宮沢りえ写真集サンタフェの衝撃の裏側!関係者だけが知る真実も?

女優の宮沢りえが出した写真集『サンタフェ』について今まで様々な噂や伝説がささやかれてきました。その謎多きヴェールに包まれた写真集『サンタフェ』の真実について関係者や宮沢りえが初めて語りました!ついに明かされた本当の裏側&伝説を一挙公開します!

宮沢りえ写真集サンタフェの衝撃の裏側!関係者だけが知る真実も?

目次

  1. 女優・宮沢りえの写真集Santa Fe(サンタフェ)の真実と裏側
  2. 女優・宮沢りえプロフィール
  3. 超絶かわいい☆若い頃の宮沢りえの画像と人気
  4. 宮沢りえ1stヌード写真集が発売【画像あり】
  5. 宮沢りえのサンタフェの画像は?
  6. 今だから話せる・・・あの写真集サンタフェの裏側と真実
  7. 宮沢りえ写真集サンタフェにまつわる伝説!
  8. 奇抜な売り込みの数々の仕掛け人は宮沢りえの母親だった!?
  9. 宮沢りえ本人がついに語った!写真集サンタフェの真実
  10. 宮沢りえの写真集Santa Fe(サンタフェ)を撮ったカメラマン篠山紀信って?
  11. 様々なトラブルを乗り越えて・・・芸能界に徐々に復帰した宮沢りえ
  12. まとめ:宮沢りえヌード写真集サンタフェの衝撃の裏側と真実

女優・宮沢りえの写真集Santa Fe(サンタフェ)の真実と裏側

この投稿をInstagramで見る

#紙の月 観終わってちょっとの間、茫として動けず。前半はそうでもなかったけど、中盤からグ〜っとあがってくる。ただ、表面上はどこまでも平熱。だからこそ、そこに潜む危うさや狂気が際立っていた。 宮沢りえの繊細さと大胆さとが同居してる様は真に迫っていたし、小林聡美は出番はほんまに少ないのに圧倒的な存在感だった。大島優子も良かった。ありきたりな終わり方をしないところもいい。#桐島部活やめるってよ といい、やっぱりこのカントクは一味違う。 #吉田大八 #宮沢りえ #小林聡美 #池松壮亮 #大島優子 #田辺誠一 #石橋蓮司 #近藤芳正

cbc_moviesさん(@cbc_movies)がシェアした投稿 -

現代でも多方面に活躍されている宮沢りえさんですが、彼女は以前、「Santa Fe(サンタフェ)」という写真集を出したことがあり、その際にはいろいろな裏話や裏事情、またさまざまな憶測を伴う伝説が生まれていました。今でも「大女優」という異名を取るほどの宮沢りえさんですが、若い頃のはつらつとしたアイドル期の人気は今でも健在で、その頃から「お騒がせアイドル」としての人気も散々出ていました。やや「トラブルメーカー的存在」としても知られる彼女が10代の一番乗ってた時期に出したヌード写真集「Santa Fe(サンタフェ)」で、「なぜヌードになったのか」という疑問が根強くありました。

女優・宮沢りえプロフィール

それではここからしばらく、宮沢りえさんのプロフィールを詳しく見ていきましょう。彼女は東京都練馬区出身で、他の道府県にはほとんど一度も転居せずに住まわれている生粋の東京人です。一時期、海外から帰ってきた帰国子女の西田ひかるさんとその生い立ちや佇まいなんかが比較された事がありますが、彼女が帰国子女という噂は飽くまで噂です。ですが、彼女の実父はオランダ人ですので、ハーフであることは間違いありません。デビュー当時は日本の全国民(特に若い青年)からの絶大な人気を集めていました。

宮沢りえの生年月日・年齢

この投稿をInstagramで見る

宮沢りえさん💖💖 #人間失格 #宮沢りえ

美樹さん(@redrose.miki)がシェアした投稿 -

次に宮沢りえさんの生年月日・年齢ですが、彼女は1973年4月6日生まれで、現在は46歳になられています。アラフォー世代ですからそれほど昔のアイドル・女優というわけでもなく、現代でも精力的に活躍されていることには納得いくでしょう。現在はV6の森田剛さんとの再婚後、幸せに暮らされています(それ以前には一般人の男性と結婚されていましたが、2016年に離婚されました)。

宮沢りえの出身地

宮沢りえさんの出身地ですが、これは先述でもご紹介しましたように公称では東京都練馬区とされています。実父がオランダ人ということで、きっと彼女もオランダで過ごされていたのではなどとされていましたが、それは根も葉もない噂です。彼女が一度ある事件がきっかけでサンディエゴに移住していた時期がありましたが、それ以外の期間はすべて日本国内で過ごされており、その間もずっと東京都内を活動拠点にされています。

宮沢りえの身長・体重

次に宮沢りえさんの身長・体重についてですが、まず体重に関しては女性アイドルの出身でもあるため確実な情報源を控えての公表はなされておらず、某サイトではいろいろと勝手な数字が記載されていることもありますが、実際には公表していません。身長は公称で167センチとされており、けっこう高身長であることが知られます。モデルプロポーションとも言われる彼女なので、写真集「サンタフェ」を出版することにも多くの人は得心できるでしょう。

宮沢りえの血液型

次は宮沢りえさんの血液型ですが、公称ではB型とされています。B型の人はよく「自分勝手・マイペース」などと評されがちですが、彼女の場合は周囲に気遣う姿勢がかなり(多くの人から)評価されている部分もあり、それほどワガママといった印象はありません。

宮沢りえの職業

次に宮沢りえさんの職業ですが、これは公称で「女優、歌手、ファッションモデル」とされています。その中でも「女優」の部類に分類されることが多く、やはりアイドルから女優へ転身するという王道を彼女も歩んできたことがわかります。某サイトや情報元ではいまだに「アイドル」と類されている場合も多く、つまりそれだけ彼女アイドル期での人気の高さがわかるものとなるでしょう。

宮沢りえの所属事務所

この投稿をInstagramで見る

#宮沢りえ

@ rie_portraitがシェアした投稿 -

次に宮沢りえさんの所属事務所ですが、現在はエムツー企画とされています。この事務所は非常に多くのアイドル・歌手・女優が所属している芸能事務所でもあり、彼女の今後の芸能テリトリーでの活動・活躍がさらに期待されますね。

宮沢りえ主な出演作品

さて「宮沢りえさんの主な出演作品」についてですが、これは非常に長い歴史を持つため、そのうちから目ぼしい辺りをかいつまんでご紹介していきましょう。「ぼくらの七日間戦争」、「釣りバカ日誌」、「春日局」、「青春オーロラ・スピン スワンの涙」、「いつも誰かに恋してる」この辺りの映画・テレビ作品に出演したことからその名が全国的に知られるようになり(主にアイドル期)、その後も主だった枠で出演されています。

11歳の頃にモデルデビュー

彼女がモデルデビューしたきっかけが「11歳の頃に週刊セブンティーンの表紙モデルとしてスカウトされた」というのはかなり有名な話で、この頃の噂は現代でもテレビなどでいくつか話されています。その後にCMの「三井のリハウス」の初代リハウスガール(1987年)に選ばれ「白鳥麗子」に扮したことでさらに脚光を浴びることになり、「白鳥麗子でございます」というキャッチフレーズで、一躍トップアイドルの仲間入りを果たされています。

超絶かわいい☆若い頃の宮沢りえの画像と人気

さて、ここからは「超絶かわいい☆若い頃の宮沢りえの画像と人気」と題し、宮沢りえさんが以前にどのような可愛らしさの持ち主だったのか、さらにそのはつらつとしたアイドル期の美しさ・愛らしさをピックアップしながら彼女の軌跡を確認していきましょう。彼女の人気はそのアイドル期にすでに確立されていたとされており、その後の人気の上り方も「アイドルから転身した際の人気の典型的なあり方」とされていました。いわゆる普通のアイドル路線からの脱皮という形になりますが、それでも他のアイドルと大きく違う点は「その美貌を奏でる様子があまりにも突飛だった点」にあります。

若いころの宮沢りえの画像①

まずこちらは彼女の若い頃(アイドル期の頃)の画像ですが、どうでしょうか、今から見ても非常に可愛らしいアイドルとして人気が出ていたことがわかるでしょう。「昭和のアイドルが現代のアイドルとしても十分通用する」というのはよく聞かれる評価ですが、彼女の場合でもその評は十分通用するものとなるでしょう。彼女が初めてデビューしテレビに映った頃、その彼女を評したコメントでよく見られていたのは「肌の美しさ」と「ハーフ美女の持ち前の美貌」です。この二重のコラボが完全に多くの男性の目と心に留まり、その頃の男性ファンの心は一般人から芸能人を含め、非常に「突飛な美しさを持つアイドル」として受け入れました。

若いころの宮沢りえの画像②

こちらも若い頃・アイドル期の絶頂にあった頃のワンショットになります。やはり彼女の美貌が照り映えているのは一目瞭然で、この後にまさか「ふんどしショット(ふんどしカレンダー)」を出すことなど夢にも想っていなかったことでしょう。彼女の愛らしい表情がなんとも多くの世の男性を魅了し、その心を捕らえて離さず、やはり男性心をくすぐる多大な美貌の持ち主だったことがよくわかります。この後も彼女のアイドルとしての人気はますます絶頂を維持していき、当時アイドルの同期として活躍していた西田ひかるさんとのW演出などで脚光を浴びました。

若いころの宮沢りえの画像③

こちらは少し大人になった頃の彼女ですが、それでもまだまだ幼さが表情に残った愛くるしい容姿が抜群に魅力的なワンショットになります。彼女はやはりその明るい表情に最大の可愛らしさ・美の魅力が発揮されており、その美の魅力をもって世の男性の心を捕らえて離さなかった腕力というか魅力に、やはりこうして写真の1つ1つを再確認してみると気付くでしょう。デビュー当時の彼女の容姿はどちらかというと「キレイ」と言うよりは「可愛らしい」とされることが多かったですが、美の感覚から見ても十分なレベルにあると言えます。

宮沢りえ1stヌード写真集が発売【画像あり】

さてここからは「宮沢りえ1stヌード写真集が発売【画像あり】」と題して、いよいよ彼女が「ヌード写真」を発売した頃のきわどい写真の数々をご紹介していきます。やはり「宮沢りえのヌードが映った写真集」と言えば「サンタフェ(Santa Fe)」で、この写真集が出た当時は非常に多くの反響が飛び交いました。「まさか人気絶頂にいる彼女がヘアヌード写真なんて出さないだろう」とする声が男性からも女性からも湧いて出てきており、これは一般人だけでなく、非常に多くの芸能人の間でも驚愕の事実とされました。

宮沢りえ1st写真集「Santa Fe(サンタフェ)」

彼女がアイドルとしてではなく別の意味で有名になったきっかけがこの1st写真集「Santa Fe(サンタフェ)」で、この写真集を出した時点から彼女の名前は「エロティックなムード」を醸すようになっていきます。それまでは清純派路線まっしぐらの彼女だったのが、このようなエロスを十分含めた1人の女性としての魅力を持ち合わせ、このきっかけをバネにする形と言っても良いほど、この後からは現代に見られる「女優としての活躍」が色濃くなっていきます。

写真集の効果で表紙のドアが話題に!

現在は「ヨルタモリ」などのおしとやかな番組に登場する淑女としてのイメージが名高いですが、この頃は彼女の元気あふれる若さが(多くの男性を)堪能させていた時期でもあるため、その写真集の表紙(ドア)も非常に画期的かつ奇抜なものでした。その表紙のフォトには「ふんどしならぬ全裸フォト」が採用されており、彼女がロック(岩)の上に座って横向き(左向き)の姿勢でただ静かに座っているという内容です。それまでの彼女の純粋な一面・まるで子供としての一面しか知らなかったファンにとっては、これは非常に衝撃的なスナップに映りました。

世間の声はどうだったのか?

先述でも何度かご紹介していますように、この「Santa Fe(サンタフェ)」が出た頃の彼女にはかなりの反響が返っていました。それは一般人からと言うよりもメディア・マスコミからの反響のほうが遥かに大きく、「そんな人気絶頂の状態でなぜヌードなのか」、「なぜこのタイミングで」といった根深い疑惑が散々高まり、その様子を想定した彼女だったでしょうが、かなりキツイ印象もありました。彼女はこの頃ちょうど「りえママ」こと彼女の実母が(彼女の)マネージャーとして活動していたので、母娘そろってのスクープも非常に注目されていました。

宮沢りえのサンタフェの画像は?

宮沢りえさんの「サンタフェの画像」についてですが、これはネット検索しても簡単に見付かるでしょう。別に不法で出版したものではなく、あくまでアイドル・芸能人(または女優)として合法で出版した物には違いありませんから、彼女の芸能活動の記録としてこの「Santa Fe(サンタフェ)」も受け入れられています。現在でも市販書籍として発売されており、ネットの通販サイトから古本屋に至るまで、その販売の範囲はかなり広いです。現在では当時よりもプレミアが付く形でさらに値段に高値が付けられている事もあり、非常にレアで貴重な写真集として知られています。

サンタフェ宮沢りえの画像①

こちらも「Santa Fe(サンタフェ)」の内容・ワンショットになりますが、やはりこのような美貌の持ち主がこのようにヌード写真集を提供するというのは、もうそれだけで空前絶後とも言えるスクープ的衝撃となるでしょう。この写真集に写された1枚1枚の写真を掘り起こす形で、当時の人気番組(特にバラエティー番組)内では非常に沸いていた記録もあります。「宮沢りえがヌード写真を出した」と言うだけで男性ファンには殺到するほどの傾向が見られ、それは半ば社会現象とも言われる類に含まれました。

サンタフェ宮沢りえの画像②

こちらも「Santa Fe(サンタフェ)」でのワンショットですが、見るとおりにかなり衝撃的なショットであることがわかるでしょう。一糸まとわぬ姿と言って過言ではないワンショットずつで埋め尽くされているこの写真集は、先述の「社会現象にまでなった事象」にあやかる形で、一気に売り切れとなった店が全国でいくつもあります。それだけ日本国内中で人気沸騰中のアイドル・宮沢りえだったことが想像され、現代から振り返ってもその人気の圧倒振りは「圧巻」の一言に尽きるでしょう。

今だから話せる・・・あの写真集サンタフェの裏側と真実

さて、ここからは「今だから話せる、あの写真集サンタフェの裏側と真実」と題して、この写真集「Santa Fe(サンタフェ)」がなぜリリースされたのか・どのような経緯があって写真集出版に踏み切ったのか、などについて多角的にご紹介していきます。彼女が当時の横綱であり人気力士だった高花田光司さんと婚約していたことは有名で、それは現在でもややタブーの内容になっているほど、当時のセンセーショナル的感覚は実に大きな話題になっていました。実はこの「Santa Fe(サンタフェ)」、その高花田関との関係のほつれに大きく影響しているのです。

貴花田との婚約発表と婚約破棄

この投稿をInstagramで見る

#貴花田#宮沢りえ

ケロリンさん(@kimagureiisa)がシェアした投稿 -

現在だからこそ「高花田関が(当時のニュースキャスターだった)河野景子さんと婚約し結婚した」ということが当たり前のように話されていますが、当時はこの「河野景子」という名前は(宮沢りえさんと高花田関との間で)無名でした。つまり、高花田関と宮沢りえさんとの関係が公に報道されてからすぐに河野さんの名前が報道関係・話題に上るようになり、その時点でまた宮沢りえさんと高花田関との関係が非常に疎遠になっていることが明かされました。結局、高花田関と宮沢りえさんは婚約破棄となり、高花田関は河野景子さんのほうを選びました。

ベストセラーのサンタフェ撮影時、宮沢りえは17歳だった?

この「Santa Fe(サンタフェ)」が出版され、155万部の大ベストセラーになった時点で宮沢りえさんは17歳だったという噂・説があり、これによって児童ポルノ法に引っ掛かるのではとう疑惑がずっと浮上していました。しかしこれはまったくのデマとする報道分野もあり、「彼女が18歳になってから出された写真集」という形で報道が落ち着いた経過も見られ、それ以上の争議にはならかったという事実が見られます。このようなヘアヌード写真集を出す場合は必ず「本人の年齢」を確認しておく事が必要であるため、これは芸能人だろうが一般人だろうが関係なく、法律上の問題に問われます。

宮沢りえ写真集サンタフェにまつわる伝説!

さて、ここでは「宮沢りえ写真集サンタフェにまつわる伝説」と題し、さらに「Santa Fe(サンタフェ)」が出版された当時の隠れた伝説をご紹介していきます。実は宮沢りえさんはこの写真集が「ヘアヌード写真集」だと知らずに撮影の仕事を引き受けたことや、またヌード写真と知っていたけど「いやらしく撮影しない」などの特殊な条件付きで仕事を承諾していたことなど、当時を振り返って確認できる項目があります。さらに学級文庫にまでなった経緯を含め、撮影者の篠山紀信氏の発言をもとに「ヌード写真ではあるが芸術センスにあふれた一冊にする」といった特殊技法が施されています。

本人は直前まで知らなかった!

まず「Santa Fe(サンタフェ)」出版直前にまつわるエピソードですが、宮沢りえさんがこの写真集を出す仕事を受ける際に、「この写真集がヘアヌード写真集だとはまったく知らなかった」という事実についてです。これは実際にあった話であり、彼女は撮影に入る直前までまったく「ヌード写真」ということを伝えられておらず、その不明・不認知の様子は撮影日当日まで知らなかったともされています。そんな状態でよく撮影を続行できたものだという噂・評価などもありますが、その辺りは奇跡的ななりゆきで彼女が許諾したとするのが妥当でしょう。

ヌードなのにエロく撮らない!

先でも触れましたように、彼女はこの写真集が「ヘアヌード写真集」だとはまったく知らずに撮影日まで臨み、その当日に知らされて写真を撮られることを了承した、という形になっています。その「奇跡的ななりゆき」の点には、「ヌードであるに関わらず、いやらしく撮らないこと」が条件として受け入れられたことがあります。あくまで女優としてのステップを踏むためにも「芸術性の高い写真集」を出版しておくことを企画した彼女はスタッフとともに、その後の芸能生活に箔をつけるための算段として受け入れたとも言われます。

学級文庫になったヌード写真集

なんとこの写真集「Santa Fe(サンタフェ)」は、学級文庫として扱われるなどという、これも前代未聞の展開を招いています。これも「いやらしく撮影せず、飽くまで芸術的な一冊」として記録した写真集であるからこを受け入れられた話だとされており、普通のヌード写真ではないことがさらに強調された形・経過・結果となっているでしょう。「サンタフェ」という言葉が「聖なる信仰」(ポルトガル語)という意味合いを持っており、その名前のとおりに「聖なる一冊・写真集」という意味を深く持たされたことにも由来します。

奇抜な売り込みの数々の仕掛け人は宮沢りえの母親だった!?

この「Santa Fe(サンタフェ)」をはじめ、その後に出た「(彼女の)ふんどしカレンダー」の場合もそうですが、その出版の仕掛人は宮沢りえさんの母親だったのでは、という噂もまことしやかに立っています。当時、りえママの通称で知られていた彼女の母親は、彼女のプロデュース的存在としてマネージャーに収まっており、彼女の芸能活動を逐一組み立てていく敏腕な助手のようにいました。ちょうど彼女が17歳頃からずっとそのマネージャーとしての働きが見られていたため、そのような噂がありましたが、真相はいまだにわかっていません。

ふんどしカレンダーが話題に

「ふんどしカレンダー」は宮沢りえさんが17歳の時に出された奇抜なピンナップ付きカレンダーで、この1年後の(彼女が)18歳の時に「Santa Fe(サンタフェ)」が出版されています。そして先でもご紹介しましたように、ちょうどこの時期に彼女の母親がマネージャーとして敏腕に働いていた頃と重なり、時期的・タイミングから見て「このような奇抜な出版物で彼女の人気を一気に高めようとした母親」との噂が立ったのは自然の事となります。実際にどのような経緯をもって出版までのいきさつが見られたかはわかりませんが、このように推定されることは高確率の事実となるでしょう。

母親は宮沢りえのマネージャー

りえママとして宮沢りえさんのマネージャーとして働いていた時期は、この17歳から20歳頃までの期間によくスクープ映像とともに知られていました。ちょうどこの頃に「ふんどしカレンダー」や「Santa Fe(サンタフェ)」が出版されて、確かに宮沢りえさんの人気は右肩上がりに上っていったことが知られています。しかし、その人気沸騰ぶりは「清純派アイドル路線からすっかり外れた」とされる(ファンからの)見方も強く残ったのも事実であり、プロデュースとしては失敗の傾向もうかがわれました。

宮沢りえ本人がついに語った!写真集サンタフェの真実

さてここからは、先述してきました「Santa Fe(サンタフェ)」にまつわる裏事情について、ついに後年で宮沢りえさん本人が語った事実についてご紹介します。先でも少し触れましたが、彼女は後年において「ヨルタモリ」という深夜枠の番組に出演されており(バーのママ役)、そこでメインパーソナリティーのタモリさんや他のお客の役、そしてゲストなどとともに談笑を展開する機会を得ています。その番組内で「Santa Fe(サンタフェ)」に関する裏事情を語ったことが明らかとなり、その内容はファンにとっては衝撃的かつ新鮮でした。

テレビ「ヨルタモリ」の番組内で激白

「ヨルタモリ」はフジテレビ系列で2014年10月19日から2015年9月20日まで毎週日曜日に放送されていた深夜番組で(23時15分から23時45分)、その番組では談笑の形で俳優・女優や歌手をはじめ、有名人のさまざまな過去話が披露されます。最近ではよくある番組内容ですが、宮沢りえさんはその番組で登場するメインパーソナリティー・スナックのママでもあるため、かなり詳しい過去話・秘話を話せる立場にあります。そこで話された「Santa Fe(サンタフェ)」の裏事情では、「ヌードについては撮影日まで一切聞いておらず、実際に脱がせたのは篠山紀信氏だった」と告白しました。

最初は普通の写真集だった?

当初、この「Santa Fe(サンタフェ)」が出版される前までは「普通の一般的に見られる(服を着用した)写真集」として出版される予定だということがわかりました。しかし最終的に篠山紀信氏の要望により「彼女を脱がせて芸術的センスの高い写真集として残したい」との願いが強くあったようで、その希望を叶える・承諾する形で彼女は撮影を許諾したという経過が(『ヨルタモリ』で)明かされています。普通の写真集からヘアヌード写真集への変更とはなんとも飛躍した内容ですが、それを芸術性の高い一冊として世に出せたのは確かに女優としてのステップアップとなったでしょう。

宮沢りえの写真集Santa Fe(サンタフェ)を撮ったカメラマン篠山紀信って?

さてここからは、「宮沢りえ写真集Santa Fe(サンタフェ)を撮ったカメラマン篠山紀信とは」と題し、篠山紀信氏のプロフィールについて具体的に見ていきましょう。篠山紀信と言えば昔から「ヌード写真集」や「芸術的な写真集」と称して多くの書物を出版してきたカメラマンですが、宮沢りえさんを「Santa Fe」でヌードにさせて撮影していた当時でも、その人気ぶりはかなり高かったとされています。そのような知名度の高いカメラマンからの要望でもあったため、彼女が断り切れなかったという想定もされますね。

篠山紀信プロフィール

篠山紀信氏は本名を「篠山紀信(しのやまみちのぶ)」といいます。本名は「みちのぶ」ですが、現代では「しのやまきしん」という呼び名のほうで認知されています。その昔、カメラマンを始めた頃には「みちのぶ」と本名のままで出版されていた経過もあったとのことです。出身大学は日本大学芸術学部写真学科を卒業後、本格的にカメラマンになることを目指し、東京綜合写真専門学校へと入学します。カメラマンを目指した当時は「ハッセルブラッド500C」とリンホフを常に携帯しており、「Death Valley」「Twins」などの写真集をすでに出版していました。

宮沢りえの写真集サンタフェを撮った篠山紀信の有名な画像

篠山紀信氏が『Santa Fe』を撮影したのはちょうど1991年で、彼が51歳の頃でした。現在はすでに78歳になられていますが、その彼がまだ若かりし頃の作品として知られているため、写真家として、カメラマンとして非常に脂ののった時期だということがわかるでしょう。しかし彼の風貌から言えば現代とその頃と見比べてもあまり変わった様子は見取れず、昔から容姿にはあまり気を遣っていなかったこともわかります。このようなカメラマン人生を地で行くような彼だからこそ非常に多くの女優・アイドルがその身を任せて彼を頼り、自分のステップアップとしての芸術性の高い写真集を出版してきたのでしょう。

篠山紀信の有名な画像①

こちらも彼が「Santa Fe」を撮っていた頃のワンショットになりますが、やはり容貌は現代の面影を残す形で芸術家といった感じで、カメラマン人生を地で行く脂ののった風采が見て取れますね。彼の写真はネットでも簡単に検索することができますが、たいていどの写真でもこのような「どこにでもいそうなおじさん」の風貌に映っており、それほど奇抜なファッションをしているとったイメージ・印象はありません。しかし、その人間的な内容は芸術的センスの塊ともされ、見る人から見れば非常に魅了的に映ることでしょう。

篠山紀信の有名な画像②

こちらも「Santa Fe」を撮っていた頃のワンショットになります。「Santa Fe」を撮っていた頃には「white room」(本木雅弘さん)や「Water Fruit」(樋口可南子さん)などの写真集も撮って出版されていた頃と重なります。主にそれまでの「シノラマ・ニューヨーク」や「1988 Tokyo」などといった景色をメインにした真集から一線を画す形で飛躍した時期にあることがわかります。さらにこの後も「高岡早紀 写真集 one,two,three」(1995年)や「神話少女」(栗山千明さん)などの芸能人を題材にした写真集が増えていきます。

様々なトラブルを乗り越えて・・・芸能界に徐々に復帰した宮沢りえ

宮沢りえさんと言えばこの「Santa Fe」や「ふんどしカレンダー」だけでなく、高花田関との破局後の自殺未遂にまつわるエピソードなども非常に重く取り上げられることがあります。ちょうど高花田関との破局報道がなされた時、多くのメディア・マスコミからのバッシングに近い反響を(彼女1人が)抱えることになり、彼女は一時避難の形でサンディエゴに居住したこともありました。さらに京都に滞在した際には、京都リーガロイヤルホテルにて自殺未遂を計った、それが理由で激ヤセした、拒食症になった、などの噂が飛び交い、その点でも復帰へのメドが立ちませんでしたが、徐々に回復して見事に復帰されました。

現在は女優業に加えてナレーション業も

宮沢りえさんは現在でも多分野で活動されており、ちょうど「イチロー×北野武 キャッチボール」でナレーションをされたことを起点にし、その後もたくさんのドキュメンタリー番組でナレーションを担当されています。2004年10月から2007年9月までTBSで放送された「夢の扉 〜NEXT DOOR〜」や、「日本遺産物語〜世界遺産の伝承を解明〜」(2010年4月18日、BSフジ)、さらに「青の宇宙史〜フェルメールから北斎へ〜」(2013年2月1日、BS朝日)などで活躍されます。

まとめ:宮沢りえヌード写真集サンタフェの衝撃の裏側と真実

いかがでしたか、今回は「宮沢りえ写真集サンタフェの衝撃の裏側!関係者だけが知る真実も?」と題し、「宮沢りえ写真集サンタフェの衝撃の裏側」についてのトピックをはじめ、その際に気になる関係者だけが知る真実・裏事情などを一挙公開の形でご紹介しました。宮沢りえさんと言えば、デビュー当時は抜群の人気を誇り、その当時は「右に出る者なし」と言われるほどの美貌の持ち主とされていましたが、その後には何かとトラブル続きの芸能人生を送られました。現在は多分野で活躍されており、ますます今後の活躍も期待されます。

宮沢りえの関連記事

Thumb宮沢りえが老けた?劣化の原因は旦那との離婚?昔の画像と比較!
Thumb宮沢りえと貴乃花の婚約から破局まで!会見にみる理由と原因
Thumb宮沢りえが激やせで劣化!原因は離婚からの拒食症?現在の体重は?

こちらの関連記事もおすすめ

アクセスランキング

2020-11-27 時点

新着一覧