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オードリー・ヘプバーンの名言・格言集!日本人に世界一の美貌とされた!
世界一のオシャレアイコン、女優オードリー・ヘプバーン。伝説のオードリー・ヘプバーンが残した名言・格言を集めてみた。オードリー・ヘプバーンの名言で勇気づけられる?その生い立ちやユニセフでの活動も興味深い。オードリー・ヘプバーンの残した名言・格言をご紹介。

目次
オードリー・ヘプバーンの名言・格言を集めてみた
伝説の女優オードリー・ヘプバーン。その美しさは国内・海外を問わず現在まで多くのファッションアイコンになっていますよね。オードリー・ヘプバーンは人気の高い女優だけに、ファッション、ヘアメイクからライフスタイル、名言や格言に至るまで現在でも話題に事欠かない存在。オードリー・ヘプバーンの人気は世界一?!もちろん日本でも絶大な人気を誇ります。
オードリー・ヘプバーンのプロフィール
世界一の美女?!には諸説ありますが、その一人に数えられると言われるオードリー・ヘプバーン。オードリー・ヘプバーンの華奢なラインとダークなヘアや目の色も手伝ってか、日本では親しみやすい外観が人気です。オードリー・ヘプバーンはそのシャープでスレンダーな体形でどんなファッションも上品に着こなしてしまいます。オードリー・ヘプバーンといえばジバンシーのドレス姿もおなじみですよね。オードリー・ヘプバーンはオランダの貴族の血筋をひくお嬢様。長年バレエを習っていてバレリーナとして独立を夢見ていました。戦争体験を経てハリウッド女優の道に進みます。オードリー・ヘプバーンのプロフィールをまとめていきましょう。
オードリー・ヘプバーン
(Audrey Kathleen Ruston)
エッダ・キャスリーン・ファン・ヘームストラ・ヘプバーン=ラストン
(Edda Kathleen van Heemstra Hepburn-Ruston)
1929年5月4日-1993年1月20日(満63歳没)
ベルギー・ブリュッセル/イクセル出身
1993年スイスの自宅で亡くなる。
オードリー・ヘプバーンの名言・格言―生い立ち編
オードリー・ヘプバーンの生い立ちをまとめていきます。海外女優でアメリカで世界一ともいえる大成功をおさめたオードリー・ヘプバーンですが、生まれはヨーロッパです。父はアイルランド系。母はオランダ人ということで、オードリー・ヘプバーンは幼少期にヨーロッパを転々としています。両親が離婚してからは、オードリー・ヘプバーンは母とともにオランダへ移り住み、そこでつらい戦争を経験しています。
私はアイルランド人とオランダ人のハーフでベルギー生まれなの。もし犬だったら、滅茶苦茶になってるところよ。
戦時中のオードリー・ヘプバーン。食べ物も満足に食べられないまま、深刻な栄養失調に。しかしどうにか生き延びます。両親の離婚後は父とは疎遠に。戦時中はレジスタンス活動に参加した兄弟と別れ別れになるなど大変な経験をしています。オードリー・ヘプバーンが語る戦争体験の名言があります。
戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが身につきました。また、戦争が終わって戻ってきたもののありがたみをつくづく感じました。食料、自由、健康、家庭、そして何より人の命に、深い感謝の念を抱いたのです。
オードリー・ヘプバーンの戦後はバレリーナになることもあきらめ、ゼロからの再出発を強いられています。しかし終戦を迎えた日の喜びは大きく、イギリス軍が手渡してくれたチョコレートの味を生涯忘れることがなかったといいます。
もちろん、わたしたちはすべてを失いました。家も、持ち物も、お金も。でも、少しも悲しくはありませんでした。家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです。
オードリー・ヘプバーンは戦時中、反ドイツのレジスタンスを続けていたと伝えられています。オードリー・ヘプバーンは子供時代にチャリティーのために地下室でバレエの公演を行ったことも。こうした精神はオードリー・ヘプバーンの生涯を通じて変わることがなかった一面といえそうです。
母から一つの人生観を与えられました。他者を優先しないのは、恥ずべきことでした。自制心を保てないのも、恥ずべきことでした。
ハリウッドへ渡り大女優として世界一の人気者になったあとも、オランダでのつらかった子供時代の思い出を忘れなかったオードリー・ヘプバーン。オードリー・ヘプバーンは自分のルーツを忘れず、手入れの行き届いた庭やおいしい食事を愛した生涯だったと伝えられています。
過去へさかのぼりましょう。小さかったときに何に幸せを感じたのかをさがすの。私たちはみんな成長した子供。本当に…。だから人は回想し、愛したものや気付いた現実を探し求めるべきなのです。
特にチョコレートに目がなかったというオードリー・ヘプバーン。世界一好きな食べ物はチョコレートとパスタだったと伝えられています。チョコレートは戦時中飢えをしのいだ大切な食べ物。オードリー・ヘプバーンはベルギー生まれで質の良いチョコレートは小さいころから大好きだったというのですが、戦争中は本当にごちそうだったんですね。
オードリー・ヘプバーンはチョコレートを家のあちこちに常備していて、食後に甘いものがほしいときに食べていたのだとか。
現実を見ましょうよ。クリーミーな美味しいチョコレートケーキはたくさんの人にたくさんのものをもたらすわ。私にはそうよ。

オードリー・ヘプバーンの名言・格言―仕事編
仕事に悩む大人女子は少なくないもの。うまくいかないとき、疑問が生じたとき、折れそうなときは世界一かわいらしくて人気者だったあのオードリー・ヘプバーンが仕事にのぞんだときの名言・格言を思い出してみるのもよいかもしれません。気づきがあるオードリー・ヘプバーンの仕事に関する名言・格言をまとめてみましょう。
テクニックに頼ってばかりでもうまくいかないことはあるもの。感性やひらめきの強さを過小評価してはいけません。
これまでの人生で、 テクニックに裏打ちされた自信を持ったことは 一度もありません。 でも、感性さえ磨いておけば、 どんなことでもやってのけられるものです。
オードリー・ヘプバーンは仕事が大好きだったという名言があります。仕事にベストを尽くそうという気持ちは、やっぱり仕事が好きだという感情からくるものかもしれません。天才でなくても、常にベストを尽くそうという心がけが仕事の結果につながるもの。
いわゆる天賦の才に 恵まれていると思ったことはないわ。 仕事を心から愛して 最善を尽くしただけよ。
オードリー・ヘプバーンの名言として有名なのがチャンスに関するフレーズ。いつもいつもラッキーということはなかなかないもの。これは絶好のチャンスだと思ったら、ムダにしてはいけません。
チャンスなんて、そうたびたびめぐってくるものではないわ。だから、いざめぐってきたら、とにかく自分のものにすることよ。
オードリー・ヘプバーンの名言・格言―生き方編
国内・海外問わずに強く美しい生きざまが人気でもあるオードリー・ヘプバーン。キャリアの後半はユニセフ大使としてメイクもそこそこにアフリカへ繰り返し足を運び、飢餓や病気に苦しむ現地の子供たちに手を差し伸べたこともよく知られています。世界一有名で人気者の女優のこうした生き方は多くの尊敬と共感を集めていました。生き方に関するオードリー・ヘプバーンの名言・格言をまとめてみましょう。
海外の有名女優。世界一名前の知られた女優のひとりとして、寛容さを持ち合わせるというのは環境上もそう簡単ではないと思われるのですが、オードリー・ヘプバーンには達観したものがあり、多くを期待しないのだと語っています。ボランティアの基本になるようなこの精神。○○したのだから××してもらえるべきという考えは、何かとストレスのもとになりがちです。
わたしはあまり多くを 期待する人間ではないの。 だからかしら、 わたしはわたしが知るなかで誰よりも 恨みつらみと無縁の人間よ。
今を充実させて生きるというのも幸福感を感じるためのコツ。明日を気にしないで生きるのではなく、今日という日の積み重ねが結局は明日につながるという考え方です。今日という日は二度と戻ってこないのだから、感謝して生きるという名言です。
どんな日であれ、 その日をとことん楽しむこと。 ありのままの一日。 ありのままの人々。 過去は、 現在に感謝すべきだということを わたしに教えてくれたような気がします。 未来を心配してばかりいたら、 現在を思うさま楽しむゆとりが 奪われてしまうわ。
戦争体験があるオードリー・ヘプバーン。オランダ在住のころの記憶は海外アメリカへ移動しても長く心に刻まれていました。予想したところで誰もその通りになるかどうかはわからないもの。予想したことでくよくよするのは無駄なことという名言です。
オランダにはこんなことわざがあります。 「くよくよしてもしかたがない。 どのみち予想したとおりにはならないのだから」 本当にそう思うわ。
オードリー・ヘプバーンほど助けの手を差し伸べることの意義を知っていた女優は少ないのかもしれません。自身が戦中戦後をユニセフの物資で生き延びたこともあり、手助けを惜しまずに活動を続けていました。
年をとると、人には2つの手があることに気づくことでしょう。1つはあなた自身を助ける手、そしてもう1つはあなたの周りの人を助ける手です。
「あの人はどんな人なの?」という会話でわかるのは、話題にされている人ではなく、その人について語っている自分の人物像。人を判断する基準にはその人の人柄があらわれるものです。
人の評価は、他の人たちの意見よりも、その人が他の人たちについてどのように言っているのかでより分かるものです。
オードリー・ヘプバーンがこれほど長く海外・国内問わずファッションアイコンとして定着し、語り継がれている理由には、その独特のファッション・センスがあげられるというのはよく知られているところ。スレンダーなボディにすっきりと伸びた背筋。シンプルな中に上品さがあふれるファッションセンスはオードリー・ヘプバーン独自のものです。自身にオリジナルのスタイルがあるのならば、それを追求するべきという名言。人のまねや流行に左右されないオードリー・ヘプバーンらしい言葉ということになりそうです。
「なぜ変わる必要があるのでしょうか?みんな個々のスタイルを持っているはずです。それさえ分かれば、変わる必要なんてありません」
実はコンプレックスの塊だったといわれるオードリー・ヘプバーン。しかし自分自身の良さを認め、弱点を受け入れることができるようになり、他人の欠点にも寛容になれたときに最強の自分を手に入れることができたのだとか。結局、自分の欠点を受け入れられないと、他人の欠点も受け入れることができないもの。参考にしたい名言ですよね。
わたしにとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。
オードリー・ヘプバーンの名言・格言―恋愛・結婚編
オードリー・ヘプバーンの正式な結婚歴は2度。一度婚約者との間で婚約破棄をしています。また、晩年は結婚こそしなかったものの、パートナーの俳優ロバート・ウォルダースと長年一緒に暮らしていました。オードリー・ヘプバーンが語る恋愛や結婚についての名言もまとめてみます。
最初の結婚相手のメル・ファーラーはオードリー・ヘプバーンの12歳年上。気難しい夫を相手に13年間の結婚生活を過ごしています。4回の流産を経て息子ショーンをもうけています。
いばる男の人って、 要するにまだ 一流でないってことなのよ。
2度目の結婚はイタリア人医師のアンドレア・ドッティと。オードリー・ヘプバーンの9歳年下でした。
私のことを笑わせてくれる人が大好きなの。本当に笑うってことが私にとっては一番好きなこと。笑いはたくさんの病を治すわ。人にとって一番大切なことじゃないかしら。
最初の婚約相手はジェームス・ハンソン。イギリスの運送会社の社長の御曹司で財閥の息子。しかし二人の生活はすれ違い、オードリー・ヘプバーンはアメリカで仕事の大きなチャンスが巡ってきます。結婚してもすれ違いになることが目に見えていたといいます。オードリー・ヘプバーンの母も大反対。結局婚約を解消したオードリー・ヘプバーンがインタビューで答えたのが次の名言です。家庭を大切にしたいオードリー・ヘプバーン。結婚にはタイミングが悪かったということに。
もし結婚するなら、どっぷりと結婚していたいの。
女優として成功したオードリー・ヘプバーン。結婚生活を大切にしたいと思う反面、一人の時間も必要と考えていたよう。孤独になることで燃料を補給する複雑な女性像が垣間見える名言です。
私は頻繁に独りにならないとだめなの。土曜の夜から月曜の朝までアパートで独りで過ごせたらとても幸せよ。そうやって自分に燃料を補給してるの。
「いつか王子さまが・・・」女性らしいおとぎ話を信じるオードリー・ヘプバーン。純粋さが垣間見える名言ですよね。
正直なところ私はまだおとぎ話を読むし、大好きなの。
世のすべての大人女子が復唱したいオードリー・ヘプバーンの名言。女性はやっぱり大切にしてくれる相手と幸せになりたいもの。
「何より、自分の存在を貴重に思ってくれる人を、探すこと」
オードリー・ヘプバーンの力強い恋愛に関する名言。愛は行動で伝えるものというほとんど格言のような言葉も残っています。
愛は行動なのよ。言葉だけではだめなの。言葉だけですんだことなど一度だってなかったわ。私たちには生まれたときから愛する力が備わっている。それでも筋肉と同じで、その力は鍛えなければ衰えていってしまうの…
オードリー・ヘプバーンの名言・格言―美しさとは
世界一の美女ともいわれるオードリー・ヘプバーン。その美しさは海外の人にも日本の人にもおなじみです。しかしオードリー・ヘプバーン自身は自分のことを美人と思っていたことはないのだとか。
冷静にシビアに自身の容姿をチェックしていたオードリー・ヘプバーンの名言。欠点を知ることで美しさに磨きをかけることができるという名言です。
一個の道具のように 自分を分析しなさい。 自分自身に対して 100パーセント率直でなければなりません。 欠点を隠そうとせずに、 正面から向かい合うのです。
美しさは内面からというのは言い古された言葉ですが、実際、ポジティブで美しい女性像を考えていくと、心のバランスを保つことの大切さに行き着くもの。美しく年齢を重ねるという意味でも、大切なポイントになってきそうです。不平不満は外観に出てしまうというオードリー・ヘプバーンの名言です。
美しい目をするには、他人のいいところを見ること。美しい唇をするには、優しい言葉しか喋らないこと。心のバランスを保つには、決して独りじゃないという意識で歩くこと。
年齢を重ねて若いころの容姿が衰えても、身に着けた気品は衰えない。オードリー・ヘプバーンの名言として伝えられるフレーズです。
「一生、無くならない美は『気品』でしょう」
幸せで笑顔が絶えない女性はやっぱり魅力的なもの。どんなにきれいでも、幸福感が伝わらないのはやっぱり悲しいもの。オードリー・ヘプバーンの美意識の根本は、やはり内面的なものだというのがわかります。
「ハッピーな女性が一番きれいだって、私は信じています」
自分が美人だと思ったことがないというオードリー・ヘプバーン。顔にコンプレックスを持っていたというのには驚きます。
私みたいな顔で映画に出られるとは思っていなかったわ。

オードリー・ヘプバーンの名言・格言―成功と名声
海外で国内で世界中で人気が高いオードリー・ヘプバーン。成功してからの言葉には、富や名声に関する名言も少なくありません。世の中に名前が知られたからといって、自分の内面に変化がないと語っています。
成功は誕生日みたいなもの。待ちに待った誕生日がきても、自分はなにも変わらないでしょ。
成功することだけが人生の目標ではなかったオードリー・ヘプバーン。家族や子供を大切に生活を送ってきたことも名言から伝わります。
お茶をいれてあげる人もいなくて、誰もあなたのことを必要としなくなったとき、人生は終わりだと思う。
控え目であることはハリウッド女優には難しいこと?なにかに立ち向かって初めて控えめであることが可能になるという名言もあります。
控え目であるためには、 その前に なにかに立ち向かうことが必要です。
成功者になってからも不安が消えることがない、成功するほど自信が揺らぐというオードリー・ヘプバーンの名言。孤独な成功者の心境をあらわす名言として有名な言葉です。
どんな人でも、不安がきれいに消えるということはないと思うの。成功すればするほど、自信は揺らぐものだと思うこともある。考えてみれば、おそろしいことね。
町中でさまざまに声をかけられたというオードリー・ヘプバーン。日ごろはそれほど服装に気を遣うこともなく、カジュアルなファッションを楽しんでいたとも伝えられます。
「・・・・・・びっくりするばかりですよ。街でわたしに出会うと驚きます。『あらあら、わたしはずっと私に似ていなくちゃならないのね・・・・・・』ってひとりごとをいうんです」(『オードリー・ヘップバーン 妖精の秘密』ベルトラン・メイエ=スタブレ)

オードリー・ヘプバーンの名言・格言―幸福編
オードリー・ヘプバーンの幸福論。オードリー・ヘプバーンが本当に幸福を感じることができたのは、映画のセットではなく、世界一の人気女優になることでもなく、家で子供のために料理を作ったり、庭に大好きな果物の木を植え花の手入れをして過ごす時間でした。庭で作った野菜や果物を使ったレシピで料理を作り、花に囲まれて過ごすことだったようです。
幸福のこんな定義を 聞いたことがあります。 「幸福とは、健康と物忘れの早さである」 ですって! わたしが思いつきたかったくらいだわ。 だって、 それは真実だもの。
大好きな自宅で家事をしたり読書をしているときが一番幸せを感じていたとする名言・格言はたくさん残っています。
「わたしはまじりもののない、本物の楽園にいたの。毎日家のことを取りしきって暮らしたいと、前からずっと願っていたのよ。・・・・・・」 (『オードリー・ヘプバーン』ダイアナ・メイチック)
こちらも有名なオードリー・ヘプバーンの名言。何度も流産の苦しみを経験しているオードリー・ヘプバーン。戦争中は近所の子供たちが飢えに苦しんだり、時には命を落とすことも目撃しています。オードリー・ヘプバーンは自身の二人の子供を大切に育てています。
子どもより大切な存在なんて、あるかしら?

オードリー・ヘプバーンの名言・格言―晩年編
晩年のオードリー・ヘプバーンは映画などに出演せず、ユニセフでの活動に集中しています。38年間という長い間オードリー・ヘプバーンが支援したユニセフでの活動は世界中から注目を集め、多くの問題提示を行うことに成功しました。1988年になってユニセフの親善大使に選ばれたオードリー・ヘプバーン。1992年アフリカから帰国してから体調不良を訴え1993年1月20日虫垂癌で亡くなっています。最後までユニセフ親善大使としての仕事を全うした人生でした。
オードリー・ヘプバーンの死生観。思い残すことなく最後までやりたいことをやって生きるという名言が残っています。
死を前にしたとき、みじめな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、いやな出来事や逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、それはとても不幸なことだと思うの。
オードリー・ヘプバーンが親善大使だった1990年、5歳の誕生日を迎えずに命を落とす子供が一年に1270万人も存在したといいます。その後近年では年間590万人にまで減少しているとユニセフが伝えています。世界中の多くの人々にユニセフの存在を知らしめ、飢えに苦しむ子供たちの存在を伝えたオードリー・ヘプバーンの功績はやはり素晴らしいもの。
どんな人も見捨ててはいけないという力強い言葉を残したオードリー・ヘプバーン。自身も終戦直後のオランダでユニセフの食料支援を受けて生き延びたという経験がありました。
人は、物以上に、回復して、新しくなり、生き返り、再生し、報われることが必要なの。決して、誰も見捨ててはいけません。
オードリー・ヘプバーンは映画の世界から事実上の引退をして、ほとんど出演することもなく、残りの時間をチャリティ活動に捧げています。理由を説明する名言も残っています。
何としても避けたかったのは、人生を振り返ったとき、映画しかないという事態です。
なぜか日本では、晩年のオードリー・ヘプバーンは「シワが増えた」「劣化した」という報道が多かったのだそう。ユニセフでの活動よりもずっとシワのことばかりインタビューで聞かれてしまったのだそうです。そんな時にオードリー・ヘプバーンが答えた名言もあります。
「確かに私の顔にはシワも増えました。ただ、それは多くの愛を知ったということ。だから私は今の顔のほうが好きなんですよ」
オードリー・ヘプバーンの名言・格言まとめ
たくさん残るオードリー・ヘプバーンの名言・格言をご紹介してみました。多くの名言・格言は戦争体験などを経て世界一の女優として成功したオードリー・ヘプバーンの経験からくるだけに説得力が違いますね。
迷いがありそうなときに思い出してみたいオードリー・ヘプバーンの名言・格言。また機会があったらオードリー・ヘプバーンについてまとめてみたいと思います。