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酒井法子の壮絶すぎる生い立ちまとめ。父親も覚醒剤で逮捕されていた
かわいい外見とは裏腹に酒井法子の生い立ちは本当に壮絶です。酒井法子の数奇な生い立ちをまとめると酒井法子を覚醒剤に手を出させた孤独感がかなり深かったことが分かります。最近芸能活動をしている酒井法子ですがその壮絶な生い立ちに負けず再び這い上がれるのでしょうか?

目次
- 壮絶な生い立ちの酒井法子
- 酒井法子の不幸な生い立ちとは?
- 酒井法子の壮絶な生い立ち①父親が服役中に誕生
- 酒井法子の壮絶な生い立ち②母親の駆け落ち
- 酒井法子の壮絶な生い立ち③実の母親に捨てられる
- 酒井法子の壮絶な生い立ち④育ての親を転々とする
- 酒井法子の壮絶な生い立ち⑤両親の離婚と母親の不審死
- 酒井法子の壮絶な生い立ち⑥育ての親から衝撃の告白
- 酒井法子の壮絶な生い立ち⑦継母との暮らし
- 酒井法子の壮絶な生い立ち⑧実の父親は暴力団組長
- 酒井法子の壮絶な生い立ち⑨父親の不審死そして天涯孤独に
- 酒井法子の生い立ちは本当に数奇だった
- 酒井法子は壮絶な生い立ちから這い上がった
- 酒井法子は”堕ちたアイドル”へ変貌した
- 酒井法子は再び芸能活動を始めている
- 壮絶な生い立ちの酒井法子の人生は波乱万丈そのもの
壮絶な生い立ちの酒井法子
酒井法子
生年月日:1971年2月14日
出身地:福岡県福岡市
職業:女優、歌手
愛称:のりピー
酒井法子の不幸な生い立ちとは?
可憐な外見で歌手や女優として人気のあった酒井法子の生い立ちが壮絶すぎるのはご存知でしょうか?酒井法子の生い立ちをまとめましたが、かわいい酒井法子の生い立ちがこんなにも壮絶だっとは想像を絶します。
酒井法子の壮絶な生い立ち①父親が服役中に誕生
酒井法子が生まれた当時、酒井法子の父は覚醒剤所持で逮捕され刑務所の中に居ました。酒井法子の壮絶な生い立ちはここから始まります。
酒井法子の壮絶な生い立ち②母親の駆け落ち
酒井法子の父親の服役中に酒井法子の母親は寂しさからか若い男と駆け落ちしてしまい、実の母親との生き別れとなりました。我が子を捨てていくなんてひどい話ですが、酒井法子の母親もまた不幸な生い立ちだったのかもしれませんね。
酒井法子の壮絶な生い立ち③実の母親に捨てられる
酒井法子の母は、まだ乳児だった酒井法子を夫の実家のある佐賀県の山中にある寺に置いていきます。つまり、酒井法子は捨て子になってしまったのです。まだ乳児で記憶がおぼろげとはいえ、母親に山で捨てられるという事実は子供の心を深く傷つけますね。
酒井法子の壮絶な生い立ち④育ての親を転々とする
寺に捨てられた酒井法子はその後、父親の妹に引き取られます。その後叔母の住む家で育てられることになり、一時は埼玉と九州を行ったり来たりすることもあったようです。育ての親を転々する生い立ちは幼少期の酒井法子にその後大きな影響を与えることになります。
酒井法子の壮絶な生い立ち⑤両親の離婚と母親の不審死
その後酒井法子の父親と母親は離婚が成立しました。ところがその後、酒井法子の母親は自殺にみせかけて殺されてしまいます。詳細は調べても分かりませんでしたが、自殺にみせかけた他殺と明らかになっているとは普通では考えられないことですよね。酒井法子はこんな事実を後になって知った時、恐怖感と不信感でいっぱいになったのではないでしょうか。
酒井法子の壮絶な生い立ち⑥育ての親から衝撃の告白
酒井法子はそんな生い立ちの中、育ての親を実の母と思っていたそうです。しかし7歳の時に父親が再婚する際、「自分のこどもではない」と告げられ、父親と再婚相手が暮らす福岡県に移ります。慕っていた人からは拒絶されたように感じ、転校することになるとは、7歳にして気苦労が多かったんですね。
酒井法子がその半生を振り返った自叙伝『贖罪』(朝日新聞出版)によれば、7歳までは伯母のことを本当の親だと思っており、ある日突然「おまえはウチの子じゃないんだよ。本当の父親が引き取りたいと言っているけど、法子はどうしたい?」と告白された壮絶な過去を振り返っている。
酒井法子の壮絶な生い立ち⑦継母との暮らし
画像の両端に写っているのが、酒井法子の父親とその再婚相手です。酒井法子の父親はその後また離婚し、別の女性と再婚したのですが、酒井法子は新しい継母と暮らすことになりました。しかし酒井法子は父親にも義母にもなかなか心から甘えることができなかったそうです。家庭環境がめまぐるしく変わる中、酒井法子が安らげる時間なんてなかったのではないでしょうか。一度でいいから普通の家庭の暮らしをできていたら良かったですよね。
父親は常に身近におらず、慕っていた人からは「自分の子供じゃない」と言われた酒井法子の幼少時代は寂しい気持ちでいっぱいだったことでしょう。自分を守ってくれて信頼できる大人が傍にいない生い立ちから寂しさはなかなか癒えず、酒井法子が大人になってからも様々な所で影響を及ぼすことになります。
皮肉なことに、この苦労の絶えない生い立ちが芸能界では役に立ってと、酒井法子は後に語っているそうです。父親や大人の顔色を常に窺っていた為、芸能界でも人の気持ちに敏感に対応できていたとのことです。常に大人の顔色を窺わないといけないという生い立ちは壮絶ですが、その生い立ちをうまく活用して芸能界でトップアイドルになれたのですから、酒井法子はたくましく活躍できていたんですね。
酒井法子の壮絶な生い立ち⑧実の父親は暴力団組長
実は酒井法子の父親・酒井三根城(金三根城)は暴力団関係者です。山口組系、伊豆組酒井組の組長でしたが、覚醒剤の販売が主な稼業という極悪な荒稼ぎだった為に破門され、山梨県で闇金融を営むことになったそうです。酒井法子の父親はどこまでも非道な人だったんですね。捨て子になった酒井法子の生い立ちは哀しいものですが、酒井法子の母親が逃げ出した気持ちもわからなくはありません。
ちなみに酒井法子の父親の葬儀の際、葬儀委員長を務めてくれたのがサンミュージックの相澤秀禎氏です。不幸な生い立ちの酒井法子ですが、苦労した分救ってくれる存在がいたのも事実です。
酒井法子の壮絶な生い立ち⑨父親の不審死そして天涯孤独に
酒井法子が共に暮らした父親は平成元年5月に山梨県の高速道路で事故死します。肉親が亡くなり、酒井法子は身寄りがなくなってしまいました。
事故当時の画像です。酒井法子の父親は新しい妻の車に乗っていたそうです。覚醒剤を使用して精神不安定の中で起きた自暴自死ともいわれていますが、不審な点が多く闇社会の闘争も噂されています。
父親が亡くなった当時のニュース画像です。実の父親を”育ての親”としているこのテロップからも酒井法子の複雑な生い立ちがうかがい知れます。
酒井法子の生い立ちは本当に数奇だった
酒井法子の壮絶な生い立ちぶりを順に追ってまとめましたが、本当に数奇すぎます。父親の服役、捨て子、若くして天涯孤独、そして父親は極道と、哀しい生い立ちを一身に集めたような酒井法子ですが、よくぞトップアイドルになるまで無事に育ちましたね。こんな情報がでるまでは、可憐な外見の酒井法子の生い立ちがここまで壮絶のものと誰もが思っていませんでした。しかし酒井法子の波乱万丈さはまだまだ続きます。
酒井法子は壮絶な生い立ちから這い上がった
酒井法子は福岡県市立大名小学校を卒業、福岡市立舞鶴中学校に進学し、14歳から芸能界のオーディションを受け始めます。
酒井法子の父親が福岡の朝鮮差別部落出身という噂もありますが、部落差別があったために酒井法子はオーディションに合格できなかったそうです。自分自身には非が無くても親の出身地次第で人生が変わってしまうことほど理不尽なことはありませんよね。
昭和60年に行われた「'86ミスヘアコロンイメージガールコンテスト」で酒井法子はBOMB!賞を受賞しました。本来このBOMB!賞というものは存在していなかったのですが、酒井法子の力量を試したいと、芸能事務所サンミュージックの専務が見染めて急遽用意された賞です。ここから酒井法子はトップアイドルへと導かれていきます。
酒井法子は芸能界に入ると事務所社長の自宅で下宿生活を始めました。当時サンミュージック社長だった相澤秀禎社長は「芸能界の良心」と言われるほど人情のある人で、酒井法子のことも芸能界のことを教えながらわが娘のように大切に育てたそうです。
酒井法子の下宿生活は4年間でしたが、本当の肉親らしい愛情に包まれた貴重な時間だったのではないでしょうか。
「愛されたいという気持ちは、小さいころからずっと持っている。相手が何を喜ぶのかと、いつも一生懸命に考えていた。アイドルやタレントとして突っ走ってこられたのも、自分が愛されたいと思っていたからだと思う」
酒井法子が自分の欲を抑えてただひたすら愛される為に動く本能を備えられたのは、壮絶な生い立ちがあったこそともいえます。
酒井法子本人には咎の無いものの、その生い立ちでだいぶ苦労しましたが、それでも親のことを決して悪く言わなかっといいますから酒井法子の人間性は立派ですね。生い立ちに負けず芸能界で活躍できて本当に良かったです。
可憐な顔立ちの酒井法子は清純派としてトップアイドルに上りつめましたが、壮絶な生い立ちの影響か常にどこかしら寂しい雰囲気がつきまとっていたようにも思えます。ドラマ「星の金貨」では、耳と口が不自由な孤児の役を演じましたがハマり役でした。この「星の金貨」の主題歌「碧いうさぎ」は酒井法子初のミリオンセラーとなります。
碧いうさぎ ずっと待ってる 独りきりで震えながら 淋しすぎて 死んでしまうわ 早く暖めて欲しい
この切ない歌は、壮絶な生い立ちを経験した酒井法子だからこそ歌いこなせたのでしょう。両親を恨むことのなかった酒井法子には独特の透明感がありますが、同時に寂しさも持ち合わせています。
酒井法子は”堕ちたアイドル”へ変貌した
酒井法子も大人になり愛するパートナーに寄り添うことになりますが、ここから彼女の人生が狂いだします。
そのうち酒井法子は、自称プロサーファーの高相祐一と結婚します。子供も生まれ、不幸な生い立ちの酒井法子が自分の家庭を作ることができたのですが、次第に歯車が狂っていきました。
プロ意識の高かったはずの酒井法子の奇行が目立つようになっていきます。なにやら毒々しいタトゥーが足首に入っています。酒井法子は足首だけでなく、太ももなどにもタトゥーを入れているそうです。
清純派だったはずの酒井法子の髪型にも異変が出ました。髪の毛の染め方が特殊すぎてマスコミに取り上げられたこともあります。なんとなく顔つきもきつくなっていた気がします。
その他にも、仕事に遅刻したり、話し方がおかしかったり、酩酊状態で叫んだりと酒井法子の異変が目立つようになりました。
酒井法子が車で逃走の上、覚醒剤使用で逮捕された時はとても衝撃的でした。父親と同様の覚醒剤で逮捕されるなんて皮肉な運命としかいいようがありません。
どんなに人情のあるスタッフに支えられ、アイドルとして歓声を浴びても、幼少のころから深い孤独感を感じていた酒井法子は覚醒剤から抜け出せなくなります。大人になっても酒井法子を寂しさで蝕むほど、壮絶な生い立ちは悪影響を及ぼしたようです。
不幸な生い立ちだったとはいえ、覚醒剤だけには絶対に手を出してはいけません。覚醒剤使用の行きつく先は”廃人”です。自分がそんな目に遭わないようにする為にも自分の意志できっぱり断らなければいけません。
覚醒剤での逮捕を受けて酒井法子は涙ながらに謝罪をします。周囲を裏切ることはもうないと、夫と別れて新たに出直すことを誓いました。その後酒井法子は介護の勉強をスタートします。
両親そろって覚醒剤依存となっていた家庭で育った酒井法子の子供が心配ですね。もう高校生になっているとのことですが酒井法子の負の連鎖が子供につながらないよう願っています。
酒井法子は再び芸能活動を始めている
恩人相澤氏の提言もあり介護の勉強を始めた酒井法子でしたが、色々な事情で断念し現在は再び芸能活動をしています。3件300万円ともいわれる高額なパチンコ営業で国内を回り覚醒剤逮捕で生じた賠償金(約5億円)もほぼ完済の見込みと言われています。壮絶な生い立ちを経験した酒井法子は5億円の賠償金も自分の努力で解決できるのだからすごいです。
「中国での知名度は想像を絶するほど大きい。2009年の覚醒剤事件は中国でも連日報じられ、『かわいそうだ』『こちらに来て』など擁護の声が続出。復帰後も、一昨年には中国最大ネットサイトの『アジア最注目女優大賞』を受賞するなど相変わらず人気です」と芸能関係者
アジア圏で歌手活動をしたりと持ち前の人気ぶりを発揮しています。アジア路線に活路ができたことにも酒井法子は事務所に感謝しなければいけませんね。それにしてもここまで激しい浮き沈みを経験するのも稀有ですね。
国内のサポート体制もシッカリしていました。事件の影響で所属していたサンミュージックとの契約は解除になったものの、元同社のマネジャーが立ち上げた会社が拾ってくれた。この事務所が過去の怪しい人脈をシャットアウトし、細かい営業を地道に続けさせたことが16年ぶりのコンサートにつながったと
持ち前の努力と愛想の良さでじわじわと酒井法子の人気が再燃しつつあります。覚醒剤に対して厳しい態度で臨む日本の芸能界で酒井法子がまた輝ける日はくるのでしょうか?
壮絶な生い立ちの酒井法子の人生は波乱万丈そのもの
酒井法子の生い立ちは”壮絶”という言葉では言い表せないほど不幸な生い立ちでした。その生い立ちに負けず芸能界で活躍した酒井法子でしたが、父親と同様覚醒剤に手を出してしまったのが本当に悔やまれます。しかしその生い立ちから得た努力家な性格で再び芸能界復帰できるのか気になる人も多いようです。酒井法子が本当の意味で生い立ちに打ち勝ち、自身が納得できる充実した人生を送れるように願っています!
壮絶な生い立ちの酒井法子の現在は?

