていたのでしょうか。島田紳助がさんまを大好きな気持ちが分かります。

島田紳助引退後、明石家さんまとの関係

基本『紳助のレギュラーいただき!』としたスタンスのさんま。紳助が引退会見を開いた日、さぞやマスコミが押しかけてくると待ち構えたそうですが意外にも誰も来なかったとのこと。復帰しろ!とエールは送りつつ、引退も笑いに変えたさんまを島田紳助が突っ込んでいる姿が目に浮かびます。

明石家さんまが唯一籍を入れた女性、逸話の多い大竹しのぶのプロフィール

女優としてデビュー

大竹しのぶは16歳の頃、フォーリーブス北公次主演のテレビドラマの相手役に応募し、合格した事から芸能界デビューをします。アイドルから女優と思われている方も多いと思いますが、大竹しのぶはデビューからずっと女優でした。ルックスのあどけなさ、演技力から18歳になるとNHK朝の連続テレビ小説『水色の時』のヒロインに抜擢され、知名度を上げました。当時から役作りには定評があり、初恋役の相手の名前を学校のノートに書きつづったり、坂道をケガしてもいいと思うスピードで下るなど大女優の片鱗を見せています。

大竹しのぶ、最初の結婚。二千翔出産

TBSディレクターの服部晴治と結婚した大竹しのぶは二千翔を授かります。しかし、幸せな結婚生活は5年後、夫の病死という形で幕を閉じてしまいます。

日本を代表する大女優へ

今や大竹しのぶといえば、熟年の演技派女優といったイメージが強いのではないでしょうか。歌唱力にも定評がありエディットピアフを演じたミュージカルは大評判だったそうです。ドラマ『黒い看護婦』ではサイコパスとも呼べる恐ろしい看護婦の役、「それでも、生きてゆく」での犯罪被害者の母親など多彩な役を演じ大女優と呼ぶにふさわしいポジションにいます。

明石家さんまと大竹しのぶの逸話

二人の出会い

大竹しのぶが二千翔を出産した後、久しぶりに出演したテレビ番組が『さんまのまんま』でした。当時流行っていた『ひょうきん族』のギャグ、『ぱーでんねん』で盛り上がる二人。初々しくも、お互いに(特に明石家さんまが)惹かれあっている様子がうかがえます。

実は、むかし、僕は大竹さんに某テレビ局の廊下で会ってるらしいんです。でも、申し訳ないことにホントに忘れてたんですが、大竹さんのほうは覚えていてくれたんですね。これは、嬉しかった。僕みたいなお笑いの人間を、一度会っただけで覚えていてくれるなんて・・・・・。 ≪中略≫  本番中におにぎりを握ってもらったんだけど、これは上手でした。ドラマで見るような恰好のいいおにぎりじゃなかったけど、 「うん、これがおにぎり」 と、存在感のあるすてきなおにぎりでした。

男女7人夏物語

さんまが初めてドラマの主演を果たしたのが『男女7人夏物語』です。当時お笑い芸人がドラマ、それもトレンディードラマの主役になることは史上初。大竹しのぶとの掛け合いが抜群で視聴率はうなぎのぼりとなり、二人は惹かれあっているのではといった憶測が飛び交っていましたが、大竹しのぶはその頃前の夫と結婚していたので全否定していました。夏物語の後、前夫の余命を宣告され続編である秋物語が始まる3ヶ月前に大竹しのぶは前夫を亡くしています。

明石家さんまと大竹しのぶの結婚

当時人気が沸騰していた明石家さんまが、かつてから噂のあった大竹しのぶと結婚したという報道は世間を騒がせました。今でこそお笑い芸人と女優の結婚は珍しくありませんが、当時はいくら人気があっても『女優』が芸人と結婚するなんてあまり考えられなかったのもあり、連日2人の報道がワイドショーで流れたといいます。

実は、さんまの子を流産していた

妊娠が発覚し、さんまからプロポーズを受けた大竹しのぶでしたがその後流産してしまっていた事が2006年の自伝で明らかになりました。結婚会見は、退院したその日に行ったそうです。

IMALU誕生。二人の結婚生活

待望の女の子が生まれたのは、大竹しのぶ30歳、さんま32歳の時でした。『にちか』『さんま』『しのぶ』と数字が続いていること、さんまの座右の銘『いきてるだけでまるもうけ』から『いまる』と名付けました。大竹しのぶのお母さんは名前が変わっていると反対したそうですが、お母さんの名前は『ゑすてる』だったため、さんまが納得しなかったという逸話もあります。

明石家さんまが、二千翔とIMALUに「ボス」と呼ばせている話は有名です。明石家さんまは3歳の時に母親を亡くしています。小学校高学年になると、母親の妹(叔母)と父親が再婚し、連れ子として弟が出来たため3人兄弟になりますが、義母はさんまと兄に冷たく、まるでそこに弟しか居ない様に接していました。この傷ついた経験から、さんまは二千翔に対しIMALUよりも深い愛情で接する事を心がけたそうです。『ボス』と呼ばせたのも、本当の父親ではない自分を息子の二千翔に『お父さん』と呼ばせることに抵抗があったからではないかと、自伝で大竹しのぶが語っています。

二千翔との絆

大竹しのぶがさんまとの結婚を意識したきっかけの一つが、息子『二千翔』の存在でした。幼くして父を亡くした二千翔が当時一番慕っていた人物がさんまです。さんまはIMALUが生まれた後も必ず帰ってくると二千翔から抱っこしたそう。愛情は二千翔にしっかりと伝わり、二千翔は二人が離婚すると知った時『ボスについていく』と言ったそうです。

明石家さんまの息子、二千翔は入院する程ひどいアレルギー喘息をもっていました。その日も喘息の発作が出てしまい、薬を投与しようとするしのぶとしのぶの祖母にさんまは『1日だけ時間をください』と言いました。

自分の持つ『気』の力を二千翔に送ることを決意したさんま。テレビ番組などで自分の『気』の強さに気づいたさんまは、二千翔の喘息を針とイメージし、その針を抜いていくイメージを送り続けたそうです。とんでもない集中力が必要だったことでしょう。朝には二千翔の喘息が治っていたといいます。また、驚くことに二千翔はその日から大人になった今日まで喘息の発作が一回も出ていないとのこと。二千翔の喘息はさんまの息子に対する愛情で完治してしまったという逸話です。

大人になった二千翔でしたが、なかなか彼女が出来ませんでした。大竹しのぶとIMALUに『ダサい』『センスがない』と笑われている二千翔を不憫に思ったさんま。さんまは仲のいい木村拓哉にお願いして私服を何着か譲ってもらい、二千翔にあげました。キムタクの私服を見て大竹しのぶとIMALUは大興奮。

『これかっこいいんだよね』『お兄ちゃん、着てみて!』と言い、実際に二千翔が着てみると二人は『ださーい』の大合唱だったといいます。さんまは、『二千翔は優しいのに彼女が居ないたけでここまで母親と妹にバカにされているのが不憫』と笑いながらラジオで語っていました。しかし二千翔自身も彼女を作るのは『お金がもったいない』という価値観をもっているそう。二千翔がさんまに彼女を紹介する日はもっと先の事になりそうです。

離婚

家庭に入ってほしいと思っていた明石家さんまと、女優という仕事に後ろ髪を引かれていた大竹しのぶ。写真家の篠山紀信が撮影した大竹しのぶのヌード写真集が発売された事で、亀裂は決定的になり2人は結婚4年目にして離婚という選択を選びました。同日同じ会見場で別々に離婚会見をする事になっていましたが、先に登場したのはさんまでした。額に×印を付け、離婚をも笑いに変えようとするさんまに控室が一緒だった大竹しのぶが『ばかじゃないの』といったとか。バツイチという言葉が出来たのはこの記者会見がきっかけと言われています。

『離婚までの日々は地獄の様に仲が悪かった』と話すさんまでしたが、離婚会見当日の朝『いつか、君は必ず帰ってくる』と大竹しのぶを抱きしめた…というシーンが大竹しのぶの自伝に登場しますが、どうやらこれは創作だったようです。さんまが大竹しのぶに『俺あんなこというてへん』と電話で抗議し『ああ書いた方があなたが素敵に見えると思った』と謝られたそう。

離婚後、明石家さんまとの関係

『離婚後の方が、仲良くなった』と二人とも発言するなど、離婚後の関係は良好のようです。大竹しのぶの忘年会は毎年明石家さんまが幹事をしているそう。2008年の27時間テレビでは待望の掛け合いが見られた事を皮切りに元夫婦としてお互いの事を話題にすることが増えたように感じます。あまりの掛け合いの良さに「復縁説」も浮上していますが、再婚は絶対にないとお互いが公言しています。

復縁はどうかと持ちかける鶴瓶。さんま「でもそれはないよなぁ?」大竹「うん」さんま「うんって(笑)もうちょっと遊ぼぉ(笑)」鶴瓶「ものすごー仲ええよぉ」さんま「いや仲ええんじゃない、うわべやからやなぁ?」大竹「そうそうそう」さんま「あのね、夫婦ってうわべの方が絶対いいと思う!」大竹「夫婦じゃないし」さんま「いやわかってるがな!」

明石家さんまのキーマンはやはりこの二人

大竹しのぶと島田紳助と明石家さんま

明石家さんまは単体でとても面白い芸人ですが『掛け合い』という意味では大竹しのぶと島田紳助に勝る人物は登場していません。さんまにとってもこの2人は特別な存在だと思います。また新たな逸話が生まれる日を楽しみにしています。

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