明石家さんまの弟は死んでいた?その死因や暗く悲しい過去に迫る

明石家さんまと言えば、底抜けに明るく、テンポのいいしゃべりによって多大な人気を博していますが、さんまの明るさは、壮絶な生い立ちや弟の死を乗り越えてのものでした。そんな明石家さんまの弟との関係や過去の苦しみという暗い部分を調べてみました。

明石家さんまの弟は死んでいた?その死因や暗く悲しい過去に迫る

目次

  1. 明石家さんまのプロフィール
  2. 明石家さんまの二人の母と弟
  3. 明石家さんまの弟の死
  4. 弟の死からの芸人・明石家さんまの復活
  5. 明石家さんまの弟を亡くした後の生き方
  6. 明石家さんまも九死に一生を得ていた?
  7. 現在の明石家さんまのまとめ

明石家さんまのプロフィール

名前 :明石家 さんま(あかしや さんま)
本名 :杉本 高文(すぎもと たかふみ)
生年月日 :1955年7月1日
血液型 :B型
出身地 :奈良県奈良市
身長 :173㎝
所属事務所:吉本興業
師匠 2代目笑福亭松之助
活動時期 1974年
同期 関根勤、島田紳助、オール阪神・巨人、桂小枝
配偶者 大竹しのぶ(1988年-1992年)
親族  IMALU、二千翔(にちか)

明石家さんまの二人の母と弟

明石家さんまが3歳であった頃に仲良しだった犬が腕に噛みついたことがあったそうです。噛まれた箇所は結局2針を縫う怪我になったそうなんですが、その怪我が明石家さんまの実母との生い立ちを思い出すきっかけとなったんですね。

明石家さんまの実母は、明石家さんまが生まれてすぐにといっても3歳の頃ですが、なくなったそうですね。特に死因は分かりませんが、実母をすぐに亡くした明石家さんまにとっては、実母の顔はおろか、記憶すらないんです。ただ、生まれてすぐに、明石家さんまの父である従姉の育ててもらったようですね。

そして小学校の高学年の時に、明石家さんまの父が再婚したことで、義理の母がやってきました。けれども、この義理の母があまり良い人ではなかったそうです。

また、この義理の母には連れ子がいて、これが明石家さんまの義理の弟となったわけですが、義理の母は、明石家さんまの寝ている部屋の隣の部屋で酒をあおり「うちの子はこの子(弟)だけや」と言って義理の弟だけを特別扱いしていたのです。

明石家さんまは血がつながらないとはいえ小さな弟をかわいがっていたが、壁越しに聞こえて来る言葉に、明石家さんまは心を痛め、ベットでたびたび泣いていたと、明石家さんま本人が語っています。

それでも義理の母と仲良くしたくて、毎日必死で面白いことを考え、義理の母を笑わせようとしていた明石家さんまだったそうです。ですから、明石家さんまは酒飲む女の人が苦手と言われています。芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、今も本質的に酒は好きじゃないのではないかと実兄が言っています。

そんな生い立ちに裏打ちされた明石家さんまの名言がこちらです。「やろうとすればできんねん。人間みたいなもんは」「優しさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている」。明石家さんまの凄すぎる生い立ちを知ると、こういった名言にさらなる深みを感じます。

明石家さんまの弟の死

あまりにも若くしてなくなった弟について明石家さんまは「(弟は)ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、(弟は)すべて正しいと思っていたみたいですよ。(弟は)自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビ(弟)のほうがすごいんですよ。」

「(弟は)サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。去年の10月、大阪のぼくのマンションに(弟が)遊びにきた時、今度のワールド・カップを(明石家さんまと弟の)ふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。まだ納得できません。あのチビ(弟)が死んだなんて……」

悲しいことで泣くことは2度とない、と言っていた明石家さんまです。弟の死が一生のうちで一番悲しいということであり、これからもそれは変わらないということですね。当時の週刊誌は、明石家さんまさんの弟の死因を、残酷過ぎる内容で載せていました。「19才の弟は焼死自●だった?」とのタイトルが踊るようになり、さらに明石家さんまを苦しめました。

いまだに不明な弟の死因について、当時の明石家さんまは、「あいつ(弟)は自殺するような人間やない・・・もし(弟が)自殺するほど苦しんでいたら、ぼくにひとこと相談したはずや・・・」と泣きながら語ったのだそうです。

かわいがっていた弟の突然の死でした。大事な弟を亡くして悲しくないはずがありません。あの弟が自分に何の相談なしに自殺なんてするはずがないと思うのも当然ともいえます。

弟の死からの芸人・明石家さんまの復活

弟の死に大きなショックを受けた明石家さんまは、一時は芸能界の引退を考えるほど、笑いが取れなくなってしまったのです。そんな弟を亡くし傷心の明石家さんまを元気づけてくれたのは、同期のオール巨人でした。

彼は舞台上で「お前(明石家さんま)んち兄弟が焼いたらしいな」とつっこみを入れたのでした。普通なら弟のこのような言われ方に明石家さんまが「なんてこと言うんだ!!」と怒りそうなものですが、そこは舞台でのこと、弟を亡くし立ち上がることができずにいる明石家さんまに対して彼なりの最大の励ましだったのでしょう。

その意味を明石家さんまも理解できたようで、「そや、材木切れたから代わりに焼いたんや」とボケて返し、結果的に舞台は大盛り上がりだったそうです。舞台終了後、明石家さんまはオール巨人に「ありがとう。これで芸人辞めんですむわ」涙を流しながら感謝したといいます。やっと弟の死から立ち上がることができた瞬間でした。

明石家さんまの弟を亡くした後の生き方

それまでの生い立ちがあったからこそ明石家さんまは、元妻・大竹しのぶの連れ子である二千翔に気を使ったそうです。子供らに明石家さんまのことをボスと呼ばせてるのも二千翔に対する気遣いらしいでした。

明石家さんまは家に帰ってくるとイマルより先に二千翔に触っていました。また、二千翔さんは幼い頃虚弱体質で、喘息でよく入院することもあったそうです。そんな入院中の二千翔さんに明石家さんまは「薬なんか飲んだら、身体が弱くなるだけや!おれが治したる!」と、一晩中二千翔さんの手を握っていたことがあるとのことです。

明石家さんまと大竹しのぶの離婚の話になった時、息子である二千翔は「ボス(明石家さんま)のほうに付いていく」と言ったほど、明石家さんまに懐いていたという。成長した二千翔は慶應に進学し、今は学生時代の友人と起業したそうです。

明石家さんまが大竹しのぶの話をよくするのは弟の死を含めたツラすぎる生い立ちの話をしないためのバリアみたいなもので、明石家さんまはプライベートの話をしてるようでしていないと付き合いの長い浅田美代子が発言していた。

明石家さんまも九死に一生を得ていた?

1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故の悲劇がありました。その当日の日本航空123便に、フジテレビ(東京)から毎日放送(大阪)に移動するため、明石家さんまは乗る予定だったのだそうです。

ところが、明石家さんまはたまたまフジテレビでの「オレたちひょうきん族」の収録が予定より早く終わったため、一つ前の便に乗ることになり、難を逃れたのだそうです。明石家さんまは、事故当日のラジオ番組(生放送)で、ほとんど喋れないほどショックを受けたそうです。明石家さんまは、それ以来、移動のほとんどを、飛行機ではなく新幹線を利用するようになったのだそうです。亡くなった明石家さんまの弟さんが助けてくれたのかもしれませんね。

現在の明石家さんまのまとめ

明石家さんまはよく『生きてるだけでまるもうけ』という言葉を使いますが、その陰にはこのような明石家さんまと義理の母との確執、弟の死といったツラいエピソードが隠れていたのですね。意外と言えば意外ですが、明石家さんまの明るさ、優しさをささえていたのはこのようなツラい生い立ちだったのですね。芸能界という場所で長い間輝き続けるには、うわべだけでない、明石家さんまのようなこういった経験から生まれた強さが必要ということでしょうか?
明石家さんまにはこれからも長く長く輝いていてもらいたいものです。

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