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阿部寛
映画『テルマエ・ロマエ』で大ブレイクを果たした俳優・阿部寛。映画やドラマなどの作品で主演を務めている阿部寛。バブル崩壊で背負った多額の借金や人気低迷期のパチプロ生活や家族構成や、誰からも愛される性格、阿部寛の出演した映画やドラマの画像など、阿部寛の情報総まとめ

目次
- 俳優・阿部寛の総まとめ!まず最初に阿部寛のプロフィールから!
- 阿部寛の両親は仲良し?阿部寛の父親が態度で示した、阿部寛の母親への愛
- 阿部寛に兄弟はいる?阿部寛の両親や兄弟も背が高い?兄とは不仲?
- 神奈川県横浜市神奈川区出身の阿部寛の学歴は?阿部寛は一浪してる?
- 阿部寛の芸能界デビューのきっかけは?ノンノボーイフレンド大賞に優勝?
- 投資用にマンションを購入した阿部寛。バブル崩壊で不動産価値下落で借金
- 1987年、23歳で映画『はいからさんが通る』で俳優デビューした阿部寛
- 阿部寛のモデル人気絶頂期にアイドルとして1988年にアルバムをリリース
- 背が高すぎて3年間も仕事に恵まれずパチンコで生計を立てていた阿部寛
- 古武術に目覚める阿部寛。ハンサムなだけじゃない実力派俳優を目指す
- バラエティ番組『あの人は今!?』の取材で捜索対象になってしまった阿部寛
- 『チロルの挽歌』に高倉健が主演すると知り、端役で出演を希望した阿部寛
- つかこうへい作・演出の舞台で主演した阿部寛。俳優として大きな転機に
- 映画『しのいだれ』で、憧れだった役所広司と共演を果たした阿部寛
- NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』松平乗邑役を演じた阿部寛に好評価
- 阿部寛、大河ドラマ『元禄繚乱』『武蔵 MUSASHI』『天地人』も演じた
- ドラマ『TRICK』で三枚目の役を演じ、再ブレイクを果たした阿部寛
- 『結婚できない男』で「2006年上半期がんばった大賞」受賞した阿部寛
- 阿部寛の尊敬する人は誰?阿部寛はドラマ『最後の弁護人』で共演した?
- 約20年かけてバブル時代に作った数億円の借金をすべて完済した阿部寛
- 阿部寛はペットを飼ってる?ドーベルマン?マルチーズ?何匹飼ってるの?
- 阿部寛の好物は何?あの阿部寛からは想像ができない個性的な好物とは
- 俳優・阿部寛43歳で『結婚できない男』がやっと結婚することになりました
- 阿部寛はいつ結婚したの?妻は何歳?子供は何人?阿部寛の家族構成は?
- 阿部寛、映画『テルマエ・ロマエ』日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞
- 「乾燥が強敵」と公言する阿部寛。加湿器と空気清浄機を何台持ってる?
- ドラマや映画にひっぱりだこの阿部寛。性格も良く誰からも愛される性格?
- “国民的俳優” 阿部寛。プロフィールから愛される性格までの総まとめ
俳優・阿部寛の総まとめ!まず最初に阿部寛のプロフィールから!
モデルとして一世風靡していた阿部寛。パチスロ生活や人気低迷期に背負った多額の借金。「あの人は今」に出場した屈辱をバネにして、人気ドラマ『TRICK(トリック)』で見事に俳優業に返り咲き、今やドラマ、映画、CMと引っ張りだこの “国民的俳優” になった阿部寛。日本人離れした顔立ちで映画『テルマエ・ロマエ』で大ブレイクを果たした俳優・阿部寛の家族構成。阿部寛の出演するオススメのドラマや映画の画像。髪型、身長、性格など、阿部寛の全てを徹底調査し、ご紹介しましょう。最初に阿部寛のプロフィールからです!
俳優・阿部寛のプロフィール
名前:阿部寛(あべひろし)
生年月日:1964年6月22日(52歳)
出身地:神奈川県横浜市
身長:189cm
体重:75kg
職業:俳優
ジャンル:モデル・映画・テレビドラマ
活動期間:1983年~
所属事務所:茂田オフィス
阿部寛の両親は仲良し?阿部寛の父親が態度で示した、阿部寛の母親への愛
阿部寛:映画『海よりもまだ深く』イベントでダメ息子ぶり反省
25歳くらいまで実家にいた阿部寛さんは、母の日にカーネーションを渡したこともなかった程、母親に感謝の気持ちを表したことがなかったそうです。
阿部寛:母の思い出①
我が家では母親は父親よりも強かったので、そんな父親が可哀想に感じたのか、父に強く接している母親を好きになれず、母親にはわがままな態度をしていた阿部寛さん。
阿部寛:母の思い出②
時には母親に対して反抗的な態度になってしまったり、少し冷たく接してしまったこともあり、ある年齢まで親不孝をしていたと反省し、10年くらい前に亡くなった母親に何も贈り物をしなかったことを思い出して瞳を潤ませていた阿部寛さん。
阿部寛:母の思い出③
当時は30代で仕事も順調とは言えなかった阿部寛さん。只々精いっぱいに生きていたので、母親のことを振り返る余裕がなかったそうです。
阿部寛:母の思い出④
たまに母親に会いに行くととても嬉しそうにしていたと懐かしそうに語る阿部寛さん。母親にとって子どもはいくつになっても子どもです。阿部寛さんの母親も同様で、息子の顔を見れば余計なお世話をしたがっていたのだとか。阿部寛さんの母親は、素敵な母親だったのです。
阿部寛:母の思い出⑤
2007年まで借金の返済で金銭的に余裕がなかったとはいえ、感謝の贈り物は物だけではなく、感謝の言葉や態度でも表すことはできました。
阿部寛:母の思い出⑥
阿部寛さんは、自分が家庭を持ってやっと親孝行の重要性に気がつくことができたのかもしれません。今は亡き母親を思い出して、公の場で涙が溢れそうになってしまう阿部寛さんは、きっと優しい人に違いありません。
阿部寛:父の思い出①
寡黙なエンジニアだった阿部寛さんの父親に対する思いは、10代の頃は決して父親が嫌いだったわけじゃなかったのだけど、ほとんど親父と話をした思い出はなかった阿部寛さん。
阿部寛:父の思い出②
30代の頃に、親父という存在をふり返って『強い父親だったんだな』と改めて感じたという阿部寛さん。仕事一辺倒であまり話さない父親だったけど、一家の大黒柱としてずっと間違いのないことをやってきてくれた我慢強い人だったと父親を振り返った阿部寛さん。
阿部寛:父の思い出③
病院で入院していた阿部寛さんの母親との最後の8年間を振り返り、阿部寛さんの父親は1時間半かかるのに、8年間毎日欠かさず阿部寛さんの母親を見舞いに通っていたのです。
阿部寛:父の思い出④
阿部寛さんは、そんな父親の背中を見ていたし、看護師さんからもその様子を聞かされてました。この出来事から阿部寛さんは、父親の母親への愛の深さをヒシヒシと感じたようです。そして、言葉ではなく行動で示す父親の姿に感動し、家族の絆の大切さを父親から学んだことでしょう。
阿部寛に兄弟はいる?阿部寛の両親や兄弟も背が高い?兄とは不仲?
阿部寛:3人兄弟の末っ子
神奈川県横浜市神奈川区で生まれ育った阿部寛さんは、3人兄弟の末っ子として生まれました。幼い頃からハンサムだった阿部寛さんは、中学生を過ぎた後も身長が5cmずつ毎年伸びていき、気がつけば192cmになってしまっていたそうです。
阿部寛:両親も兄弟も背は高くない
俳優・阿部寛さんにはお兄さんとお姉さんが各1人いるそうです。家族の中では、阿部寛さんだけが何故か高身長になってしまったという事です。
阿部寛さんの両親は、ともに160cmくらいなのだとか。阿部寛さんの姉も平均身長で、兄は阿部寛さんより20cm以上身長が低いというのです。
阿部寛さんの家族は純日本人で、阿部寛さん以外の家族は純日本人らしい容姿をしているそうです。阿部寛さんだけが背が高く、ハーフのような容姿というのは不思議な話ではありますが事実なのでした。
阿部寛さんは走る事が大好きで、子供の頃から足が速かったそうです。阿部寛さんは、かけっこは常に一番だったので、走る事が何よりも好きな少年だったのでしょう。阿部寛さんは暇さえあれば走り続けて、知らぬ間に足の骨が刺激されて、それが原因で阿部寛さんは家族で唯一背が高くなってしまったのかもしれません。

神奈川県横浜市神奈川区出身の阿部寛の学歴は?阿部寛は一浪してる?
阿部寛:一浪して中央大学理工学部電気工学科で学んだ
阿部寛さんは神奈川県横浜市神奈川区出身です。横浜市立三ツ沢小学校卒業。横浜市立松本中学校卒業。神奈川県立白山高等学校卒業。阿部寛さんは、一浪を経て偏差値が55の中央大学理工学部電気工学科卒業しています。
阿部寛の芸能界デビューのきっかけは?ノンノボーイフレンド大賞に優勝?
阿部寛:「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」優勝
中央大学理工学部電気工学科在学中の1983年、阿部寛さんが19歳の時に、実姉に勧められて優勝賞品である車が欲しくて「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募しました。
阿部寛:優勝商品の車をゲットし、芸能界デビュー
大学4年生だった阿部寛さんは、「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に見事に優勝して、欲しかった優勝賞品の車をゲットしました。
阿部寛:優勝商品の車はエアコンがなかった...
優勝商品の車にはエアコンがついておらず、貧乏学生だった体の大きい阿部寛さんは暑さ凌ぎに上半身裸になってシートベルトして運転していたそうです。
阿部寛:カリスマモデルとして大活躍①
「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」優勝以降、雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』のカリスマモデルとして大活躍で、雑誌の表紙を飾る程の一流モデルだった阿部寛さん。
阿部寛:カリスマモデルとして大活躍②
メンズノンノでは創刊号から43号まで連続表紙を飾った事でなんと「同じ雑誌の表紙を世界で最も連続して飾った人物」として、ギネスブックにも認定されたんです。阿部寛さんの人気絶頂ぶりが伺えるとんでもないエピソードです。
阿部寛:カリスマモデルとして大活躍③
モデル全盛期の阿部寛さんは、メンズノンノ創刊以来、3年6ヶ月も表紙を飾り続けたのですから、その人気ぶりは想像を遥かに超えるものでしょう。
阿部寛:”あっさり顔の醤油系”に憧れた
バブル崩壊当時から確かに少年隊の東山紀之さんのような”あっさり顔の醤油系”に、多くの女性ファンが魅了されていた傾向が見受けられました。
阿部寛:コンプレックスに悩む①
阿部寛さんは、自分の顔にコンプレックスを抱いていました。何故かといえば、阿部寛さんがモデルをされていた1980年代は、”あっさり顔の醤油系”と”濃い顔のソース系”の2系統で、モデルの顔立ちが種類分けされていました。
阿部寛:コンプレックスに悩む②
今は、濃い顔の多くの芸能人が、随分活躍していますが、1980年代当時は、バブル崩壊で景気が悪くなるとともに派手な”濃い顔のソース系”の阿部寛さんは人気が落ちだしたのですから、阿部寛さんが悩んでいたのも納得できます。
阿部寛:コンプレックスに悩む③
そんな事情で、彫りの深い顔として生まれてきた阿部寛さんは、一時期、自分の顔にとてもコンプレックスを感じてしまっていたのです。
阿部寛:コンプレックスに悩む④
阿部寛さんは、トレードマークである太眉を薄くしようとしたこともあったそうです。まだ若かったのでしょうが、阿部寛さんが眉毛だけ薄くしたとしても、”濃い顔のソース系”から逃れるのは不可能だったでしょう。
投資用にマンションを購入した阿部寛。バブル崩壊で不動産価値下落で借金
阿部寛:バブル崩壊で莫大な借金背負①
モデルとして人気絶頂だった阿部寛さんに、知人が紹介したのが不動産投資でした。当時はバブル経済のまっただ中で、「不動産は買えば上がるもので極力借金してでも買うべき」という風潮だった時代の出来事でした。
阿部寛:バブル崩壊で莫大な借金背負②
誰でも100%融資が受けられた時代でしたので、20代の若さで安定していない職業に就いていた阿部寛さんも、時代の波に乗せられて多額の借金をしてまで不動産投機にのめり込んでしまいました。
阿部寛:バブル崩壊で莫大な借金背負③
突然バブルが崩壊してしまい、阿部寛さんは23歳で数億円という莫大な借金を抱えてしまう事態となってしまったのでした。
1987年、23歳で映画『はいからさんが通る』で俳優デビューした阿部寛
阿部寛:モデルデビューから1年後に俳優デビュー
1987年に映画『はいからさんが通る』で俳優デビューした阿部寛さん。南野陽子さん主演で、阿部寛さんが伊集院さん役でした。
阿部寛:南野陽子のファンだった
阿部寛さんが映画『はいからさんが通る』に出ることにした理由は、当時は南野陽子さんは大人気のアイドルで、阿部寛さん本人も南野陽子さんの大ファンだったからでした。
阿部寛:モデル上がりで演技に自信はなかったが
当時人気絶頂だった南野陽子さんと共演できるというので南野陽子さんの相手役として俳優デビューする事にした阿部寛さん。映画の撮影の合間に、阿部寛さんは南野陽子さんからサインをもらった事もあったそうです。
阿部寛:『笑っていいとも!』にゲストとして初登場
1987年に、映画の宣伝の為にフジテレビ系の『笑っていいとも!』にゲストとして初登場した阿部寛さんは当時23歳でした。映画『はいからさんが通る』で俳優デビューして間もない阿部寛さんの初々しい画像です。
阿部寛:モデルから俳優へ華々しくデビューも
20代前半の阿部寛さんは、モデルから映画『はいからさんが通る』でいきなり準主演に抜擢されて、華やかに俳優デビューを果たしました。しかし、その後は何をしてもうまくいかなくなり、5年くらい辛い日々を過ごしていました。
阿部寛のモデル人気絶頂期にアイドルとして1988年にアルバムをリリース
阿部寛:アイドルとしてCDアルバムをリリースも...
1988年に阿部寛さんは、アイドルとして東芝EMIからCDアルバム『ABE』をリリースしましたが、全くパッとしなかった様で『ABE』で歌手活動は終了しています。
背が高すぎて3年間も仕事に恵まれずパチンコで生計を立てていた阿部寛
23歳という若さで多額の借金を抱え、モデルでも食えなくなってしまった阿部寛さんは、俳優業に道を見出しますが、そう簡単には行きませんでした。
深い顔立ちと、192cmあった阿部寛さんの身長がネックになり、相手役の女優との身長差が30cm以上あるケースも多々有り、そのために、絵面が合わないという理由で、俳優としての仕事が激減してしまったそうです。
確かにキスシーンなどで30cmも身長差があると何かと撮影も大変でしょうし、大木にセミがとまるようなラブシーンになったりしたのでドラマや映画の制作サイドも、阿部寛さんを使いたいと思わなくなってしまったのかもしれません。
俳優・阿部寛さんは、「主演だと女優と絵的に凸凹になってしまい、脇役だと主役より存在感が出る」と、俳優業でもなかなか仕事には恵まれませんでした。
結局、阿部寛さんは、俳優でも、演技力や身長の問題や日本人らしからぬ容姿が仇になったのでした。この画像の天海祐希さんのような背の高くて美人な女優はなかなかいなかったのでしょう。
借金返済どころか生活さえも困窮してしまった阿部寛さん。バブル崩壊で借金を背負うとともに、追い打ちを掛けるように派手な容姿で高身長な阿部寛さんは時代のニーズに合わなくなり、阿部寛さんの人気は一気に低迷してしまい、収入が激減してしまったのでした。
そんな阿部寛さんの生活を支えていたものはパチンコでした。高身長すぎて役をもらえない俳優・阿部寛さんは、パチンコで生計を立てるいわゆるパチプロ、スロプロといった類のものに転身したのでした。そして、阿部寛さんはパチンコ依存症になり、ついに芸能人でありながら「パチプロ生活」に突入したのです。
阿部寛さんは、パチンコをかなりやりこんでいたようで、借金の一部さえもパチンコで返済したのだとか。当時、阿部寛さんは、月に15万円をパチンコで儲け、そんな生活が1年半続きました。
阿部寛さんは、儲けるばかりではありませんでした。最悪の日には阿部寛さんは、25万円をスロットで1日で無くした事もあったそうです。また、それらのホールに190cmを超える阿部寛さんがいれば、嫌でも目に付きます。例え阿部寛さんがしっかり変装したとしても当然すぐにバレてしまっていたそうです。
阿部寛さんは、生活の為に周囲の目にも耐え、ひたすらパチンコを打ち続ける日々を続けました。実に3年間(儲けが出だしたのは1年半で、前半の1年半は親のスネをかじっていたようです)もパチプロ生活をしていたのでした。
古武術に目覚める阿部寛。ハンサムなだけじゃない実力派俳優を目指す
パチンコで生計を立てていた時期に古武術を始めていたという阿部寛さん。これが後に仕事に繋がることになるのです。阿部寛さんがやってきた古武術とは一体どんなものなのでしょう?
古武術は、明治維新以前に作られた武術のことですが、日本では室町時代から、剣術、槍術、柔術、砲術、弓術などが行われていて、これがそれぞれ流派として技術かや体系化され、明治時代以降は武道という名前で確立されました。
阿部寛さんが始めた古武術は、試合での勝敗を目的としないもので、明治維新後は戦闘武術としての役割をやめて、日本の伝統的芸能や、文化財として役割を残しているものです。
パチプロ時代にも身体を鍛えていた阿部寛さん。主に食べて食べて鍛えたということですが、演技の基礎もない棒読みでヘタクソと言われた阿部寛さん。阿部寛さんは自分の演技は下手だと思ってるので、本当に一生懸命頑張らなければ、みんなに並べないというか、追いつけないと思っていました。
後に阿部寛さんは、「僕が痛い目にあって、過去の栄光を一気に捨てられた。周りがどんな華やかな仕事をしていても、僕はまだその位置じゃないんだって言い聞かせてふっ切っていた」と言っています。
阿部寛さんは、どん底から這い上がる為に古武術を学び、諦めないで努力を続けてきたことで、NHKの時代劇に起用されたのでした。立派ですね。
バラエティ番組『あの人は今!?』の取材で捜索対象になってしまった阿部寛
阿部寛:『あの人は今!?』の取材で捜索対象に...①
仕事もなく、ただただ生活のためにパチンコを打ち続ける日々だった阿部寛さん。そのあまりの低迷ぶりにバラエティ番組『あの人は今!?』の取材で捜索対象になり、お呼びがかかってしまったのです。
阿部寛:『あの人は今!?』の取材で捜索対象に...②
一流モデルとして名を馳せた阿部寛さんが、バブル崩壊で仕事が激減してしまい、最終的に『あの人は今!?』の取材が来てしまった阿部寛さん。完全に”過去の人”扱いされたことにショックを受け、『あの人は今!?』の出演は断り、阿部寛さんは一念発起して、これを気に名前のない役からバイセクシャル役まで、どのような役柄でも選ばず仕事を受けました。『あの人は今!?』の取材が阿部寛さんの大きな転機となったのでした。
『チロルの挽歌』に高倉健が主演すると知り、端役で出演を希望した阿部寛
阿部寛:『チロルの挽歌』に端役で出演希望
阿部寛さんは20代後半のころ、高倉健さんとどうしても共演したくて、工事人Aの役で出演しました。当時の阿部寛さんは、高倉健さんや長谷川一夫さんなど昔の人は大人ぽいと感じたそうです。かっこいい役ではなく、いろんな役をやってみたかった阿部寛さん。名前のつかない端役でも、何かのヒントをつかもうとこの役を得て、役者の道を模索していたのでした。きっと、高倉健さんとの共演はいい経験になったことでしょう。
つかこうへい作・演出の舞台で主演した阿部寛。俳優として大きな転機に
阿部寛:つかこうへい作・演出の舞台で主演①
29歳の時につかこうへいの舞台「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」で主演した阿部寛さん。当時は自分の実力不足と、考え方の甘さを痛感させられたと語る阿部寛さん。
阿部寛:つかこうへい作・演出の舞台で主演②
つかこうへいさんの口立てで俳優がその場で台詞を覚えて演技をしてゆくのですがm共演した俳優は「阿部寛が壊れてゆくのを何度も見た」と言っていたそうです。途中から刑事がオカマ役に変わっていったそうで、阿部寛さんは初めての舞台で、自分を解放して大きく演技が変わっていったそうです。
阿部寛:つかこうへい作・演出の舞台で主演③
当時は俳優という職業のこだわりがよくわかっていなかった阿部寛さん。舞台はありとあらゆるものが自分になかったもので目新しかったそうです。つかこうへいさんには「お前は下手なんだから、芝居をしようと思うな。相手の目を見て大声でしゃべれば何か伝わる。お客さんは日常ではなく狂気性を見に来るんだからやるだけやれ」と言われ、阿部寛さんは思いっきりやったそうです。
阿部寛:つかこうへい作・演出の舞台で主演④
この役で、男性とのキスシーンや、卑猥きわまるセリフなどを喋ることになり、演出のつかこうへいさんからは、「もっと狂え」と怒鳴られ続けたといいます。最初は「恥ずかしくて、こんな台詞いえません」と何回も言おうとした阿部寛さん。稽古がすぐ始まって、つかこうへいさんのペースに圧倒されて何も言えなかった阿部寛さん。何度も「もう辞めたい」という気持ちになっていたようですが、それでも目の前の主演という仕事に対して、阿部寛さんは無我夢中で取り組んだといいます。
阿部寛:つかこうへい作・演出の舞台で主演⑤
以前なら恥ずかしいと感じていた役が、今では恥ずかしくなくなり、役幅が広がったと思っている阿部寛さん。今は、つかこうへいさんに深く感謝しているそうです。以降、来た役はどんな役でも勉強だと思って断らずにやっている阿部寛さん。意識改革が早い段階でできてよかったですね。
当時、この役に阿部寛さんを起用することに反対の声があったようですが、つかこうへいさんはそれをあえてはねのけて抜擢をしたため、舞台が大成功に終わった後は、「俺達は賭けに勝ったな」と阿部寛さんと一緒に笑ったそうです。
映画『しのいだれ』で、憧れだった役所広司と共演を果たした阿部寛
阿部寛:憧れの俳優と共演
映画『大阪極道戦争 しのいだれ』(1994年)は、原作は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫の小説『しのいだれ』で、監督は「激走トラッカー伝説」の細野辰興、脚本は成島出と秀島康夫の共同執筆。暴力団新法やバブル崩壊後の、大阪で極道として生きる男たちの生き様を描いた人間ドラマでした。この映画で長年憧れだった俳優・役所広司さんと共演を果たした俳優・阿部寛さん。この映画出演をきっかけに、様々な賞を受賞する俳優に成長していきました。

NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』松平乗邑役を演じた阿部寛に好評価
阿部寛:老中松平乗邑役を熱演
1995年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』で有能な老中松平乗邑役を演じた阿部寛さん。老中松平乗邑の演技が認められて、『八代将軍吉宗』を皮切りに、その後、時代劇への出演が急に増えていくのでした。
阿部寛、大河ドラマ『元禄繚乱』『武蔵 MUSASHI』『天地人』も演じた
阿部寛:NHK大河ドラマで大切な役所の脇役を名演
NHK大河ドラマには『八代将軍吉宗』(1995年)の後『元禄繚乱』(1999年)、『武蔵 MUSASHI』(2003年)、『義経』(2005年)、『天地人』(2009年)などで重要な役どころとして立て続けに出演しました。
阿部寛:NHK大河ドラマ『天地人』謙信公役
NHK大河ドラマ『天地人』謙信公役は出番が少なかったが、阿部寛さん演ずる謙信公は、僧形になってからの演技がとても好評でした。阿部寛さんは目が大きくて澄んでいるので、それが謙信公の心の清らかさを表していてとてもよかった。早々に亡くなったので、もっと阿部寛さんの演技を見ていたいと思われた方が多かったそうです。
ドラマ『TRICK』で三枚目の役を演じ、再ブレイクを果たした阿部寛
阿部寛:『TRICK トリック』で再ブレイクを果たす①
テレビ朝日系列放送の『TRICKシリーズ』は、シリーズ第1作は2000年7月7日から放送され、2014年公開の映画『トリック劇場版 ラストステージ』とスペシャルドラマ『TRICK 新作スペシャル3』で完結しました。
阿部寛:『TRICK トリック』で再ブレイクを果たす②
阿部寛さんは、主演・上田次郎役でした。人気の高かったドラマ『TRICK トリック』では、女優・仲間由紀恵さんと競演したことが大変な話題となりました。
阿部寛:『TRICK トリック』で再ブレイクを果たす③
俳優・阿部寛さんは、単なる二枚目俳優ではなく演技力も兼ね備えた実力派として少しずつに認められ始め…デビューから17年、ついに『TRICK トリック』で再ブレイクを果たしたのでした。
阿部寛:『TRICK トリック』で再ブレイクを果たす④
阿部寛さんの演じた上田次郎は、将来を嘱望される若手物理学者で、英米に留学経験あり。その天才的頭脳、欧米の個人主義体験ゆえか、彼の言動には意味不明なもの、難解なものが数多い。そこに日本の物理学の未来が垣間見える、かも知れないと、怪しいタイトルの「どんと来い、超常現象」も出版されました。
阿部寛:『TRICK トリック』で再ブレイクを果たす⑤
人気の高かったドラマ『TRICK トリック』で、仲間由紀恵さんと競演したことが話題となりました。役どころで、身長が高く体重も多くない2枚目の阿部寛さんは、徹底的に3枚目の役どころを演じました。
阿部寛:『TRICK トリック』で再ブレイクを果たす⑥
ここから2枚目俳優という肩書をするりと脱ぎ捨てることが出来た阿部寛さん。その後に出演したドラマ「HIRO」でも、同じく3枚目役を見事にこなし、幅広い役柄をこなせる大物俳優と進化を続けていきました。

『結婚できない男』で「2006年上半期がんばった大賞」受賞した阿部寛
阿部寛:ドラマ『『結婚できない男』主演①
フジテレビ系列のドラマ『『結婚できない男』は2006年7月4日から9月19日まで放送された主演の桑野信介役を演じたのが阿部寛さんでした。
阿部寛:ドラマ『『結婚できない男』主演②
阿部寛さんが演じたのは外見も悪くなく、仕事もできるのに皮肉屋な性格故に結婚できない男、桑野信介でした。気ままな独身生活を送る男性が、ひょんなことから女性と心を通わせ、恋愛をしていくという愉快な物語でした。
阿部寛:ドラマ『『結婚できない男』主演③
じわじわと、じっくりと俳優としての道を真面目に歩み続けてきた阿部寛さんが大ブレイクするきっかけとなったのがドラマ『結婚できない男』でした。
阿部寛:ドラマ『『結婚できない男』主演④
時代とマッチした役柄がかなり共感度を高めたためた様で、この役柄は阿部寛さんの当たり役となり大ヒットしました。ドラマ『結婚できない男』では、2006年の上半期頑張った大賞で、阿部寛さんは『FNS頑張った大賞』を受賞しています。
阿部寛の尊敬する人は誰?阿部寛はドラマ『最後の弁護人』で共演した?
阿部寛:尊敬する人
今は亡き俳優・大滝秀治さんは、独特の存在感ある演技で舞台やテレビで活躍しました。長い下積みを経て才能を開花させた大滝秀治さん、役者魂一筋に生きた人生でした。
阿部寛:大滝秀治と共演
阿部寛さんは、13年ぶりに連続ドラマの主演を務めたドラマ『最後の弁護人』(さいごのべんごにんーThe Last Lawyerー)2003年1月15日〜3月19日で、尊敬する俳優・大滝秀治さんと共演する夢を叶えました。
阿部寛:尊敬する人との別れ
2012年10月2日に87歳で肺扁平(へんぺい)上皮がんで亡くなった俳優・大滝秀治さんのお別れ会が東京・青山葬儀所で営まれ、俳優の阿部寛、浅野忠信ら980名が参列して故人を偲びました。
約20年かけてバブル時代に作った数億円の借金をすべて完済した阿部寛
阿部寛:借金全額完済
再ブレイクからさらに7年、『HERO』(ヒーロー)2007年9月8日に公開されたSMAPの木村拓哉主演の映画に出演し、ついにこの頃、阿部寛さんは借金を完済しました。約20年かけてバブル時代に作った数億円の借金をすべて完済した阿部寛さん。辛かったでしょうが、逃げ隠れしないでコツコツ真面目に頑張ってきた阿部寛さんは素晴らしいと思います。
阿部寛:節約?拘り?①
借金返済の為に節約生活20年も送ってきた阿部寛さん。節約癖が身に染み付いてしまったのか、私生活では15年くらい自分で髪を切っているという阿部寛さん。はさみを髪の毛に縦に入れ、切っていくのが阿部寛流。後ろは見えないため、切り過ぎてたまにハゲちゃうこともあると笑って話していた阿部寛さん。豪快ですね。
阿部寛:節約?拘り?②
テレビ番組で「美容院とか行くと、寝てる間にバッサリ切られたりすることないですか?そういうことがあるんで、こうなったら自分で切っちゃおうかと。意外とこれがいいんですよ」と説明していた阿部寛さん。借金を完済するまでは、拘りと言うより、節約がメインだった気がします。ある時、パーマヘアをしたときに自分で髪を切ったら失敗してしまい、つけ毛を買ってきてアイロンで8時間かけてパーマを作ったというエピソードもあり、阿部寛さんは真剣だったのでしょうが想像すると面白すぎます。
阿部寛:鞄を持たない?
『TRICK トリック』という当たり役ともなったドラマに出演していた時、台本を毎日違うコンビニの袋に入れて持ってきていた阿部寛さんの姿が、共演者から目撃されています。鞄を持たず、阿部寛さんはコンビニ袋を愛用していたのでしょうか?これも借金返済目的の節約の為だったのかもしれません。

阿部寛はペットを飼ってる?ドーベルマン?マルチーズ?何匹飼ってるの?
阿部寛:ペットを飼ってる?
阿部寛さんは、マルチーズを2匹飼っているそうですが、俳優仲間には、「ドーベルマンを飼っている」と見栄を張って話していたそうです。阿部寛さんは、マルチーズに鼻を噛まれたことがあり、マルチーズの名前は”チー”と”ブ~”という、かなり可愛い呼び名がつけられています。
阿部寛の好物は何?あの阿部寛からは想像ができない個性的な好物とは
阿部寛:好物①
俳優・阿部寛さんの好物の1つ目は、麩菓子です。黒糖のあの濃厚なガワ、
なかのフワサクとした麩が大好きなのだそうです。
阿部寛:好物②
阿部寛さんの好物2つ目は紅生姜です。一般的に、普段から積極的に食べるような食材ではないですが、阿部寛さんは添加物だらけの紅生姜が好みのようです。
阿部寛:十穀米にハマってる
「あるテレビ局の楽屋に、叶姉妹が読んでいた雑誌が残されていて、阿部寛さんが何気なく手にとってその雑誌を読んでみると、十穀米が身体にいいというようなことが書いてあったそうです。それ以降、阿部寛さんは十穀米にハマってるのだとか。阿部寛さんは、直ぐに信じやすい純粋な性格みたいです。
俳優・阿部寛43歳で『結婚できない男』がやっと結婚することになりました
阿部寛:『結婚できない男』が結婚することになりました
2007年11月20日、俳優・阿部寛さんが43歳で『結婚できない男』がやっと結婚することになりました。
阿部寛はいつ結婚したの?妻は何歳?子供は何人?阿部寛の家族構成は?
阿部寛:いつ結婚したの?①
”最後の独身大物俳優”ともよばれていた阿部寛さんでしたが、2007年11月20日に結婚することを記者会見で発表しました。
阿部寛:いつ結婚したの?②
「結婚できない男が結婚できることになりましたので、報告しなければならないと思いまして…」と笑いを誘った。その後、「相手は一般の方なので、相手を守る意味でも僕が会見しないといけないと思いました」と男らしくあいさつした。そして翌年の2008年2月に阿部寛さんは入籍しています。
阿部寛:妻は何歳?
俳優の阿部寛さん(43)が、15歳年下の元OLの女性(28)と結婚することを発表した。一般女性なので相手の方の写真は見られず、律儀な性格で評判の阿部寛さんは結婚会見の時に嫁の似顔絵を自ら2枚描き持参していました。
阿部寛:馴れ初め
阿部寛さんと妻は2006年に知人の紹介で飲み会の席で出会い、意気投合し交際をスタートさせ、1年前に阿部寛さんがメールをしたことから交際に発展して、約1年間の交際を経たそうです。結婚の理由について、阿部寛さんは「僕にとってかわいい人。価値観が合って、年齢差を感じない」とのことでした。
阿部寛:愛称「寛くん」
阿部寛さんの妻は15歳も年齢差があるようには感じないほどしっかりした女性と言っており、年齢差は全く気にならないのだとか。そして、阿部寛さんの妻には普段は「寛くん」という愛称で呼ばれているみたいです。年齢差は感じないものの、やはり15歳も離れているので一応”くん”付けです。ほっこりしてしまうエピソードです。
阿部寛:僕のよき理解者
阿部寛さんは妻のことを、「僕のよき理解者」と言っており普段テレビでは弱い部分を一切見せない阿部寛さんの弱い部分も支えている様子です。現在、阿部寛さんの妻はOLを退職し専業主婦として阿部寛さんと家庭を支えています。
阿部寛:借金返済を待って結婚
借金を完済してすぐに結婚を発表した阿部寛さん。きちんと自分の中で責任を持って生きている人だという事がわかります。借金を背負ったまま結婚することは、阿部寛さんの中ではありえない話だったのでしょう。阿部寛さんは、とても誠実な人物だと推測されます。
阿部寛:2人の娘に恵まれる
子供は女の子が2人います。阿部寛さんが47歳の時に2011年6月23日に長女が、阿部寛さんが48歳の時に2012年11月1日に次女が生まれています。50歳を目前に2人の子供を授かった阿部寛さん。長女も次女も東京のブランド校である青山学院の幼稚園に入園したと噂されているようです。クールな外見とは裏腹にかなり子供好きで妻に対しての愛情が深い事がよく分かります。


阿部寛、映画『テルマエ・ロマエ』日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞
2012年4月28日より全国東宝系にて公開された映画『テルマエ・ロマエ』は、監督は武内英樹が務め、主演の阿部寛さんの見事な演技をはじめ、主要なローマ人の登場人物を日本人屈指の「濃い顔」俳優たちが演じました。
映画『テルマエ・ロマエ』はチネチッタで撮影し、スタジオではCGをつかわなかったので巨大でスケールが違いとても迫力のあるシーンが多く大変好評でした。
阿部寛さんは、映画『テルマエ・ロマエ』では裸になるイタリア人役だったので、イタリアでのお風呂のシーンではとても裸になる時に勇気がいったと語っていたそうです。
テルマエ1の撮影の時に、女優・上戸彩さんは300人のイタリア人のエキストラから阿部寛さんを発見できなかったそうです。
ブルガリアで巨大セットを作って撮影した映画『テルマエ・ロマエ』。力士に囲まれて風呂に入るシーンがあったので、筋肉をつけるため体重を10kgくらい増やしたという阿部寛さん。流石です。
阿部寛さんが偏屈なローマ人技師を演じていて、映画『テルマエ・ロマエ』は大ヒットしました。当たり前な日本の風呂文化も、日本人が営々と積み重ねたものだと思うと、また違った視点から日本の風呂文化見えてきます。
「第36回日本アカデミー賞」の授賞式が2013年3月8日、東京都内で開かれ、大ヒット映画「テルマエ・ロマエ」に主演した俳優の阿部寛さんが初の最優秀主演男優賞に輝きました。
「まさかと思いました。こんなことが起きるとは…。こんなにデカい体なのに、鳥肌が立って情けないです」と恐縮気味に喜びを語った阿部寛さん。「この壇上にまた帰って来ることがあるなら、今度は日本人の役で」と語り、阿部寛さんは面白トークで会場の笑いを誘っていました。
俳優・阿部寛さんは、映画『テルマエ・ロマエ』で、「第55回ブルーリボン賞主演男優賞」「第36回 日本アカデミー賞最優秀主演男優賞」をそれぞれ受賞し、俳優としての地位を不動のものにしました。
映画『テルマエ・ロマエ』で共演した市村正親さんや北村一輝さん、宍戸開さんと阿部寛さんは濃い顔同士で『ローマ会』と称して、年数回集まって飲み会を開いているそうです。

「乾燥が強敵」と公言する阿部寛。加湿器と空気清浄機を何台持ってる?
2014年5月11日『おしゃれイズム』にゲスト出演した俳優・阿部寛さん。加湿器と空気清浄機が好きで自宅に10台以上持っているそうです。自宅のリビングに6か7台、8畳ほどの寝室に3台も加湿器を置いてる阿部寛さん。司会進行役のくりぃむしちゅー・上田晋也さんが「(自宅が)サハラ砂漠みたいに乾燥してらっしゃるんですか?」とツッコんだのも無理もなく、阿部寛さんの自宅の部屋の広さに対して明らかに加湿器が多過ぎるのでした。
阿部寛さんは、潤い過ぎている寝室では湿度が高すぎて窓も顔も毎朝ビッチャビチャになっているとか。「ビッチャビチャになって(体が)冷えて風邪引いたりとかしないですか?」と司会進行役のくりぃむしちゅー・上田晋也さんが冗談まじりで尋ねると、阿部寛さんは「まぁ、ちょっとね、それに近いことは...」と、本末転倒なことを明かしていました。毎日、その大量の結露を拭いているので窓がいつも綺麗なのだとか。毎日、加湿器に水入れるのにも30分かかるという阿部寛さん。カビ対策も完璧で、阿部寛さんは自分でまめに加湿器の中も掃除してるそうです。
結婚してからは違うと思いますが、阿部寛さんは洗濯が大好きで、洗濯機の前から離れられなかったそうです。動いているのをずっと眺めながら、絡まった服があると手を貸してあげるそうです。ちゃんと洗えているかどうか様子を確認したりするため、離れられないとか。神経質なの?とも思ってしまいますが、神経質な人なら自分でハサミで無造作に髪を切って部分的にハゲがあるなんてことはないでしょうから。きっと、優しくて心配性なんでしょう。
ドラマや映画にひっぱりだこの阿部寛。性格も良く誰からも愛される性格?
阿部寛さんが大の「マツダファン」で、俳優にならなかったら「マツダ」に入社したかったそうです。大柄にも関わらずコンパクトな1994年に購入した『黄色のファミリア』に10年以上も乗り続けているとう噂がありました。知人やスタッフから、夢を売る商売の俳優で、しかも高い身長と、スリムな体型を維持して体重をコントロールする”阿部寛”という名前で売っているのだから、いい加減車を買い換えたら?とも言われ続けてきたそうですが、それでも阿部寛さんはお気に入りのこの愛車を手放そうとしなかったようです。バブル時代に背負ってしまった大きな借金の返済なども関係していたでしょうが、この車は阿部寛さんが俳優として売れ始めた頃に購入したもので、その後も仕事を続ける中で一緒にずっといてくれた大切な車で、これに乗り続けたことで、売れっ子にもなったと思っているそうで、だから大事にこの車を愛用して、阿部寛さんの妻と交際中もデートはこの思い出深い愛車を活用していたそうです。
今後も愛車を手放すつもりはないと阿部寛さんは話しているとか。しかし、阿部寛さんは後にこれを否定したとの噂もあり、この都市伝説はとても有名で、真実はわかりませんが、1994年に購入した『黄色のファミリア』を未だに乗っているとは思えません。
更に、1994年の『ファミリア』には黄色のボディカラー設定はないそうです。結婚当初は『ファミリア』に乗っていた可能性はあるかもしれませんが、私立の学校に通う2人の子供たちがいますから、今は大き目の車に乗っているでしょう。阿部寛さんも否定していますから、1994年に購入した『黄色のファミリア』は都市伝説が正しいようです。
ダンディーなイメージの強い阿部寛さんは様々なユニークなエピソードで多くの人から愛されていることでも有名なのだとか。自分で髪を気ままにカットしてしまう阿部寛さん。時々切りすぎて(ハゲてる場合もあり)スタイリストに怒られることも多々あるのだとか。気取らない性格であることが伝わってくる面白エピソードです。
あの辛口で有名な蜷川幸雄さんのコメントで「一生懸命でない阿部寛さんを見たことがない。いつまでたっても失わない素朴さ、誠実さがある。時代を超えた日本人の原型がある」と褒めていたとか。

“国民的俳優” 阿部寛。プロフィールから愛される性格までの総まとめ
阿部寛さんの情報総まとめはいかがでしたか?プロフィールから両親や兄弟、芸能界デビューのきっかけ、バブル崩壊で不動産価値下落で多額の借金、3年間のパチプロ生活、憧れの人、俳優として成功を収めるまで、人気ドラマの紹介、多額の借金全額返済後の結婚会見、『テルマエ・ロマエ』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞、尊敬する人など阿部寛さんの情報総をまとめしました。現在の阿部寛さんは”年収数億円”とも言われ、2008年には結婚、長女と次女を儲け二児の父になるなど順風満帆そのものです。性格もよく「紳士的で謙虚」と評判の阿部寛さんは、心から応援したい芸能人の1人です。