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竹原慎二に死亡の噂?がんと闘病中の現在や余命に迫る。【画像あり】
竹原慎二はプロボクサーとして世界王座を獲得したすごい人ですよね!その竹原慎二が死亡してしまったと噂になっているのです!なぜ竹原慎二が死亡の噂になってしまっているのでしょう?今回は竹原慎二の死亡の噂と現在に迫っていきたいと思います。

目次
竹原慎二プロフィール
名前 竹原慎二
生年月日 1972年1月25日
血液型 A型
代表作
ガチンコファイトクラブ
ガチンコ!AKBクラブ
竹原慎二はプロボクサー
竹原慎二のイメージといえば、ボクサーという人が多いでしょう。その竹原慎二は実はボクサーを目指していたわけではないのです。
学生時代は札付きのワル
竹原慎二の学生時代は、札付きの不良で「広島の粗大ゴミ」と言われていました。粗大ゴミと言われるなんて、よっぽど地元の大人たちに嫌われていたんですね。ちなみに竹原慎二の通っていた中学校は宇梶剛士や吉川晃司が通っていた学校だそうです。地元でも不良が通う学校だったんでしょうね。宇梶剛士も元々暴走族のヘッドをしていましたし。
高校を受験したもののすべて失敗
高校受験を複数受験したものの、全て落ちてしまったそうです。中学生時代はとにかく喧嘩に明け暮れていて勉強していなかったから受験に落ちてしまったんでしょう。そのあとは就職しても仕事が続かず辞めてプラプラしていたんです。
ボクサーにはなりたくなかった
見るに見かねた父親が竹原慎二を自分の経営するボクシングジムに入れました。なので、元々竹原慎二が進んでボクシングをしたわけではないんですよね。
中学時代は柔道をしていた
竹原慎二は中学時代は柔道部に所属していました。体力の基礎は毎日の喧嘩と柔道でつけられていたんですね。
父に教わったボクシング
父親がボクシングジムを経営していたので、竹原慎二が小学生の頃からやっていたら人生変わっていたでしょうね。父親としてはボクシングの辛さをわかっているから息子にはそんな辛い思いをさせたくないと思っていたんでしょうが、素行不良で入れるとは思ってもみなかったでしょうね。しかし、ジムに入れてみるとめきめきと上達する竹原慎二を見てうれしかったでしょう。
上京するために
竹原慎二はボクシングを始めてからめきめきと上達し、上京することになりました。上京する前には、自分が所属していた暴走族の集会で「今日で抜ける、ボクシングのために上京する」ときちんと筋を通し、1988年にプロボクサーになるために上京したのでした。
ボクサー時代の竹原慎二
この画像は現役の頃のものではありませんが、竹原慎二は上京してから1年後にはプロデビューを果たしており、当時16歳!若いですよね。
意外と竹原慎二は真面目にボクシングを続けていてそのおかげでプロボクサーになるのも早かったのです。イメージ的にしんどいから辞めたいと逃げ出すイメージがありましたが、なにか打ち込めるものが欲しかったんでしょうね。
1991年10月28日に行われた日本王座で当時王者だった西條岳人にKO勝ちして日本王者に輝きます。ボクシングを始めてから3年程度で日本の王者になれるなんてすごいですよね!やはり竹原慎二にはボクシングの才能があったのでしょう。
世界を制した竹原慎二
日本王座を獲得したあと、1995年12月19日。プロデビューしてから6年目で無敗のまま世界王座を獲得することになります。当時、日本人のライトヘビー級の世界王者は竹原慎二が初めてでした。2016年現在でも竹原慎二以外の日本人は世界王者を獲得しておりません。
ついに王者から陥落
迎えた防衛戦ですが、竹原慎二もかなり緊張してしまって結局6ヶ月で王座を奪われてしまいました。
ボクシングを断念・・・
負けてからも世界王座に向けて頑張っていましたが、ボクサーにつきものの網膜剥離が発覚してしまい、ボクシングを引退するしかありませんでした。引退後はタレント活動に転身しましたが、なかなかタレントとして芽が出ず、日焼けサロン店で働いて生計を立てていました。
のちにバラエティで活躍!
竹原慎二は「ガチンコ」で評判に!
ボクシング時代を知らない人は、「ガチンコ」での竹原慎二の方がお馴染みなんじゃないでしょうか。この企画は、番組で素人の不良たちをプロボクサーにしよう!という企画で始まりました。
広島出身は怖い?!
番組のプロデューサーが怖いといえば、広島だろうということで広島出身だった竹原慎二がいいだろうと会ってみました。会ってみると印象通りに怖かったのでオファーをかけたそうです。確かに、広島の言葉って大阪弁よりも汚くて怖いイメージがありますよね。竹原慎二も広島弁丸出しなので余計に怖いイメージがあったのでしょう。
番組は成功、プロボクサーが誕生!
番組では視聴率も良く、3年間の間でプロボクサーは12人も輩出されました。番組の企画だったとはいえ、大変だったと思います。現在、でもプロボクサーとして活躍している人や、転身して役者をしたりしている人もいます。一時期、台本があってヤラセだと騒いでいる人も視聴者の中にはいましたが、実際にプロとしてやっている人もいるので、あまりヤラセだと騒がない方がいいと思います。竹原慎二は一貫して「ヤラセはない」と断言していますが、なかなか信用してもらえません。
今でも交流がある竹原慎二
この方はきちんとプロデビューをした藤野大作。2004年に頚椎損傷をしてしまい、治療に専念したものの、そのまま引退をしてしまったようです。バラエティ番組で再会した竹原慎二ですが、ちょっと照れくさい感じがしますね。藤野大作も当時は若くてすごい竹原慎二に噛み付いていましたし。竹原慎二も噛み付いてこられてもさらっと受け流したり、きちんと躾をしている様は愛があったからこそできたんでしょう。
竹原慎二が死亡?!
竹原慎二がなぜか死亡したという噂が流れています。なぜ死亡したという噂が流れているのでしょう?死亡の噂を探っていくことにしましょう!
竹原慎二の死亡説
竹原慎二の死亡という噂が出回ったのは、竹原慎二ががんに犯されてしまったからです。次からは、竹原慎二ががんになってしまった詳細についてお伝えしていきたいと思います。現在、竹原慎二の余命はどのくらいあるのでしょう。現在の画像とともに伝えします。
竹原慎二ががんになってしまった
竹原慎二のイメージって、昔ボクシングやっていたし、病気とは無縁の人だろうと思う人が多いのではないでしょうか?実は、竹原慎二はがんにおかされていたのです。
がん=死亡?!
現在では2人に1人がなんらかしらのがんになると言われているようです。しかし、がんは怖いものではないくて、がん=死亡というのは昔のイメージで現在では早期発見できてしまえば、昔のように死亡してしまうというのはパーセンテージが低くなってきているのです。
わかりやすいがん発生のがん細胞
画像で見るとわかりやすいがんの発声の仕方ですね。正常だった細胞に屁に細胞が出現してしまい、その細胞に同調するようにがん細胞が増えて行き、最終的にはがん腫瘍になってしまうのです。
がんといっても、様々な場所にがんはできます。画像で言うと、女性であれば、子宮がん、乳がんがポピュラーですが、男性の場合は胃がんや、大腸がんがなりやすいそうです。竹原慎二はどのがんにかかってしまったのでしょう?
セカンドオピニオンがいなければ死亡!
2014年にがんで入院されていますが、前年あたりから血尿が出るなど、体調不良が続いていました。最初、病院でも別の病名を言われていたので、それで信じきっていたものの、明らかに体調がおかしくなってきたので、セカンドオピニオンを受けることにしたのです。
死亡せずに済んだセカンドオピニオン
セカンドオピニオンで精密検査を行ったところ、膀胱がんということがわかりました。このセカンドオピニオンを受けなければ、今頃生きて余命があったかどうかわかりません。一人の医者だけではなく、様々な角度で調べたほうが病気を見つけやすいですね。みなさんも医者が下した判断でも別の医者にかかることを覚えましょう。
竹原慎二の闘病生活
画像ではすっかりヒゲをはやしていますね。それだけ闘病というのはしんどいのです。竹原慎二は精神的にボクシングで鍛えられていますが、それでもがんの闘病というのはしんどいのです。
なにがしんどいかというと、今まであった体重から11キロも落ちてしまっては歩くのもしんどいでしょう。なぜ体重が減ったのにしんどいかというと、運動で筋力をつけながら落ちたわけではないのです。筋力が落ちてしまうということは、今まで動けていた分が動けなくなってしまうんです。とくに竹原慎二はボクシングで鍛えていた筋力なので、それが11キロも落ちてしまうのは体力がかなり下がってしまうんですよね。
ステージが死亡レベル!
最初の診察から1年後、発覚した当時ですでにステージが4だったそうです。最初に診察したときは、竹原慎二が40代という若さからまさか膀胱がんだとは疑わず、膀胱炎だとばっかり思っていたそうです。やはりがんでもある程度かかる年齢というのが関係あるんですね。
死亡する確率
すでにがんのステージで4ということは今までの生活の中で死んでいてもおかしくはなかったんです。そう考えると、よくぞ生きていてくれたなと感じます。この時、いろんな医者にかかったところ、余命1年未満とも言われたりしていました。
わかりやすい膀胱がんのステージ画像
0期からあるのですが、竹原慎二の場合は一番右の部分に該当しています。抗がん剤治療や、放射能治療しかなく手術する段階はとっくにすぎていました。
がんと戦っている芸能人
2015年9月に右乳房全摘出手術をされた北斗晶。テレビに出なくなってから結構経ちますが、ステージ2なので、生存確率も5年後で50%あるそうです。北斗晶ならがんの方が逃げて行きそうな気がします。また元気な姿をテレビで見かけれるといいですね!
最近がんだと発表された小林麻央。子供がまだ小さいというのに辛すぎです。ブログの方を覗いてみるとやたらと思い出作りという言葉が出ています。これって、自分がいなくなってしまうことを示唆しているのではないでしょうか?入院期間も1年8ヶ月くらいの治療だとステージ3にはなっているそうです。しかもまだ年齢が33歳ということは進行が早いというのも関係しています。なんとも克服してほしいところですが難しいでしょうね。
死亡せずに手術!
最初、人工膀胱に移植するはずだったのですが、付けてみたところどうにもうまくいかなかったようで、切り取る手術になったそうです。もう死ぬかも・・・とおもったからこそ、カメラの前で妻に愛の言葉を残そうとしたのでしょうね。つい泣けてきてしまいます。
テレビで闘病生活を公開
手術は見事に成功し、余命を大幅に伸ばせました。もし、セカンドオピニオンを受けていなかったらもう余命がないほどになっていたでしょう。人工膀胱はつけず、自分の小腸を使用する事で人工的なものはつけなくてもよくなったんですって!
がんの治療費に1000万円
がんの治療費だけでも大変ですよね。現在では、以前からやっていたスポーツジム、タレント活動を本格始動しているので治療費は意外と期間かからずに返せてしまえるかもしれません。
手術では血液はそこまで出血しないはずだったのに、思った以上にしゅっけつしてしまったそうで、ICUに入ることになりました。その間はとっても地獄だったそうで、画像を見ていてもしんどいのがわかります。ボクシングで痛みにはなれていても体を動かせないことのほうが苦痛だったそうです。
起きていても体をろくに動かせないというのは、スポーツをやってきた人にとってとても苦痛でしかないですよね。それにしてもよくステージ4だったのに生きて帰って来れたと思います。
現在、竹原慎二はがんを克服!?
死の淵を彷徨っていた竹原慎二ですが、手術が成功してよかったですよね!がんになってから体重がガタ落ちしてこけた頬がちょっぴり痛々しいですが、まだ竹原慎二にはやることがあるから神様が死亡させなかったのでしょう。
死亡デマが広がってしまった
ステージ4でも奇跡的に生き残った竹原慎二。やはりがんのステージが4まで進行していると、どうしても死亡しているのでは?と思う人も多かったんでしょうね。でももし亡くなられたらキチンとニュースで流れると思います。とくに続報がなかったから死亡のデマを信じてしまったんでしょう。
闘病前にやっていた相談室
病院から退院後
現在の竹原慎二
現在の竹原慎二はどうなっているのでしょう?かつてのように体重は戻っているのでしょうか?画像も紹介させてくださいね。
2016年11月現在の竹原慎二
やはり闘病のせいか、体重はあまり戻っていないように見えます。この画像の時は娘の誕生日だったそうです。しかし本人がいなくてしょんぼりしている画像ですね。残念そうな竹原慎二が可愛く見えます。
体を動かすことが好きな竹原慎二。この日は13キロ走ったそうです。
病院に通う頻度も少なくなっている
テレビでも自分の体験を元に、医者にかかるときはセカンドオピニオンの大切さを語っていますね。
闘病生活をブログで発表
竹原慎二の死亡確率
現在の竹原慎二の余命はどうなっているのでしょう?
死亡確率は減っている
がんによって海容期間が違っていて、竹原慎二の膀胱がんというのは、5年が海容期間になっています。発がんから5年過ぎて再発しなければ完治下といってもいいのです。さて、竹原慎二の余命はどのくらい残っているのでしょう。
竹原慎二の死亡するまでの余命
今のところ、がんの再発はないものの、医者からは5年後の生存は40%と言われています。がんの海容期間まであと2年ですが、現在は再発可能性は0といわれているので、だいじょうぶなんじゃないでしょうか?
まとめ:竹原慎二の治療は続いていく!
いかがでしたでしょうか?竹原慎二の精神力でがんに打ち勝ったと思えますよね。がんになってやったことは、とにかく免疫力を高めることだといっていました。それとよく笑うこと。やはり笑顔でいるのは健康でいるのとイコールでつながっているんですね。これからの人生も健康で過ごされることを祈っています。
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