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XJapanのHIDEの死因は事故死?それとも自殺?死因の真相
ヴィジュアル系の先駆けの一つであるロックバンドX japan。そのギタリストだったHIDEが急逝したニュースは多くの国民に衝撃を与えました。HIDEの死因は?命日は?今回は、HIDEの生前の軌跡を追いながらその死因と命日に何が起こったのかをまとめました。

目次
生きた伝説。X japanとHIDE
1998年に、突然XJAPANで活躍したHIDEはこの世を去ってしまいました。XJAPANのギタリストとして超絶人気を誇っていた彼だけに、XJAPANのファンの間では(現在でも)その他界を惜しむ声がつんざくほどに聞かれています。まさにロックシーンを塗り替えるほどの伝説的なロックバンドXJAPANだけに、その中でもYOSHIKIやTOSHIと人気を二分していたHIDEも伝説に生きた男として死後も人気を呼び続けています。現在でも多くのロックファンのハートを揺さ振る魅力的・伝説的な存在になっています。
X japanとは
Xjapanとは、日本のヴィジュアル系ロックバンドとして1986年頃からミュージックシーンで活躍し始め、それまでの定形的なロック業界の商業的主義を一網打尽にするほどの魅力的なパフォーマンス性・勢いを持ち、日本のロックを塗り替えたバンドとして知られます。メンバーはHIDE、TOSHI、TAIJI、YOSHIKI、PATAの5人が知られていますが、これに加えて旧メンバーも設定されており、全員を合わせると15人ほどのメンバーとなります。ロック、ヘヴィメタル、グラムロック、パワーメタルなどのいろいろな音楽ジャンルが認められ、柔軟性の高いバンドとして知られます。
HIDEのプロフィール
さてここからは「HIDEのプロフィール」に焦点を当てる上で、HIDEについてのいろいろな情報を多角的に見ていきましょう。HIDEは旧メンバーからの在籍ではなく新メンバー入りからの活動を主としており、1989年にリリースされたアルバム『BLUE BLOOD』で初めてメジャーデビューを果たしました。愛称・通用は「ヒデくん」、「ヒデちゃん」で知られており、仲間内でも非常に頼られる存在としてその存在をアピールします。歌手活動をする上でもファンの人気が抜群に高く、XといえばHIDE、といった風潮もいっときありました。
HIDEの本名
HIDEの本名ですが、これは松本秀人(まつもとひでひと)という一般でもありふれた名前です。HIDEという名前はこのXjapanだけではなく、他にもいろいろなロックバンドでも同姓同名の人がいますが、中でも「HIDE」の知名度が一番高いのは彼でしょう。
HIDEの生年月日(年齢)
HIDEの生年月日は1964年12月13日で、死去した際には33歳という若さでした。1964年(昭和39年)と言えば日本麦酒がサッポロビールに社名変更した年度だったり、ビートルズが初訪米した年でもあり、他にもいろいろな目覚ましいできごとがありました。
HIDEの出身地
HIDEの出身地は神奈川県横須賀市です。この横須賀出身の芸能人は他にも多くいるので、馴染み深い土地ともいえるでしょう。歌手活動を始めてからは主に東京での暮らしをベースにし、他にも各地を転々とする毎日を送っていました。HIDEの人気ぶりがあまりにも高かったので、このHIDEの活躍をもってさらに神奈川勢の知名度(芸能人の知名度)も格を上げた経緯も見られます。
HIDEの担当楽器
これについては先述でもご紹介しましたが、HIDEのメイン担当楽器は主にリードギター、エレキギター、場合によってベース担当という形で、その影響性にはザ・クラッシュ、アイアン・メイデン、ディープ・パープル、ヴァン・ヘイレンなどが見られます。特に繊細なタッチで弾くような即興風の弾き方をはじめ、グラムロックでよく見られる重低音がはっきり効いた重厚な演奏を得意としており、メンバー入りした時点からこの担当楽器への信頼性は非常に厚いものでした。
HIDEの経歴
さてここからは「歌手活動を始めてからのHIDEの経歴」をメインにご紹介していきます。HIDEは主に洋楽に影響された経緯を持ち、その実力を日本人離れした多面的な魅力をもって奏でる傾向が強く見られ、そのトーンがファンの間でも非常に人気を博します。HIDEがソロでリリースしたアルバムも何本かあり、その中でも(日本のロック界を代表するほどの)かなりの名曲が認められるのも、HIDEの人気が半永久的に低下しない大きな土台となっているでしょう。HIDEが後に影響を与えたミュージシャンも数多くおり、主にマリリン・マンソンなどの外国のミュージシャンにもその影響を与えるほどの活躍ぶりです。
HIDEの名曲の数々
HIDEの名曲と言えば、シングル・アルバムを問わずに「ファン1人1人の心を貫くほどの魅力がある曲」はすべて名曲とされる勢いを持ち、その上で洋楽と邦楽の間をかいくぐっていく新たな路線の楽曲に目覚めたことも、HIDEの大きな功績とされています。1993年8月5日にリリースされたシングル『EYES LOVE YOU』から1998年5月13日にリリースされた『ピンク・スパイダー』までの楽曲は、すべてファンの間で支持率が高く、それ以降にリリースされた曲のほとんども高い人気を誇ります。さらに2000年にリリースされた『hide BEST 〜PSYCHOMMUNITY〜』は伝説的な人気が今でもあります。
HIDEが与えた影響
先述でもご紹介しましたように、HIDEの音楽性・パフォーマンス性は日本国内だけでなく、世界規模での影響力を持つというほどの、いわゆる「ヴィジュアル系ロック」の先駆けと言われています。マリリン・マンソンはHIDEがまだ無名時代からの大ファンだったということで、そのマリリン・マンソンが活躍していたアメリカロックシーンを彩る多分野でも、その影響性が広く浸透する形で認められます。HIDEが与えた影響として最も大きなものは「ソロで活動する際に見られる繊細さとロックパワーとの融合性」で、これはそれまでになかった日本ロックの財産とされます。
骨髄バンクの知名度への貢献
これはHIDEのファンの1人であったある少女が難病に罹っており、彼女のために支援団体を通じて、チャリティー的なコンサートを開催したことに大きな背景・土台があります。彼女は当時からHIDEの大ファンであり(同時にXjapanの大ファンでもある)、ライソゾーム病という難病に罹っていた彼女は「死ぬまでの間になんとしてもHIDEに会いたい」と希望しており、そのことを彼女の母親からHIDEは直接聴かされました。それからHIDEはそれまで予定していたプランをすべてキャンセルし、彼女の元を訪れ、HIDEからの直接の励ましを受けた彼女は奇跡的に回復しました。
HIDEの自殺ニュースが流れた当時について
HIDEの自殺ニュースが流れた当時についてですが、この真相は今も謎に包まれています。確かにHIDEが他界した当初は「自殺」と報道された記事がいくつか見られましたが、その自殺を証明できる根拠が乏しく、今でも自殺説は憶測に過ぎない状態です。メディアとしてはこのような報道を大々的に(耳目を集めるように)報道する義務があったため(これは今でも同じ)、「事故死」や他の死亡説を唱えるよりも、「自殺」としたほうがスクープ性が高いことになり、その点が指摘された経緯もありました。しかしいずれにせよその死因についてはわからない部分が多いままです。
HIDEの死因が自殺と報道された理由
これについては1998年5月20日の朝7時半頃に、当時、婚約中だった相手によって発見された状態が有力説となっています。その婚約者によると、「(当時HIDEが住んでいた)自宅マンションの寝室にてドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっている」という報告を受けて、そのまま病院搬送されましたが、その後の午前8時52分に死亡が確認されました。これによって、現場状況から自殺が想定されましたが、その状況に至るまでの過程からは自殺の根拠が乏しく、裏付けとしては不十分な経緯も見られています。
突然の悲劇!HIDEの命日と死因に迫る①
1998年5月1日に、HIDEはSpread Beaverのメンバーと一緒にフジテレビ音楽番組である「ロケットパンチ」の収録を行なっていました。この時の報道がHIDEの生前に収録した最後の番組になっています。そして、その番組の打ち上げでHIDEは他の仲間と一緒に思いきり酒を飲み明かし、その泥酔した状態でHIDEはマネージャーの弟が運転する車で自宅マンションまで送られました(その時に婚約中だった彼女も共に居たのでしょう)。そして5月2日の朝7時半頃に、HIDEはその自宅マンションの寝室のドアノブにタオルを掛け、自分の首を吊った状態で発見されました。
早すぎたHIDEの死。死因と後追い騒動と残されたメンバーと。
何とも早すぎるHIDEの死に、他のXjapanのメンバーはもとより、Xjapanをそれまで支持し、熱狂的だったファンの間でも多くのショックが広がりました。中には後追い自殺するファンも多くおり、その魅力がどれほどのものであったかがうなずけます。それまでにも熱狂的ファンに支持され続けたアイドルや歌手、また俳優・女優などの死によって後追い自殺するファンは見られましたが、HIDEの場合でもそれと同じように大きな騒動となり波紋を呼び、その状況は現在でも多くの場面で指摘されています。
後追いするファン続出。その中には意外な人物も
HIDEが他界した当初は、Xjapanのメンバーもファンも含め、皆が大きな混乱の中にうずもれている状態でした。「なぜ死んだのか」というどうしようもない疑問にたくさんの人が悲観に暮れながら、その早すぎる死に納得できない感情が散乱していました。先述でもご紹介しましたが、HIDEの他界の際には非常に多くのファンが後追い自殺しました。その後追い自殺したファンの中に、なんと漫画家のねこぢる氏(橋口千代美さん)もいたとされます。ねこぢる氏もHIDEと同じように自宅マンションで首を吊り、縊死していたことがわかりました。
突然の悲劇!HIDEの命日と死因に迫る②
HIDEの死因が自殺か事故死かについて先述で少し触れましたが、その真相はいまだにわかっていません。しかし、HIDEが他界した当初の報道ではほとんどの情報誌・メディアが「自殺」と知らせ、ファンの間には壮絶なショックが波紋として伝わりました。しかし、その命日ともなる1998年5月2日の前日までの彼は、とても自殺するような様子にはなかったとのことでした(関係者より)。HIDEはそれ以前からけん引マッサージを続けており、泥酔した状態でそのマッサージをした際に誤って事故死につながったのでは、という説も伝えられます。
死因が物語る?HIDE自殺説。
HIDEの自殺説がこれほど(当初の)報道関係各社によって取り上げられたのは、先述でもご紹介してきました「自宅マンションでのタオルによる首つりの状況」という現場証拠が、おそらく何より物語っているところでしょう。泥酔した状態を少し鑑みる場合でも、それまでの歌手活動で何らかのプレッシャーが精神的にかかってしまい、そのため日をまたいでも飲み続けていたのでは、とする説もこの点では有力になってきます。それに近しい人によって現場が発見されたことからも、密室に近い状況で死亡したことがピックアップされ、その点での自殺説の根拠が認められます。
HIDEの死因は事故死?
先述で少し触れましたが、HIDEは以前からずっとけん引マッサージを続けており、ライブの前後やツアーで疲れた時などには、そのマッサージで心身ともにリラックスしていたことが明らかにされています。番組打ち上げで泥酔したその夜にも、疲労した体を休めるためにこのけん引マッサージを続けたのではないかという説も飛び交っており(その状況は現場からは断定されていません)、その際に誤ったやり方をしてしまって事故死につながった可能性も指摘されます。しかし、いずれにしても真相がわからないため、この事故死についてもそれ以上の究明は見ていません。
突然の悲劇!HIDEの命日と死因に迫る③
HIDEの命日は1998年5月2日ですが、ファンの間ではいまだに「HIDEは自殺するような人なんかじゃない」とする多くの声が飛び交っています。当時の状況から見ても、その後のライブ計画や活動プランを明るく話していたこともあり、確かに自殺に至る動機は薄いものと見ている報道関係も少数ながらあります。HIDEは先述のように、骨髄バンクに関するボランティア活動にも精力的であり、命の重み・命に対する尊重を誰よりも持っていたことから、自殺するはずがないことをメンバーをはじめ、多くのファンの間でも言われています。
HIDEの死因は肩こりを和らげるための施術だった?
HIDEはギタリストとして長年活動しており、ギタリストの宿命とも言える肩こりに悩んでいたことも実際ありました。母親からは実際に湿布を送られてきてそれを常に携帯していたこともあり、その肩こりの状態は慢性的なものだったとされています。その肩こりを治すために整体に通っていた彼はそこで勧められた「けん引マッサージによる治療」を続けることになります。その方法は身体を伸ばすことでリラックスさせ、これは首こりはもとより、腰痛にも効果がある施術・治療となります。このマッサージを泥酔した状態で行なってしまい、その際に事故を起こしたのでは、という説も見られます。
突然の悲劇!HIDEの命日と死因に迫る④
さらにHIDEの死因説には「練習中に誤って事故を起こし、それで死亡したのでは」とする説も一部分で見られます。ロックバンドはとかく練習がハードであり、その際に誤って何らかの接触事故でも起こしたのではとする説もあります。しかし有力なのは、コンサート中に企画された「首つりによる自殺パフォーマンス」を成功させるため、自宅でタオルを首にかけて自宅マンションで練習しようとした際に、泥酔した状態だったために誤って死につながったのでは、とする説もあります。
パフォーマンスの練習中に
Xjapanのライブは非常にハードなパフォーマンスが幾度となく見られており、たとえばこれは他の多くの日本ロックバンドのライブ中でも取り入れられている「体を張ったサプライズ」として認められます。その企画の中に、「首つりパフォーマンス」を計画していたとする説も飛び交っています。その練習をするためにHIDEは自宅マンションで首を吊る行動に出てしまい(飽くまで練習として)、その成果をさらに高めようとしたために誤って事故死につながった経過が認められます。しかしその説にしても「説」という形だけで具体的な証拠が何もないため、仮説の域を出ない推定であることには変わりありません。
命日から今日まで。HIDEが残した軌跡。
HIDEの死後、その遺体は5月3日に東京都中央区築地の築地本願寺に安置されました。メンバーのYOSHIKIはその日の夕方頃、渡米先のロサンゼルスから帰国し成田空港から築地本願寺に直行しました。YOSHIKIは「これは悪い冗談だ」としてHIDEの死を現実のものとして受け止められないでいましたが、日本へ向かう機内でHIDEの死亡を伝える公式の報道を見た際に現実のものであることがわかり、その場で号泣したとされます。HIDEの葬儀は5月5日に関係者のみ300人が集まって密葬の形で執り行なわれましたが、その際にファンが次々と押し寄せ、数千人がHIDEを見送ったと言われます。
XJapan HIDEのお墓に刻まれる想いとは
HIDEのお墓には「Hide」の文字と、「1964.12.13-1998.5.2」という生前の記憶がしっかり刻まれています。HIDEの早すぎる死を悼むファンの声は現代でもまったく止むことなく、彼がこの世を去った当初から変わらない形で皆の心とともに生き続けています。HIDEが残した軌跡としてはやはり「彼が残した傑作とも言えるアルバム・音楽作品」が大きな命の力・影響力としてメンバーをはじめ、多くのファンの中に息づいており、これからもHIDEが生きた時代は永遠に語り継がれていくでしょう。お墓の周りには、HIDEが生前に残したさまざまなアルバムが飾られています。
HIDEの思いは5月2日の命日にあるイベントで!
HIDEの思いは5月2日の命日にあるイベントについてはしかるべきホームページなどのサイトで調べればすぐにわかります。5月2日を命日とする上で、「hide Memorial Day」というタイトルのイベントが開催されており、他にもいろいろなイベントが企画されています。十周忌追悼ライブ『hide memorial summit』(2008年5月)、生誕50周年記念ドキュメンタリー映画「hide 50th anniversary FILM 〜JUNK STORY〜」(2015年5月)、『hide 20th memorial SUPER LIVE「SPIRITS」』(2018年)が催されました。たくさんのイベントに参加して、自分とHIDEだけの想いを胸に刻み込んでおきましょう。
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