野田秀樹が失明?大竹しのぶや宮沢りえとの恋愛関係の真相は?

天才劇作家と称される野田秀樹。大竹しのぶとの同棲生活、宮沢りえとの関係、失明とはいったい。恋多き女優達と野田秀樹が生み出した舞台作品は数多く存在する、そんな作品に触れていきながら彼に関係する周りの人々と事柄についてお伝えしよう。

野田秀樹が失明?大竹しのぶや宮沢りえとの恋愛関係の真相は?

目次

  1. 野田秀樹のプロフィール
  2. 野田秀樹と演者の距離感
  3. 大竹しのぶと野田秀樹の関係
  4. 宮沢りえと野田秀樹の関係
  5. 東京キャラバン
  6. 野田秀樹の作る舞台は感情移入できない?
  7. 野田秀樹の元嫁は?
  8. 野田秀樹は結婚しているの?
  9. 野田秀樹は失明している?
  10. これからの野田秀樹

野田秀樹のプロフィール

名前:野田 秀樹(のだ ひでき)
生年月日:1955年12月20日
出生地:長崎県西彼杵郡崎戸町
職業:演出家・俳優・劇作家
その他活動として
多摩美術大学教授
東京芸術劇場芸術監督

野田秀樹と演者の距離感

高校二年生にして初の脚本を完成させそれ以来、舞台演劇というものに触れ続けてきた野田秀樹。舞台演出を中心に劇作家として作品を作り上げ、自身も演者として出演したりと演劇業界で名だたる役者達と繋がりを持っている。舞台を見たことがない人でも知っているような有名女優や俳優も、野田秀樹と舞台を共にした者は多い。

野田地図(NODAMAP)という演劇企画制作会社を1993年設立し、演出家兼劇作家としての実力を発揮している中、どの作品も野田秀樹が役者として出演する事が多い。自身が演者になり舞台上で同じ目線となり作品や他の役者たちを見つめる事が、演者達にとって野田秀樹とういう演出家を受け入れそして尊敬できる切っ掛けの一つなのだと思う。

同じように舞台を作り上げてきた、故蜷川幸雄や故中村勘三郎などといった方々に野田は尊敬と信頼を持ち、交流を深めていた。そんな方々が可愛がってきた演者達を、野田秀樹はこれからも可愛がり続けそして共に多くの作品を作ってくれるだろう。

大竹しのぶと野田秀樹の関係

大竹しのぶという大女優もまた、野田秀樹の作品に多く触れてきた役者の一人である。1982年故服部晴治と入籍し息子二千翔(にちか)を出産、1987年夫と死別し翌年明石家さんまと入籍、娘IMARU(いまる)を出産した後1992年に離婚。1994年舞台「真夏の夜の夢」にて野田秀樹と出会う、5年間の同棲生活をするのち結婚に至らず破局。

破局した今でも、大竹しのぶと野田秀樹は親友の中であり、舞台でも役者と演出家として互いを認め合う存在だ。大竹しのぶは野田の才能に対し尊敬の意を持ち、今後もこの世界にいる以上はその才能に触れ続けたい旨を語っていた。

大竹しのぶの子供達と野田秀樹

5年間の同棲生活には、幼少期であったIMARUも勿論一つ屋根の下にいたわけだが、子供ならではの頑固な性格で母大竹しのぶを困らせつつも、学校で父親の似顔絵を描く際野田を描いた等と可愛らしく気を遣う面もあったようだ。

当時に対して、多くの父親がいたようで楽しい思いをしたと語るIMARUだが、野田もまた共に生活した時間を非常に大切な思い出として語っている。IMARUも今では音楽活動を中心として実力を発揮していおり、幼少時代にしては一見波乱万丈な生活にも思えるが、当人たちにとっては才能高い三人での生活が今の自分達につながる貴重な時間であったことに変わりはないのだろう。

息子の二千翔も、野田秀樹と交流した時間があったようで、その際に勉強の大切さを語りそれを真に受けたかのように二千翔は経済に関する勉学にいそしんだ。その後慶應、早稲田、青山、立教と多くの大学を一斉合格し見事慶應義塾大を卒業するという秀才になった。

野田は大竹と同棲を始める前に文化庁芸術家在外研修制度の留学生としてロンドンに一年間の留学をしていた。留学から帰国後すぐ大竹との舞台を製作し同棲に至るのだが、留学時の経験を娘息子たちにも語ったことがあるのかもしれない。二千翔もまた大学卒業後アメリカにてワーキングホリデーを1年半程経験した。

大竹しのぶを演出する

女優大竹しのぶと演出家野田秀樹としての共同作品は、真夏の夜の夢を始め罪と罰など多くの作品がある。中でも売り言葉という舞台作品は大竹しのぶの一人芝居であり、演出家野田秀樹と女優大竹しのぶとしてまさに代表作と言えるのではないだろうか。この作品を発表する時点で二人はすでに破局しているが作品の良さに変わりはなく、互いの才能を強化する素晴らしい親友の中をも感じさせた。

同棲中の私生活でも途端に舞台に対して語り合う、プロフェッショナルな二人がインタビュー記事からも伝わるが、互いの才能を引き出し合いそれに応えようとする姿勢が、生活の中でかいま見えるというのは、女優と演出家の恋模様としてとてもロマンチックに感じられる。

野田秀樹は、幾つかの作品を留学していたロンドンで公演しているのだが、その作品を日本バージョンとして日本の役者たちで再演することがあった。その一つに「THE Diver」というものがある、この作品では大竹しのぶを中心に渡部いっけい、北村有起哉を揃え自身も出演し2009年に公演している。海外作品はやはり野田にとってチャレンジャーな大作であり信頼を置ける役者を選んだのであろう。

宮沢りえと野田秀樹の関係

宮沢りえが野田秀樹の作品に触れたのは、2004年に公演された「透明人間の蒸気」からである。故中村勘三郎が生前気の知れた役者や舞台関係者達と飲みの席を開いていた頃から、宮沢りえと野田秀樹はその場に出席することも多く、そのどこかで知り合っていたかもしれないが、故中村勘三郎が亡くなった後も多くの作品を共に作り上げている。

2013年三谷幸喜作の「おのれナポレオン」で野田秀樹は主演となったが、共演予定であった天海祐希が病気のため降板となり、急遽代役として宮沢りえが抜擢された事がある。この際宮沢りえに与えられた時間はたった二日ばかりであったが、見事に完璧たる演技を完成せさたと知られている。こう言った実力もあってか、舞台役者としても名女優となり野田の作品にも常連の出演者である。

宮沢りえを演出する

宮沢りえは2009年から15年間一般男性と夫婦生活を共にしたのち離婚。それ以前に貴乃花親方との婚約破棄騒動や、拒食や自殺未遂などと騒がれ体重が激減し芸能活動の休止となった時期もある。そんな彼女を支えてきたのは故中村勘三郎を始めとする宮沢りえ自身が尊敬してきた人々だ、野田も作品を作る上で女優宮沢りえを支えた内の一人である。

野田地図作品の一つである2009年公演の「パイパー」では、宮沢りえが妊娠しており妊婦である体での舞台出演となったため、野田を始め出演者である松たか子らが宮沢りえを支え無事舞台を成し遂げた。はっきり言って野田との恋愛報道など信憑性ある話は無く、あるのは数々の名作品を作り上げる経歴ばかりだった。

恋愛騒動や私生活においてのバッシングも多々見受けられる宮沢りえだが、そう言った我々に真相の見えない空論よりも、こうした尊敬する存在から愛され支えてもらえる人柄と、女優として結果を出し続けている彼女の実力の方が、女優宮沢りえのリアルなのではないだろうか。

2006年ロンドン公演「THE BEE」を観劇した宮沢りえは、その小さな世界観に詰め込まれたおぞましさと悲しさに魅了され、自分もその小さい空間でリアルな世界観を作りたいと野田に伝える。2012年日本版「THE BEE」に宮沢りえを演者として抜擢し見事その願いを共に叶えることが出来た。大竹しのぶといい宮沢りえといい野田から贈られる女優達への想いは、我々にもしっかりと作品によって感じとれる。

2017年1月には「足跡姫」~時代錯誤冬幽霊~が公開され絶賛されている。この作品は宮沢にとって尊敬していた故中村勘三郎のオマージュである。野田が中村から「病が治ったらこの姿を作品にしてよ」と話した事があったそうだ、今は亡き方をオマージュするにあたり、作品だけでなく役者に対しても野田の演出は簡単なものではなかったであろう。

東京キャラバン

2020年に行われる東京オリンピックに向けて、日本が世界と通ずる機会を2016年のリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックに合わせ「東京キャラバン」と題打ち開催した。現代アートやファッション等を中心としたワークショップが開かれ、あらゆる国々で日本の文化の種をまくような活動を行っている。

この活動では、野田を中心に能や演劇など様々なカルチャーのプロフェッショナルが集い、東京オリンピック以降もまいた種が様々な形で育ち続けることを目的としている。世界的にも野田の実力が通用するのは、留学や今までの海外に向けた数多い公演があってこそではないだろうか、常に成長を遂げている野田の活動に今後も期待が高まる。

野田秀樹の作る舞台は感情移入できない?

野田秀樹の作る舞台は「感情移入できない」と言われている。「感情移入させない」のだと、2006年にロンドンで公演された「THE BEE」のインタビューで野田は言った。数々の作品を多くの女優や俳優と作り上げる中、感情移入できない作品を見て観客は何を感じ観劇し続けているのだろうか。その答えは、野田秀樹の魅せ方にあるようだ。

「THE BEE」の内容はあまり気分をよくしないお話であり、日本の観劇では滅多にない事だがロンドン公演では席を立つ客も居たという、感情移入しなくても作品の内容を読み取ることは出来る訳だ。野田の作り上げる演劇では、深く感情移入しないどこか無機質な物であるが故に、作品の内容とキャラクターが織りなす魅力の中で重要な部分だけを感じ取れるのかもしれない。

映像作品と違い舞台には、そのステージの上で美術背景や小道具と演者が動かなければ時間が進むことはない、演出家はその動きと台本を結びつけていく。野田作品の特徴の一つとして「言葉遊び」があるのだが、その一つ一つの言葉を野田秀樹の指揮を元に色々な個性を持つキャラクターが美術と体を使って繰り広げてくれる。その演出方法は回を増すごとに幅が広がり今も尚成長を遂げている。

野田秀樹の元嫁は?

1986年女優である竹下明子と結婚、その翌年離婚した。竹下も野田の作品に触れた女優の一人である、野田が主催していた劇団員の一人であったがその劇団も解散。その後、イギリスへ行き女優としてのスキルを磨いた後に帰国してすぐ舞台を再開し、今では通訳としても幅広い分野で活動している。野田との交友やつながりに関しては、今の所耳にすることはない。

野田秀樹は結婚しているの?

離婚した後大竹しのぶと同棲等、恋愛話も浮き出た訳だが現在はというと、2005年に女優藤田陽子と再婚し2009年には第一子が誕生している。

藤田 陽子(ふじた ようこ)は、モデルや歌手活動も行う女優で芸能プロダクション「ユマニテ」に所属している。女優業としても数々の実歴がある方だが、野田との作品は今の所存在せず、知り合ったきっかけも知人の紹介であり今までの恋愛歴とは色々な面で違いがある。

彼女の存在感は、どこか自然体で天才劇作家だの名女優だのと騒がれる存在とは違って見える。そんな藤田陽子との結婚と子供の誕生は、53歳にして野田が掴んだ掛け替えのない幸せなのだろう。

野田秀樹は失明している?

言葉の扱いが非常に高度な脚本を書く人だなと、舞台を観れば誰もが感じるであろう、だが「Right Eye」に関しては戯曲を手にした者が口を揃えて読みやすかったというのだ、その理由は野田秀樹の右目にある。

1989年網膜中心動脈閉塞症(中心動脈血管が詰まり失明する疾患)が発覚し、失明発覚時のインパクトからこの作品(Right Eye)は生まれた。実話を基としているからこそ、戯曲は今でも演劇界の中で高く評価され続け、現代の小劇場でも役者の玉子と呼ばれる者達がこの作品に触れ成長を遂げている。

片目を失明するということは、残酷な悲劇でありフィクションでない事実な訳だが、野田は以前リリー・フランキーとの対談にて失明発覚時の出来事を、重く受け止めるよりもブラックユーモアの如く演劇的な出来事に感じ舞台にしたと話している。

野田地図の公演で「オイル」という作品の中で、女優の山口紗弥加が野田をビンタするシーンがある。そこで眼鏡を飛ばしてしまい野田が「近視の私には眼鏡が見つからないんだ、手伝ってくれないかね」と焦る様子を見せると、客の一人が舞台際に落ちた眼鏡を指差し大きな笑いを誘った事があった。失明という本来であればあまり触れたくないであろう事柄を、笑いに混ぜてしまう演出も野田ならではだろう。

これからの野田秀樹

野田秀樹はいつも通りジムに通っていると、何の前触れもなく失明し片方の目では光を見ることが出来なくなった。我々もまたふとした時、それはなんの前触れもなく舞台作品を生で見ることができなくなるなんてことは、多くの可能性からして十分ありえる話だ。

大竹しのぶや宮沢りえという大女優たちと、この野田秀樹という男について気になって最後まで読んで下さった方々が大半だと思うが、恋愛関係やその真相は本人にしか正直わからないことばかりだ、でも唯一私たちがその当事者たちからメッセージを受け取ることの出来る場所がある。彼らに興味を持っているのであれば、劇場という彼らと同じ空間に足を運び野田秀樹から生み出される作品に触れてみては如何だろうか。

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2023-06-10 時点

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