舛添要一の現在の姿は?辞任騒動後の子どもの生活はどうなった?

経済学者から芸能人まで、マルチな活躍をしていた舛添要一。その後は、東京都知事に当選するなど、エリート街道まっしぐらだった舛添要一。しかし、政治資金問題で辞任後、今現在どのようにしているか知らない人が多いと思います。そんな舛添要一の現在について調査しました。

舛添要一の現在の姿は?辞任騒動後の子どもの生活はどうなった?

目次

  1. 政治資金問題で辞任した舛添要一は現在どうしているのか
  2. 舛添要一の現在までの経歴とは
  3. 現在でも続く『朝まで生テレビ!』などを中心に、舛添要一はメディアで活躍する
  4. 舛添要一が政界に進出しようとし始めるのは1991年頃から
  5. 参議院議員に当選、そして舛添要一は東京都知事選に再挑戦することになる
  6. 舛添要一は自民党を離党、改革クラブに入党するものの、参議院選挙に不出馬
  7. 参議院議員選挙に立候補しなかった舛添要一は、その後東京都知事選に出馬
  8. 政治資金の不正使用を指摘され辞任した舛添要一の現在は
  9. 舛添要一が現在も復帰できない大きな問題とは
  10. 過去の妻はフランス人、片山さつき議員などキャリアウーマンばかり
  11. 現在も障害を抱える子どもに、現在まで会ったことがないというとんでもない男
  12. これらの問題を踏まえて、舛添要一は現在復帰できる状況にない

政治資金問題で辞任した舛添要一は現在どうしているのか

元は経済学者として、芸能人としての活動も盛んだった舛添要一。その後は、東京都知事に当選するものの、政治資金の個人的使用などの問題を追求され、2016年6月21日に東京都知事を辞職しました。

問題発覚から辞任までは、非常に大きなニュースになった舛添要一ですが、今現在、舛添要一がどのようにしているか調べてみました。そして、現在に至るまでの彼のタブーな問題もしっかりと紹介します。

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舛添要一の現在までの経歴とは

舛添要一は1948年11月29日生まれで、現在は68歳です。福岡県八幡市に生まれ、1971年に東京大学法学部第3類を卒業、その後、法学部政治学助手に着任するなど、輝かしい経歴の持ち主です。その後は、パリ大学やジュネーブ国際研究大学院で、研究員として学んだ後、1979年に東京大学教養学部助教授に就任しています。専門はフランスを始めとする欧州政治の研究のようですね。

現在に至るまで、非常にエリートと言える道のりを歩んでいたようです。東大で助手の身分で海外に留学というのは異例の行動で、当時舛添要一は始末書も書かされたそうですね。また、父親は、若松市議会選挙に立候補するなど、親子で政治に縁があったといえるかもしれません。

高校時代は、陸上部の短距離でインターハイに出場するなど、舛添要一は文武両道だったようですね。現在はすっかり髪の毛が薄くなってしまいましたが、当時はこれぐらいふさふさだったのです。しかし、彼のやったことを考えると、現在髪の毛が無いのも仕方ないと思うようなことをしていますよ。

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現在でも続く『朝まで生テレビ!』などを中心に、舛添要一はメディアで活躍する

現在ではテレビで知名度もある舛添要一ですが、1980年ごろにテレビに出始めた頃は、一経済学者という感じでしたね。特に出演していたのは、『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』『ビートたけしのTVタックル』などの討論番組に多く出ていたイメージです。ビートたけしに舛添要一は気に入られてたんですかね?現在の知名度をテレビ番組を通して手に入れたとお見ます。特に現在でも名シーンとして流れる、田嶋陽子との喧嘩シーンはおもしろいですよね。

舛添要一が政界に進出しようとし始めるのは1991年頃から

1991年の北海道知事選挙に自民党から立候補する噂が挙がります。そのために、舛添要一は別荘を所有する白老町に住民票を移すなど準備を進めました。しかし、現職の横路孝弘との圧倒的な支持の差を見て、出馬を取りやめています。その後も、度々舛添要一は政界の進出を噂されることになります。そして、1999年の東京都知事選挙に無所属で出馬、しかし舛添要一は3位で落選、芸能人としての活動もあってか得票は84万票でした。

参議院議員に当選、そして舛添要一は東京都知事選に再挑戦することになる

2001年の参議院議員選挙に比例区から自民党候補として立候補、芸能人としての認知度が更に高まっていたこともあってか、158万8862票という驚愕の得票数でトップ当選でした。その後の2007年の選挙でも舛添要一は再選、党内でもその能力を評価され、さまざまな要職を担当することになります。そして、安倍改造内閣で、厚生労働大臣に任命され、ついに舛添要一は大臣職のポストについたのです。

舛添要一は自民党を離党、改革クラブに入党するものの、参議院選挙に不出馬

安倍、福田、麻生内閣と厚生労働大臣を歴任するものの、麻生内閣が解散とともに、厚生労働大臣の職を退きます。そして、そのころから、自民党に対して批判的な発言を行い、党内から除名の声があがるようになります。2010年に、舛添要一は自ら自民党を離党、改革クラブ(後の新党改革)に入党するものの、2013年の参議院議員選挙には不出馬でした。現在でもこの時の発言が、自民党議員との確執になっていると言われています。

参議院議員選挙に立候補しなかった舛添要一は、その後東京都知事選に出馬

2014に舛添要一は、東京都知事選に無所属で出馬します。しかし、自民党は舛添要一の推薦を決定し、しかし一部の議員からはそのことに対して、批判の声があがっていました。結果として、舛添要一は211万2979表を獲得し、東京都知事に当選しました。

政治資金の不正使用を指摘され辞任した舛添要一の現在は

舛添要一は2016年3月ごろから、海外への出張費や、公用車の私的利用、政治資金を使って家族で旅行した疑惑などによって、批判が続くことになります。最終的にその疑惑に明確な解答をしないまま、6月21日に舛添要一は辞任しました。現在でもこの問題に関しては、正確なところは不明で、舛添要一は現在このことについて問われても、ノーコメントを通すという勝手な姿勢を貫いています。

舛添要一は辞任以降、姿を公の場に表さなくなりました。特に辞任までの間にかなり取材陣にしつこく追いかけ回られており、舛添要一の妻が激怒する場面もありました。年齢の幼い舛添要一の子どもに対しての取材も行われかけたようで、一部で問題になりました。

現在の舛添要一の動向としては、2016年の11月ごろに自民党幹事長である二階俊博や内閣府特命相の島尻安伊子と、赤坂の料亭で食事をしたことが発覚しています。そのとき週刊女性に舛添要一は取材されたみたいですけど、一切ノーコメントを通したようですね。しかし、現在は非常に痩せており、東京都知事のときとはまったく違って、元気がなかったようです。

舛添要一は現在も政界に復帰することを考えているかは難しいところです。少なくとも自民党の議員と食事を共にしていたことは、今後のことを話し合っていた可能性はあります。現在はまだ自分が公に顔を出すことは得策でないと考えたのかもしれませんね。個人的に言えば、この後に紹介することを考えれば、現在どころか、このまま表舞台には出てきてほしくない人物です。

舛添要一が現在も復帰できない大きな問題とは

舛添要一が現在も政界に復帰できないのは、決して東京都知事のころの問題だけではありません。舛添要一は若い年齢のころからお盛んだったのか、3度の結婚を経験しており、2人の愛人がいて、5人の子どもがいると言われているのです。年齢を重ねた現在もそういった点は変わらずお盛んとも言われており、隠し子といえる子どもがたくさんいるのでは?と噂されているのです。

過去の妻はフランス人、片山さつき議員などキャリアウーマンばかり

現在もつづく舛添要一のタブーネタとも言われるのは、とにかく女性を自分の出世のために利用してきたという過去です。フランス人女性との結婚は、とても箔が付きますし、片山さつきも大蔵省の女性キャリアという肩書は、舛添要一にとっては有利に働きます。現在も当時のことを思い出すというほど、片山さつきが結婚生活で辛かったのは、舛添要一のDVだったそうです。仕事が遅くなって帰ると、暴力を振るわれたそうです。

現在では自民党の中でもかなり高い地位にある片山さつきですが、当時は現在と違って、女性の地位が弱く、非常に苦労したようです。離婚を申し立てても、舛添要一は聞かず、結局離婚調停をして、やっと籍を抜くことができたそうです。結婚生活は2年3ヶ月ほどで、現在も当時の暴力的な舛添要一の行為は許せないと批判しています。現在だけでなく、本当に昔から勝手な人だったわけですね。

片山さつきと舛添要一が結婚していたころの年齢は40代前後。しかし、愛人がいて、子ども出来てしまったと言われています。しかも、その子どもを認知したのは生まれてから、子どもが2歳の年齢になってからだったと言われています。

実はこのとき、北海道知事選に出ることを検討していたため、面倒事を片付けて起きたかったからと言われています。しかも、この女性の問題が片付いていないのに、他に愛人がいたと言いますから、40という年齢でも、本当に舛添要一はお盛んな人のようです。

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現在も障害を抱える子どもに、現在まで会ったことがないというとんでもない男

その一人目の愛人との間に生まれた子どもは障害を抱えており、舛添要一は生まれてから今までの間、一度も会ったことがないと言われています。どんなに愛人が子どもの問題を連絡しても、養育費以外の面倒は見なかったといわれています。それどころか、2012年に養育費の減額を愛人に言い出すなど、とてもいい年齢の大人がすることとは思えないことまでやっています。

当時の舛添要一の年齢は64歳ぐらいで、自民党を離党し、改革クラブに入党したころでした。そのせいか、減額の理由は収入が激減したからといった、勝手な理由だったそうです。この女性との裁判は今も続いていると言われており、舛添要一は今の月給は10万ほどといったらしいのですが、これは自らの『舛添政治経済研究所』の基本給だけのことです。

政治団体など合わせれば、その何倍もの金額が舛添要一に支払われていると言われています。片山さつきら、過去の女性がどけちという理由もわかりますね。

芸能人ならこういった隠し子のことは大きな問題になりますが、舛添要一は現在もあっけらかんとしていると言われています。特に東京オリンピックでは、パラリンピックも開催されるのに、障害を抱えた隠し子のことを、今も知らんぷりしているのは、とても許されないと言われていたそうです。今もなお、これらの問題以外にも、中絶させたと言われる問題などもあり、政治家どころか、芸能人としての活動もとても行えるものではないでしょう。

これらの問題を踏まえて、舛添要一は現在復帰できる状況にない

政治家としての復帰が困難なら、また芸能人として甘い汁を吸おうと思っても、現在の芸能界は非常にプライベートの問題に厳しく、舛添要一が抱える問題を考えれば、芸能人として復帰することも困難でしょう。

そもそも舛添要一が、あのタイミングで辞任したのも、自らの退職金が支払われるのを防ぐ法案が出来る前に辞めたかったからと言われています。結果的に、法案が成立するまえに舛添要一は辞職したため、退職金やボーナスは支払われました。ここまでくれば、舛添要一がどれだけ金の亡者かというのがわかりますよね。当時は、ちょっとぐらいお金をちょろまかすのは仕方ないよね、と言っていた人もいましたが、改めて舛添要一の所業を知れば、許せないという気持ちになるのではないでしょうか。

現在はすっかり元気もなくなって、痩せてしまったと言われる舛添要一。もしや、現在もちょっとでもお金が貰えればと考えて、裏で何かをやっているかもしれません。しかし、現在は東京オリンピックに向けて一致団結して、クリーンな政治をアピールしていかなければならないときです。舛添要一には、出来ることなら二度と政治の世界には関わらないでほしいですよね。

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