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根津甚八の壮絶な人生!病気(うつ病)で車椅子!引退の理由は?
渋い二枚目役がとても似合っていた俳優・根津甚八さん。ひと昔前はテレビに映画に舞台にと大活躍でしたが、病気で引退していたようです。根津甚八さんを襲った病とは?2016年年末に死去された根津甚八さんの壮絶な人生について紹介したいと思います。

目次
色気のある渋い二枚目俳優・根津甚八
根津甚八は陰のある二枚目役がよく似合うカッコいい役者さんです。しかし最近は殆どテレビで見掛けなくなりました。根津甚八は今どうしているのでしょうか。根津甚八の現在や人生について調べてみました。
俳優・根津甚八のプロフィール
本名:根津透
生年月日:1947年12月1日
出生地:山梨県都留市
身長:172cm
血液型:B型
俳優・根津甚八は、1947年12月1日、歯科医師の家の三男として生まれました。日本大学第三高等学校卒業後、獨協大学外国語学部に入学するも、中退してしまいます。
俳優としてのスタートを切った根津甚八
デビュー作は舞台『ジョン・シルバー愛の乞食篇』
1969年、根津甚八はアングラ演劇界のカリスマ的な存在だった唐十郎が主宰する「状況劇場」に入団し、翌年の舞台『ジョン・シルバー愛の乞食篇』でデビューしました。根津甚八という芸名は、唐十郎が「根津に合う名前」ということで付けたんだそうです。随分と渋い芸名ですよね。
フジテレビ『娘たちの四季』でエランドール賞受賞
1975年、根津甚八はフジテレビ『娘たちの四季』でエランドール賞を受賞。同年『濡れた賽の目』で映画デビューも果たしました。
NHK大河ドラマ『黄金の日日』で一躍人気者に!
1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に石川五右衛門役で出演した根津甚八は、俳優として一気に注目されることになり、精悍なルックスも相まって、人気俳優となりました。
1978年のNHK大河ドラマ『黄金の日日』を皮切りに、1980年『獅子の時代』で伊藤博文役を、1991年には『太平記』で新田義貞役を、根津甚八は大河ドラマで熱演しました。
根津甚八が出演したテレビドラマの代表作
TBSドラマ『恋人たち』1980年
『恋人たち』は1980年、TBS系列で放映されました。定職を持たず、ダラダラと生活を送る主人公(根津甚八)を中心に、東京と鎌倉を舞台に、5人の男女を描いた青春ドラマです。出演はほかに大竹しのぶ、田中裕子、いしだあゆみ、桑名正博ほか。
TBSドラマ『あまく危険な香り』1982年
『あまく危険な香り』は1982年、TBS系列で放映されました。貧しいながらも幸せに暮らしていたトラック運転手の主人公(根津甚八)と食堂勤務の妹。そこにお金持ちの未亡人がからみ、愛憎劇が繰り広げられます。出演はほかに倍賞千恵子、浅野温子ほか。
日テレドラマ『誇りの報酬』1985年
『誇りの報酬』は1985年、日本テレビ系列で放映されました。警視庁捜査一課に所属する2人の刑事(中村雅俊と根津甚八)が活躍するアクションドラマです。
根津甚八はこんな映画に出演していた
映画『その後の仁義なき戦い』1979年
巨大組織の若頭が急死し、内部抗争が勃発する中、若いヤクザの友情と裏切りを描いた仁侠映画です。固い友情で結ばれていたはずの3人の若者たちの結末は・・・根津甚八がめちゃめちゃカッコよく、彼のはまり役だと思います。
映画『さらば愛しき大地』1982年
覚醒剤に溺れ、破滅の道をたどっていく主人公(根津甚八)と、主人公に尽くす女(秋吉久美子)の絶望的な愛の極限を描いた問題作。ベルリン国際映画祭正式出品作品であり、この作品で根津甚八はキネマ旬報主演男優賞を受賞しています。
映画『ゴト師株式会社』1993年
庶民の娯楽であるパチンコ業界の裏側に生息するゴト師の世界を描いた痛快ノワール作品です。
音楽やCM出演など幅広い活躍をしていた根津甚八
根津甚八は俳優として順風満帆な日々を過ごしていましが、活躍は俳優業だけにとどまらず、CM出演やCDを発売するなどの音楽活動もしていました。
〈ヴォリュームワン〉で買った根津甚八のCD『火男』。1982年、南フランスでのレコーディング。 pic.twitter.com/t3v65VOk50
— 南陀楼綾繁 (@kawasusu) July 21, 2017
根津甚八の現在・転落への序章
2000年を過ぎたあたりから根津甚八の仕事は激減していきます。そして2004年の映画『るにん』の出演を最後に、俳優としての活動を休止します。
交通事故を起こし被害者死亡
2004年7月、根津甚八は交通事故を起こしました。自家用車を運転中に自転車をはねてしまったのです。被害者は亡くなってしまいました。警察の調べに対して根津さんは「安全確認が足りなかった」と供述していました。
都内で営まれた被害者の通夜には根津甚八も妻の仁香さんと一緒に参列しました。顔は青白く、妻らに両脇を抱えられ、足を引きずりながら斎場に入る姿は、とても痛々しいものでした。
マスコミ各社に届いたファクスには、「○○(被害者)さん、もう私の声など届きようもなく、どんな言葉を並べようが、許されないことは重々承知しておりますが、言わせて下さい。本当に申し訳ありませんでした」などと自筆の署名入りで書かれていたそうです。
病気との闘い・度重なる不幸とうつ病
顔面の病気「右目下直筋肥大」を患っていた
根津甚八が交通事故を起こした原因の一端とされているのが、右目下直筋肥大という病気です。2001年ごろに発症したと言われています。右目をうまく動かせなくなり、視力も低下し、呂律が回らなくなるという病気のため、役者生命を大きく揺るがしました。
何度か手術を繰り返すも、顔が以前とは変わってしまい、根津甚八は大きなショックを受けたと言います。そのせいでうつ病を発症してしまいました。同じころ、根津甚八は最愛の母をなくし、金銭トラブルにも見舞われ、さらにうつ病に拍車をかけてしまいます。
顔面の病気とうつ病に加えて「椎間板ヘルニア」も悪化
2005年夏ごろ、根津甚八は顔面の病気とうつ病に加えて、持病の椎間板ヘルニアが悪化し、車椅子の生活を余儀なくされることになりました。手術を行うも、歩行に支障が残ったといいます。根津甚八の椎間板ヘルニアは、1993年、撮影中に落馬して腰椎を損傷したのが原因だそうです。その古傷がここにきて悪化したようです。
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— レコーデリー (@recordeli) July 4, 2017
このころから根津甚八の引退が囁かれ始めます。根津甚八はもう表舞台には出てこないのではないかと。妻の根津仁香さんは次々と病気を発症する夫の看病に疲れ、不安神経症と診断され、夫婦で心の病気と闘うことになりました。
今どうしてる?根津甚八の気になる現在の様子
『根津甚八』根津仁香・著
根津甚八の引退は、2010年9月に上梓された新刊本『根津甚八』の中で語られています。著者である妻の仁香さんは、夫・根津甚八の役者人生やうつ病について、赤裸々に綴りました。引退後は演出家や脚本家として活動していくとのことでした。
根津が体調を崩さないでくれたら、それに越したことはなかったでしょう。でも、こういう状態になったからこそ、初めて、深く、根津を理解することができたような気もするのです。
一作限りの復活を果たした根津甚八
『GONIN サーガ』は、1995年に公開されたバイオレンス映画『GONIN』の続編で、19年ぶりに制作されたものです。
主演を務めた東出昌大は初日舞台挨拶で、「スタッフ全員の支えがあってやり遂げたことで、未練を捨てて終止符を打てたと思う」と書かれた根津甚八からの手紙を涙ながらに代読しました。
なぜ根津甚八は復帰したのか?
根津甚八がうつ病や顔面の病気など多くの難病に苦しめられながらも、引退後に、一作のみとは言え復帰する気になったのはなぜなのでしょうか。今回、根津甚八が演じたのは前作同様、汚職で警察をクビになった元刑事の氷頭(ひず)です。今回は、前作で撃たれて死んだと思われていた氷頭が、実は植物状態で19年間生きていたという設定です。
石井監督は、今回も氷頭役は根津甚八しかいない、体が動かなくてもいい、車椅子でもいいからと頼み込み、根津甚八自身も、石井監督の頼みならばと引き受けたのだそうです。不自由な体でほかの出演者たちを圧倒させる演技を見せた根津甚八の気迫はすごいですね。
根津甚八は現在すでに死去していた!
2016年の年末。信じられない速報が飛び込んできました!根津甚八さんは2016年12月29日、肺炎のため都内の病院で亡くなっていたのです。69歳でした。年末に届いたいきなりの訃報に驚いた方も多かったのではないでしょうか。
NHK紅白歌合戦のリハーサル中に訃報を聞いたKinki Kidsの二人は、1996年、TBSドラマ『若葉のころ』で根津甚八とは共演していました。二人とも突然の訃報に衝撃を受けている様子でした。葬儀は故人の遺志により近親者のみでの密葬が執り行われたということです。
遺された根津甚八の妻と息子の現在
根津甚八は1994年3月に、15歳年下の仁香さんと結婚しました。仁香さんは現在、自身のパーソナルセレクトブランド「Jinka Nezu」をプロデュースしています。そして1996年、長男が誕生します。息子さんは甲斐太さんと言い、2015年、大学の医学部に進み、医者を目指して勉強中です。
根津甚八自身も歯科医の三男で、お兄さんもお医者さん、妻・仁香さんのお父さんもお医者さんなんです。だから甲斐太さんが医学部へ進んだのも当然と言えば当然なのかも知れません。甲斐太さんは、自分の父が病気と闘っている姿を見て医者になろうと決意したそうなんです。医者になる前にお父さんが逝ってしまい、さぞ無念だったことでしょうね。
俳優・根津甚八は最期まで家族に支えられていた
昭和を全力で生き抜いた二枚目スター根津甚八は、家族に支えられ、そして見守られながらあの世へと旅立っていきました。ご冥福をお祈りいたします。