【将棋】村山聖の生涯が映画に!羽生善治のライバル!死因の病気は何?

29歳でこの世を去った天才棋士・村山聖の生涯を描いた映画「聖の青春」が公開され話題になっています。村山聖は羽生善治と五分の戦いをしていたライバルとして将棋界の中心的人物でした。しかし村山聖は幼い頃から病気を抱え志半ばにこの世を去ってしまいました。

【将棋】村山聖の生涯が映画に!羽生善治のライバル!死因の病気は何?

目次

  1. 村山聖の生涯を描いた映画「聖の青春」が公開!
  2. 「聖の青春」の主人公・村山聖のプロフィール
  3. 村山聖は幼い頃から患っていた病気「ネフローゼ」とは?
  4. 村山聖が棋士になるきっかけは?師匠・森信雄との出会いとは?
  5. 師匠・森信雄の村山聖への師弟愛がスゴイ!
  6. 村山聖の将棋人生とは?天才棋士として名を馳せる!
  7. 東の羽生・西の村山!羽生善治と村山聖の関係は?
  8. 村山聖が29歳という若さでこの世を去る・・・死因とは?
  9. 村山聖の生涯を描いた映画「聖の青春」の出演者や内容は?
  10. 「聖の青春」で村山聖を演じた松山ケンイチの役作りがスゴイ!
  11. 映画「聖の青春」で描かれた村山聖の姿に注目です!

村山聖の生涯を描いた映画「聖の青春」が公開!

2016年11月19日から若干29歳で亡くなった伝説の棋士・村山聖の生涯を描いた松山ケンイチ主演映画「聖の青春」が公開されています。村山聖は羽生善治のライバルとまで言われていた棋士で村山聖が亡くなった時には多くの将棋ファンがその死を悼みました。

病気と闘いながらその生涯を将棋に捧げた村山聖は現在でも多くの人の心に生き続けています。「聖の青春」の主人公・村山聖とはどのような人物だったのか詳しく紹介します。

「聖の青春」の主人公・村山聖のプロフィール

村山聖(むらやまさとし)

生年月日:1969年6月15日 没年月日:1998年8月8日(満29歳没) 出身地:広島県 プロ入り年月日:1986年11月5日(17歳) 棋士番号:180 段位:九段(追贈) 通算成績:356勝201敗

村山聖はいわゆる「羽生世代」と呼ばれている強豪棋士の1人です。村山聖は17歳でプロ入りしていますが奨励会入門からわずか2年11ヶ月でのプロ入りでした。プロ入りまでのスピードは羽生善治をも上回る脅威のスピードでした。

しかも村山聖は幼いころから難病を抱えていて病気によるやむを得ない不戦敗が多くありました。それでこの驚異的なスピードはまさに神童だったのだと思います。村山聖はプロ入りしてからも恐るべき勢いで勝ち進み羽生善治らと共に「新人類騎士」や「チャイルドブランド」と呼ばれ将棋界の中心的棋士として活動を続けていました。

「怪童丸」と呼ばれた村山聖

村山聖はその風貌などから「怪童丸」との異名で呼ばれていました。また「西の村山・東の羽生」と言われ羽生善治と戦って何度も勝利するなどライバルとして将来を期待されていました。しかし村山聖は29歳という若さでこの世を去ってしまいます。

村山聖は幼い頃から患っていた病気「ネフローゼ」とは?

幼少期の村山聖

村山聖は5歳の時に腎臓の難病「ネフローゼ症候群」にかかっていることが発覚しました。村山聖は病気のため幼少期から入院生活を余儀なくされていました。そのため小学5年生までは病院に入院していて院内学級で過ごしています。

村山聖の抱えていた病気「ネフローゼ症候群」とは?

ネフローゼ症候群とは尿からタンパクが沢山出てしまう病気です。この病気では血液中のタンパクが減ってしまい低たんぱく血症になってしまいます。そのため胸水や腹水など余分な水分が貯まり全身のむくみ(浮腫)が引き起こされます。

村山聖の体型は太っていると思われがちですが病気による全身のむくみ症状が出ているため肥満体型になってしまっています。ネフローゼ症候群は腎臓の疾患が主な病気の原因だと言われていますがその他の原因でかかることもあるため原因ははっきりと分かっていません。

村山聖が棋士になるきっかけは?師匠・森信雄との出会いとは?

小学生時代に長期入院を余儀なくされた村山聖は入院中に父親から将棋を教えてもらい、将棋に没頭するようになりました。村山聖は朝から晩まで将棋を指していることが続き身体に障ると注意されても聞き入れなかったと言われています。

村山聖は10歳の頃から地元の広島市内の将棋教室に通いアマチュア四段に認定されました。村山聖は11歳から名門将棋道場「広島将棋センター」に移り将棋の腕を磨き中国こども名人戦で4大会連続優勝を果たすなど才能を開花させていきました。

村山聖と師匠「森信雄」の出会い

村山聖は中学校1年生でプロ棋士を目指します。村山聖がプロを目指していることを知ると両親は驚きましたが、村山聖が病気を抱えていたこともあり「好きなことをやらせたい」と師匠を探し始めました。

村山聖の師匠探しは難航しました。村山聖が10歳の頃通っていた将棋教室を開いていた元奨励会会員に相談すると「まだ師匠を紹介するには早い」と告げられてしまいます。しかし病気を抱えていた村山聖には時間が無いと両親は師匠探しに奔走しました。

そして日本将棋連盟広島将棋同好会支部の支部長を通じて大阪の「森信雄」を紹介されました。森信雄は村山聖を一目見て気に入りました。村山聖は1982年に森信雄に弟子入りし奨励会を受験し合格しました。

村山聖は奨励会への入会が一度見送られていた

村山聖は1982年に森信雄の弟子として奨励会を受験して合格していますが、当初師匠の紹介を相談された元奨励会会員も「灘蓮照」に村山聖の弟子入りを申し込んで許可されていました。

そのことから灘蓮照が「村山聖は自分の弟子」だと主張し奨励会入りに待ったをかけました。奨励会への入会が認められなかった村山聖ですが森信雄の師匠である「南口繁一」の仲裁もあり翌年の1983年に奨励会を再受験し入会が認められました。

師匠・森信雄の村山聖への師弟愛がスゴイ!

村山聖と師匠・森信雄の関係は師弟関係以上のもので森信雄は村山聖のことを息子のように可愛がっていました。「聖の青春」の作者・大崎善生も度々森信雄から村山聖のことを聞かされていたと語っています。

森さんは毎日のように私の部屋で「村山くんがな、村山くんがな」としゃべっていた。

「聖の青春」の作者・大崎善生

村山聖は師匠の森信雄に弟子入りすると単身で大阪で暮らし始めました。森信雄は病気の村山聖を同居して身の回りの世話を献身的に行っていました。ある時には村山聖が高熱を出してしまい森信雄が励まし続けたことも語られています。

しばらくして「今何度ですか。42度になったら、僕死にます」体温計をみると、41度を超えていたが、「うん、40度やなあ」とごまかした。朝方、熱が引いた。

また村山聖は少女漫画が好きでした。村山聖が体調が悪い時には師匠の森信雄がお使いを買って出て少女漫画を探して奔走したことも語られています。周囲からは「どちらが師匠なのか分からない」と言われていました。

そんな師匠・森信雄の深い愛情があったからこそ村山聖は病気を抱えながらもプロ棋士として活躍し続けれたのだと思います。村山聖の死後に追悼文を師匠の森信雄が書いていますがそこからは深い師弟愛が見て取れます。

森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」 | 将棋ペンクラブログ

村山聖の将棋人生とは?天才棋士として名を馳せる!

村山聖は1986年11月5日に17歳でプロ入りを果たしています。プロ棋士となった村山聖はすぐに頭角を表し破竹の勢いで勝ち進みました村山聖も他のプロ棋士と同様に「名人」を目指していました。

プロ棋士のクラス分けや「名人」になるための仕組み

プロ棋士にはクラスがあり「A級~C級2組」まで実力によってクラス分けが行われています。「名人」になるためには「A級リーグ」で優勝すると前期の「名人」への挑戦権を獲得できます。そして前期名人に勝利することで「名人」の称号が与えられます。

村山聖は病気を抱えながら奮闘

村山聖は「名人になって早く将棋を辞めたい」と口癖のように言っていました。その言葉の中には「自分は病気で後がない」という覚悟と「プロ棋士の世界では自分が勝つということは相手を殺すこと」だという幼い頃から人の生死を間近で見てきた村山聖の葛藤の表れでした。

村山聖は病気や葛藤を抱えながら活動の場所を大阪から東京に移し1995年4月に「A級八段」にまで登り詰め「名人」の射程圏内までたどり着きました。しかし村山聖はA級在籍中にこの世を去ってしまいます。

東の羽生・西の村山!羽生善治と村山聖の関係は?

村山聖と羽生善治は年齢も1歳しか違わず同じ時期に活躍し注目を集めていました。村山聖も羽生善治には特別な敬意を払っていたと言われています。村山聖と羽生善治はライバルと呼ばれ「東の羽生・西の村山」と称され村山聖の対羽生戦は「6勝7敗」と五分の戦いをしていました。

村山聖は羽生善治に近付きたくて東京に進出していた!

ライバル関係にあった村山聖と羽生善治ですが病気での不戦敗なども多くあった村山聖は羽生善治に実績では後れを取っていました。しかし天才棋士と呼ばれた村山聖ですから羽生善治の強さは肌身で感じていたのでしょう。

出典: http://blog.goo.ne.jp/goonobuo1952/c/b6ec8d9d88590fc7f3bdfed5d9256269/2

村山聖は1995年頃に関西から東京に活動拠点を移しています。その裏には村山聖が羽生善治にライバルとして特別な思いを持っていたことが大きく関係していました。「聖の青春」の作者・大崎善生が次のように語っています。

その後、東京に引っ越すわけですが、羽生さんと一緒の空気を吸いたいという理由でしたね。

村山聖の最後の対戦相手も最後に会った人物もライバルの羽生善治だった

村山聖の生前最後の対戦相手は羽生善治でした。この時村山聖はかなり体調も悪化していましたが前半は村山聖が優勢で進んでいました。しかし最後でミスをしてしまい勝利できませんでした。

村山聖はこの対局の直後に「病気療養のため1年間休戦する」という旨を公式発表しています。そしてそのまま帰らぬ人になりました。村山聖は病気療養で広島に戻っていましたが羽生善治が名人戦で広島に訪れた際に会いに訪れています。

最後に会った棋士も羽生さんなんですよね。広島で名人戦が開催されたとき、そうとう危ない状態だったのですが、どうしても会いたいとお父さんにせがんで。

Thumb【将棋】村山聖と羽生善治のエピソードまとめ!ライバル達の最後の対局とは?

村山聖が29歳という若さでこの世を去る・・・死因とは?

村山聖は1998年8月8日に亡くなっています。死因は癌でした村山聖が幼い頃から患っていたネフローゼ症候群によって死因となった癌を発症してしまったと考えられます。村山聖の死因となった癌が発見されたのは村山聖が東京に進出した後のことでした。

村山聖は死因となった癌のことを周囲に隠していたため将棋関係者のほとんどが癌に侵されていたことを知りませんでした。村山聖は最後のうわごとでも将棋を指していたといい「2七銀」と最後に呟いて亡くなりました。村山聖は最後まで棋士への復帰を望んでいました。

村山聖の死因となった「進行性膀胱癌」との闘病生活とは

東京に進出した村山聖ですが体調がますます悪化してしまい1997年春に「B級1組」に降格していました。そんな時東京で死因となった「進行性膀胱癌」が発見されました。村山聖は東京のアパートを引き払い広島大学病院に入院しました。

「広島大学病院」

広島大学病院に入院した村山聖ですが手術を一旦拒否していました。手術を拒否していたのは「子供が作れなくなるのが嫌だから」だったようです。その後医師が説得し片方の膀胱と腎臓の摘出手術を行っています。

村山聖は「脳に悪影響があれば将棋に支障をきたす」との理由で抗がん剤や放射線治療は拒否していました。村山聖は手術直後から休戦することなく将棋の対戦を行っていました。しかし1998年の春に癌が再発・転移していることが発見されました。

休戦を発表した村山聖ですが癌の再発を周りにも隠していました。村山聖の最後は広島大学病院の名札の無い病室でひっそりと過ごしたとされています。葬儀は村山聖の希望で密葬で行われ葬儀終了後に死因や死亡した旨が発表され世間に衝撃が走りました。

村山聖の生涯を描いた映画「聖の青春」の出演者や内容は?

映画「聖の青春」は病気を抱えながら将棋に人生を捧げた天才棋士・村山聖の生涯を描いた大崎善生が執筆したノンフィクション小説を原作としています。村山聖役を「松山ケンイチ」が演じ、ライバルで最後の対戦相手・羽生善治役を「東出昌大」が演じています。また村山聖の将棋人生を支え続けた師匠・森信雄役を「リリー・フランキー」が演じています。

村山聖役:松山ケンイチ

羽生善治役:東出昌大

その他豪華キャスト陣が集結

映画「聖の青春」は公開されると映画を見た人からは「涙腺崩壊する」「ハンカチが必須」と話題になっています。羽生善治もこの作品を見て「村山聖さんの存在感の大きさを改めて深く実感した作品」と太鼓判を押しています。

「聖の青春」で村山聖を演じた松山ケンイチの役作りがスゴイ!

映画「聖の青春」では内容もさる事ながら村山聖とそっくりになっている松山ケンイチの役作りが話題になっています。松山ケンイチは以前原作小説を読み感動し映画「聖の青春」の構想があることを知ると自分からアプローチして出演が決まりました。

松山ケンイチは病気のむくみによる肥満体型だった村山聖を演じるために体重を20kg増量して撮影に望みました。また「爪や髪にも命があるから切りたくない」と語っていた村山聖を真似て爪も長く伸ばしています。

この松山ケンイチの徹底した役作りには原作者の大崎善生も絶賛しています。大崎善生は松山ケンイチを見て「17年振りに村山くんがいた」と評しています。また村山聖のライバル・羽生善治を演じた東出昌大も本人そっくりだと話題になっています。東出昌大は羽生善治の手癖などを徹底的に研究し「聖の青春」の撮影に臨んでいます。

村山聖をモデルにした作品は「聖の青春」だけではない!

村山聖をモデルにして描かれているとされている作品は「聖の青春」以外にもあります。そんな作品をいくつか紹介します。興味があれば読んでみてはいかがでしょうか。

「聖 -天才・羽生が恐れた男-」(全9巻

村山聖の生涯を描いたフィクション漫画作品で作画を「山本おさむ」が行い、村山聖の師匠の森信雄が監修を務めた作品です。

「3月のライオン」(既刊12巻)

羽海野チカが描く将棋漫画です。この作品に登場する「二階堂晴信」は村山聖と似ている所が多くありモデルは村山聖だと言われています。

映画「聖の青春」で描かれた村山聖の姿に注目です!

怪童と呼ばれ若くして逝去してしまった天才棋士「村山聖」の生涯を描いた映画「聖の青春」は泣けると話題になっていますが作品には悲壮感が漂っている訳では無いようです。村山聖本人は幼さや愛嬌を兼ね備えたとても愛されキャラだったと伝えられています。

一方で村山聖は鋭い洞察眼を持つ二面性を持った人物でもありました。そこが村山聖の将棋の強さだったのでしょう。「聖の青春」の劇中でライバル同士を演じた村山聖(松山ケンイチ)と羽生善治(東出昌大)による対戦は実際の手順を完璧に覚え2時間以上の長回しで撮影された見所の一つです。

現在でも将棋ファンから語り継がれる天才棋士・村山聖のことに興味がある方は映画「聖の青春」をご覧になってみてはいかがでしょうか?

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2020-05-26 時点

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