エンタメ
坂本九「心の瞳」「上を向いて歩こう」など名曲の数々はなぜ今も歌い継がれるのか?
『心の瞳』、『上を向いて歩こう』などで有名な坂本九。海外でも人気が高く、坂本九の名曲はいまだ愛され色褪せず歌い継がれている。今回は坂本九の来歴とともに代表曲の『心の瞳』や『上を向いて歩こう』から『見上げてゴごらん夜の星を』、『明日があるさ』などの名曲までまとめてみた。

『心の瞳』『上を向いて歩こう』など坂本九の名曲まとめ
芸名:坂本九(さかもときゅう)
本名:大島九(おおしまひさし)
出身地:神奈川県川崎市川崎区
死没:1985年8月12日(満43歳没)
職業:歌手、俳優、タレント
坂本九は日本を代表する歌手の一人であり、世界でもっとも有名な日本人歌手の一人でもある。「九ちゃん」の愛称で親しまれた坂本九は、歌手として一世を風靡しただけではなく、俳優やタレントとしても活躍した。坂本九の楽曲は学校教育の題材として使われることも多く、代表曲である「上を向いて歩こう」や「心の瞳」などは半世紀を経てもなお親しまれている。
坂本九の来歴
1941年、川崎市に住む荷役請負業社長・坂本寛とその妻・いく(旧姓:大島)の第九子として誕生した坂本九。九番目の子供ということで「九」という名前を与えられたという話もある。第二次世界大戦中に生まれた坂本九は幼少期を戦争のさなかで送り、茨城県笠間市に疎開して育った。疎開の際に起きた列車事故を幸運にも逃れたことを祖母から聞かされた坂本九は「笠間稲荷神社の神様のおかげ」と信じ、笠間稲荷を終生信仰していたという。
坂本九が音楽の道へと進んだきっかけ
高校時代、両親の離婚によって坂本九から大島九へと姓が変わった坂本九。この頃にアメリカのミュージシャンであるエルヴィス・プレスリーに憧れるようになり、プレスリーのモノマネを得意としたという。その影響もあってか音楽バンドのザ・ドリフターズに加入、ボーカルを担当するようになる。
1959年、ビクターレコードと契約した坂本九は「題名のない唄だけど」でデビュー。しかしこの曲は不振に終わり、翌年には東芝音楽出版に移籍。移籍後の第一シングル「悲しき六十才」が10万枚を越えるヒット作となり、坂本九の名前は広く知られるようになる。
坂本九がトップスターへと躍り出た契機は1961年に発売された「上を向いて歩こう」だ。日本のみならず「上を向いて歩こう」は「スキヤキ・ソング」としてアメリカでも大ヒットし、国外でも高い評価を得る。坂本九の名前は国際的に知られるようになり、坂本九は1964年の東京五輪にゲスト出演するほど国民から愛された。
スターとしての坂本九
まさに「時の人」であった坂本九は、しかし忙しい中でも「チャリティーショー」に無償で出演するなどの活動を怠らなかった。その活動は生涯続き、チャリティー活動の認知度向上に貢献した。また、芸術家の岡本太郎はその著書で「坂本九は周囲からの重圧による葛藤を泣きながら自分に語ったことがある」と書き残しているなど、スターとしての坂本九と本当の坂本九との間に苦しんでいた節があったようだ。
歌手として絶頂を極めた坂本九は、次第に歌手業から離れ、舞台俳優や映画俳優、テレビの司会業を主な仕事とするようになる。俳優として出演した作品は実に30本以上となり、一時は歌手としての熱を完全に失っていた坂本九であったが、1985年には「もう一度、歌手としてやりなおしたい」と周囲にもらしていたようだ。
坂本九、非業の死
友人の選挙活動の応援に駆けつけるため伊丹行ジャンボジェット機JAL123便に搭乗した坂本九は、日本航空123便墜落事故という未曾有の航空事故に巻き込まれ帰らぬ人となる。凄惨な事故のため遺体の確認は困難を極めたが、普段から坂本九が身に着けていた笠間稲荷のペンダントが本人確認の決め手となったそうだ。
坂本九の代表曲『心の瞳』『上を向いて歩こう』
心の瞳
当時、一世を風靡していた坂本九の名曲の数々は、現代でも多くの歌手がアレンジやカバーをして語り継いでいる。発売から五十年以上経った現在でもなお愛され続けている坂本九。郷愁や遠い過去、昭和の風景を思い起こさせる楽曲の数々だが、坂本九に魅了されるのは、なにも日本人に限ったことではないようだ。国籍や人種を問わず、現代人に訴えかけるなにかが坂本九の曲には隠されているようである。
『心の瞳』は『懐かしきlove-song』のB面としてリリースされた。事故で亡くなった坂本九の遺作でもある『心の瞳』は、絆をテーマとした楽曲だ。『心の瞳』が完成したとき、坂本九は妻に大喜びで譜面を見せたという逸話も残っている。坂本九の葬式では生前の坂本九の声を使い、長女の大島花子の伴奏によって『心の瞳』が流されたという。
また坂本九の逝去した同年に、中学校教諭・長谷川剛の手によって『心の瞳』は合唱曲として編曲される。この他にも多くの音楽家が『心の瞳』を編曲し、歌詞の一部を改変するなどして、『心の瞳』は幅広い世代で歌い継がれていくこととなった。
上を向いて歩こう
『上を向いて歩こう』の海外版『SUKIYAKI(スキヤキ)』
『上を向いて歩こう』は大ヒット作となったが、坂本級の独特な歌い回しが軽んじられ、当時の保守的な歌謡界からの評価は低かった。しかしイギリスでは『SUKIYAKI(スキヤキ)』、ベルギーやオランダでは『忘れ得ぬ芸者ベイビー』として発売された『上を向いて歩こう』はヨーロッパで大ヒットを飛ばし、全英チャートで10位にランクイン。国外からの評価を得たことで歌謡界での評価も一転し、名曲として認められるようになる。
中でもこの曲の評価を決定付けたのがアメリカでの反応だ。ワシントン州パスコのラジオ番組で『SUKIYAKI(スキヤキ)』として流された『上を向いて歩こう』に問い合わせが殺到し、『SUKIYAKI(スキヤキ)』はアメリカでも発売されることとなる。
そして見事にアジア圏の楽曲として初の全米ビルボード1位という快挙を成し遂げ、外国人としては初の全米レコード協会のゴールドディスクを受賞。世界約70ヵ国で発売され、総売り上げは1300万枚を越えるほどの大ヒット作となった。余談ではあるが、最初は『SAKAMOTO(サカモト)』の『SAKA(サカ)』と韻を踏んで『SUKIYAKA(スキヤカ)』というタイトルで発売されそうであったという。
その他の坂本九の有名曲
『心の瞳』や『上を向いて歩こう』といった代表曲の他にも、坂本九の楽曲の中には「どこかで聞いたことがある」あるいは「どこかで歌ったことがある」といったようなものが溢れている。
見上げてごらん夜の星を
明日があるさ
涙くんさよなら
坂本九の名曲に関してのまとめ
坂本九の名曲に関するまとめはいかがだっただろうか。その多くがいまでは学校教育の歌として親しまれ、坂本九が歌っていたということを知らなかった曲も多いかもしれない。坂本九の楽曲がいまでも語り継がれているのは、幼心に根ざした童謡然とした雰囲気があるからなのかもしれない。どこか懐かしく、どこか物悲しく、それでいてどこか元気付けられるような曲。それが坂本九の魅力だ。そうした普遍的な郷愁と安心感を与えてくれる坂本九の歌は、これからも色褪せることなく、世界中で歌い継がれていくに違いない。
名曲に関連する記事はコチラ


