坂本勇人と母親との絆に感動!他界した母親とのエピソードとは?

巨人のキャプテンとしてチーミを引っ張る坂本勇人さん。普段はチャラいと言われる坂本勇人さんですが、実の母親との思い出が感動的と噂です。というのも坂本勇人さんの母親はプロ入り後すぐに他界されたようです。坂本勇人さんと母親の絆について見ていきましょう。

坂本勇人と母親との絆に感動!他界した母親とのエピソードとは?

目次

  1. 日本球界の宝・坂本勇人〜母親との強い絆とは〜
  2. 母親との思い出の日々。坂本勇人のプロフィール
  3. 高校は母親の元を離れた坂本勇人。プロへの階段を駆け上がる
  4. 母親の余命宣告。それでも坂本勇人は奮起
  5. 母親の死をバネに日本を代表するバッターに!
  6. 母親への感謝を胸に坂本勇人は飛躍へ!

日本球界の宝・坂本勇人〜母親との強い絆とは〜

今や日本を代表するプロ野球選手として活躍する、読売ジャイアンツの坂本勇人さん。端正なルックスと愛くるしい笑顔と反し、天性の内角打ちを武器にチームをけん引するキャプテンです。2015年から伝統の読売ジャイアンツのキャプテンとしてチームを引っ張っている坂本勇人さん。己をプレッシャーのある立場に立つことでより日本球界を引っ張る選手として成長している坂本勇人さんですが、実は非常に感動的な話が噂になっております。

それは坂本勇人さんと坂本勇人さんの母親の間にある強い絆の話です。実は坂本勇人さんが1年目の夏に母親が若くして他界されました。それ以来坂本勇人さんの中である感情が芽生えたようです。今回は坂本勇人さんと母親の間にある絆について見ていきたいと思います。

母親との思い出の日々。坂本勇人のプロフィール

それでは巨人のキャプテンに成り上がるまでの坂本勇人さんについて見ていきましょう。実は生い立ちが今の坂本勇人さんをつくっております。

坂本勇人さんは1988年の12月に誕生しました。父の喜代三さんは食肉卸を営んでおり、アメリカに大きな牧場を持っているようです。母親の輝美さんはそんな坂本勇人さんを大事に育てていったようです。

小学校時代は昆陽里タイガースという野球チームに所属しており、ピッチャーを務めていたようです。ちなみにそのときのキャッチャーが現在メジャーで活躍する田中将大さんだったというから驚きですよね。

当時は坂本勇人さんがセンスマンで、田中将大さんが努力家と言われており、お互いに負けず嫌いを発揮していたようです。実は坂本勇人さんは箸やペンなどの利き手は「左」なのですが、母親が坂本勇人さんのお兄さんが使っていた「右」用のグローブをあげたことが、今日の右投げの坂本勇人をつくるきっかけとなったようです。

当時お互いにバッティングを競っていたようで、右打席・左打席とどちらが飛ばせるかを勝負していた坂本勇人さんと田中将大さん。左利きの坂本勇人さんがどうしても左打ちで田中将大さんに勝てなかった時があり、その時母親が「右打ち一本にしたら?」と助言したようです。するとみるみる右のほうがよかったのか成績を上げていき、最終的に右打ちに固めることになったようです。

中学時代は伊丹シニアに所属していた坂本勇人さんですが、母親も試合や練習の移動を積極的に買ってでたようで、時には大きな車に何人ものチームメイトを運んであげていたとも言われている、まさにスーパーお母さんだったようです。そんな母親を坂本勇人さんは恥ずかしながら誇りだったそうです。

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高校は母親の元を離れた坂本勇人。プロへの階段を駆け上がる

そんな幼少期を過ごし、坂本勇人さんは高校を親元を離れることになりました。プロを目指しより全国に近いチームへの進学を決めた坂本勇人さん。兵庫県出身の坂本勇人さんは、全国大会のある甲子園に非常に近い場所にいたにも関わらず、遠い北にある青森県の光星学院高校に進学することになりました。全国に出やすい高校でアピールをしたかったためです。まだまだ甘えたい年頃で、寮生活を始めることになりました。

しかし高校時代はチームとしては3年の春に出場した選抜大会以外、全国大会には出場することができませんでした。しかしながら恥ずかしがり屋の坂本勇人さんは皆が寝静まったよるに、寮のドア窓に映る自分を鏡にして素振りを繰り返していたようです。センスマンと呼ばれた坂本勇人さんはこのように1人隠れて努力を重ねていたようです。

そんな甲斐もあり、2006年の高校生ドラフトでは読売ジャイアンツから1位指名をもらいました。この時、小学時代のライバル・田中将大さんが皮肉にも他球団競合の末に楽天への入団を決めているなど非常に悔しいなかでの指名でした。中央球界ではあまり名が通っていなかった坂本勇人さんを、当時から目を付け一本釣りした巨人はまさにあっぱれと言えましょう。

母親の余命宣告。それでも坂本勇人は奮起

そんなドラフト会議の時を同じくし、坂本勇人さんの母親にが医師よりある冷酷な宣告を受けることになりました。末期の小腸癌で余命数ヶ月と宣告されたのです。無事プロ野球選手となった坂本勇人さんですが、内心ショックを隠せなかった母親の余命宣告。誰よりもプロ入りを願っていた母親であったこともあり、非常に悩んだようです。

しかしながら坂本勇人さんは1年目より首脳陣に目をかけられながら2軍でじっくりとプロ野球のレベルに馴染んでいきます。するとシーズンが始まり、2軍のレギュラーとして活躍していきます。

そして坂本勇人さんは、2軍戦ではあるものの母親含め両親を試合に呼びました。そして見事にその試合でホームランを打ったのです。これには母親も大喜びでした。試合後の坂本勇人さんはインタビューに「母親も長くはないのでホームランを見せることができよかった」とコメントを残しております。

その約1ヶ月後に母親の輝美さんが他界されました。しかし思い返すと母親を呼んだ試合できっちりと結果を残す坂本勇人さんに、母親との強い絆を感じずには入られません。

母親の死をバネに日本を代表するバッターに!

坂本勇人さんは母親の死をバネに活躍していきます。1年目の後半には1軍に昇格し、2年目からは1軍に定着した坂本勇人さん。10代で巨人のショートレギュラーとして活躍していった坂本勇人さんはチームにはなくてはならない存在となっていきます。

そんな坂本勇人さんですがファンサービス旺盛で、試合前はファンとキャッチボールをしているシーンを目撃します。また坂本勇人さんは児童養護施設などに寄付をしたり、訪問し慰労するなど慈善活動にも積極的です。

というのも坂本勇人さんは母親の存在が一番影響を与えているのでしょう。母親がいない孤児が多くいる児童養護施設に対する支援をしているところを見ると、母親の大事さを一番考えているということでしょう。母親への感謝を込めて、坂本勇人さんは慈善活動を続けるようです。子供が大好きな坂本勇人さんはオフに児童養護施設を訪れ、交流を図っているようです。

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母親への感謝を胸に坂本勇人は飛躍へ!

天国の母親に勇姿を見せ続けられるよう、坂本勇人さんはプロ野球選手として飛躍を続けます。母親との間に強く結ばれた絆は今でも切れることなく坂本勇人さんの原動力に繋がっているようですね。

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2022-01-17 時点

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