清宮幸太郎の父はラグビー界を支えていた!家族は両親や弟も凄い人だらけ?

高校生ホームラン記録を作ってプロ野球の日本ハムに入団した清宮幸太郎。清宮幸太郎の父がすごいということで話題になっています。父もすごいなら母親や弟も凄いらしいですね。そんな清宮幸太郎の父と、子育てについて調べてみましょう。

清宮幸太郎の父はラグビー界を支えていた!家族は両親や弟も凄い人だらけ?

目次

  1. 清宮幸太郎の父の子育てについて
  2. 清宮幸太郎のプロフィール
  3. 清宮幸太郎の生い立ち
  4. 清宮幸太郎の父って誰だ?
  5. 父清宮克幸さんのプロフィール
  6. 清宮幸太郎の父清宮克幸は高校でも凄い
  7. 父の清宮克幸は大学ではどうなるのか?
  8. 父清宮克幸は必死で抵抗する
  9. 社会人時代の父清宮克幸は?
  10. 監督としての清宮幸太郎の父は?
  11. 清宮幸太郎の父の監督としての評価は?
  12. 清宮幸太郎の父清宮克幸の子育て論って?
  13. 清宮幸太郎の父の子育て論は?
  14. 清宮幸太郎の父の子育ては放任主義?
  15. 父清宮克幸の子育ては考えて育てる
  16. 清宮幸太郎の母の子育ては?
  17. 父と母のなれそめは?
  18. 清宮幸太郎の弟は?
  19. 父と共に歩む清宮幸太郎
  20. これからの清宮幸太郎に思う

清宮幸太郎の父の子育てについて

今年のドラフトの目玉だった清宮幸太郎の父の子育てがとても素晴らしいという噂になっています。その父と母親も凄い経歴の持ち主だと言われています。そんな両親の子育てについて詳しく見てみましょう。

清宮幸太郎のプロフィール

生年月日: 1995年5月25日
出身地 : 東京都
身 長 : 84センチメートル
体 重 : 97キロ
足のサイズ:31センチ
投 打  :右投げ左打ち

清宮幸太郎は、小学生の頃はラグビーをやっていました。しかし夏の甲子園の決勝戦 駒大苫小牧対早稲田実業を見てから、野球一本でやっていこうと決めたようです。「調布北砂リトル」と「調布シニア」で活躍します。

清宮幸太郎の生い立ち

清宮幸太郎は、早稲田実業高校で2015年に高校野球界にデビューします。甲子園にも出場し、高校通算ホームラン新記録を樹立しました。リトルリーグの時から注目を集めて、世界ジュニア選手権でも活躍をするのです。

高校を卒業後は、プロ野球に進み日本ハムから指名を受け、入団することになりました。これからはプロ野球選手として、野球ファンを楽しませてくれることでしょう。清宮幸太郎が活躍すると、注目を集めるのが家族のことです。両親は二人ともとてもすごい人と言われています。

清宮幸太郎の父って誰だ?

清宮幸太郎の父清宮克幸は、ラグビー界では有名な人です。あの早稲田大学OBで、ラグビー日本代表としても活躍した選手です。そのあとは社会人でも活躍をします。これから、清宮幸太郎の父のことや、子育てについて調べてみましょう。

父清宮克幸さんのプロフィール

出 身 地:大阪府福島区出身
最終学歴:早稲田大学
生年月日:1967年7月1日7(50歳)
家  族:妻 子供二人

清宮幸太郎の父清宮克幸は高校でも凄い

清宮幸太郎の父清宮克幸は大阪に生まれます。小学校時代は野球を、中学時代はサッカーに明け暮れています。しかし高校の時エネルギーが有り余っていたので、担任からラグビーを勧められたのです。大阪府立の茨田高校(まったこうこう)に進学を勧められ入学します。

茨田高校に入学した清宮幸太郎の父清宮克幸は、体格・センスなどすべての面において優れていたので、1年の時かレギュラーとして活躍します。3年の時には、主将として茨田高校ラグビー部を全国大会に導き、その年の高校日本代表の主将としても活躍するのです。

父の清宮克幸は大学ではどうなるのか?

清宮幸太郎の父、清宮克幸は早稲田大学へ進学し、ラグビー部の門をたたきます。その頃の早稲田ラグビー部はスター選手がいて明治大学との死闘を繰り広げていました。代表的な試合として、1987年の12月6日に行われた早稲田対明治の試合があります。

早稲田にはSHに天才と言われていた堀越正巳、FBに今泉清、そしてNo8に清宮幸太郎の父清宮克幸がいました。対する明治には、吉田義人などその後の日本ラグビー界を引っ張るメンバーが揃っていたのです。試合は、雪の降る国立競技場です。

父清宮克幸は必死で抵抗する

その試合は1点を争う素晴らしい試合でした。特にロスタイムの8分間は興奮を覚える攻防です。つい先頃、ラグビーワールドカップで日本代表が南アフリカ代表を破った試合と重なります。重戦車といわれるFWを要する明治大学は、早稲田のゴール前に迫ります。それを、No8で清宮幸太郎の父清宮克幸を中心にして守りきるのです。

ラグビーファンに中では、今でも語りぐさになっている死闘を繰り広げます。今では五郎丸のルーティーンで有名ですが、あの頃は、今泉清の3歩のルーティーンが、国立競技場に鳴り響くのです。ペナルティーキックを蹴るとき、ボールから3歩下がるのですが、1,2,3と会場全体から声がかかります。それほど白熱した試合でした。

No8というポジションは、ラグビーにおいては重要なポジションでもあります。FW陣の最後に位置しますが、攻撃と守備の要の位置にあたります。清宮幸太郎の父、清宮克幸は主将でありそんな重要なポジションを任せられていたのです。やはりただ者ではありませんね。

社会人時代の父清宮克幸は?

早稲田大学でラグビー日本一になった清宮幸太郎の父、清宮克幸はサントリーに入社して、95年には社会人大会で優勝し、その年には日本一に輝きます。また97年・98年と連続して準優勝します。社会人でも輝かしい成績を収めるのです。もちろん主将としてです。素晴らしいキャプテンシーですね。

監督としての清宮幸太郎の父は?

清宮幸太郎の父、清宮克幸は2001年に現役を引退し、母校の早稲田大学のラグビー部監督に就任します。その頃の早稲田ラグビー部は少し低迷していて、優勝から遠ざかっていました。清宮克幸が監督に就任してから2年後の2003年、13年ぶりに早稲田ラグビー部は大学日本一に輝くのです。

その後、早稲田では日本選手権で社会人チームを破ったり、2005年・2006年と連覇したりします。早稲田の監督を辞任したあとは、古巣のサントリーの監督、ジュビロ磐田の監督を歴任します。

2011年には、社会人大会の決勝で、サントリーを破りジュビロ磐田が優勝するのです。清宮幸太郎の父、清宮克幸は指導者としても凄い経歴なのです。

清宮幸太郎の父の監督としての評価は?

清宮幸太郎の父、清宮克幸の監督としての評価は、ラグビー界では高いようです。監督として就任したチームはすべて優勝しています。しかも、早稲田、サントリー、ヤマハ発動機はそれまでチームとして低迷していたのです。そのチームを優勝まで導くのですから凄いですね。

有言実行の男だと言われています。ヤマハ発動機に監督として就任した頃、「ミラクルを起こす」と公言していたそうです。「ミラクルを起こす」って簡単に言葉で言うのは優しいのですが、それを現実にするのですからね。

選手として活躍していたサントリーを破り、ヤマハ発動機は日本一に輝くのです。まさに有言実行の男です。それはまさにプレッシャーとの戦いだったでしょう、頭が下がる思いです。このことからしても、清宮克幸の監督としての評価は高いですね。

清宮幸太郎の父清宮克幸の子育て論って?

清宮幸太郎の父である清宮克幸の子育て論はどのようなものでしょうか?監督として辣腕をふるってきたのですが、父としての子育て論にも特別なものがあるのかもしれません。

清宮幸太郎は幼い頃はラグビーをしていましたが、甲子園の決勝戦を見てから野球の虜になります。その時父である清宮克幸はどのようなアドバイスをしたのでしょうか?

「僕が早大の監督をしていた頃、小さかった幸太郎は『早稲田は大学しかない』と思っていた。ある日、早実初等部という存在を知ったとき、『そこに行きたい』と自分の意思をはっきり言ってくる子どもでした。それ以来、何をしたい、野球をやりたいと。言ったことに関しては本人の意思を尊重することを教育方針としてやってきた」

清宮幸太郎の父、清宮克幸はこう語っています。息子の幸太郎ははっきりと自分の意志を言うことができる子供だったのでしょう。そして自分の進む道はこの子なら自分で選べるだろうと信頼していたのですね。だから、ラグビーをしていたのに野球に進んだときには、黙って見守っていたと思います。

清宮幸太郎の父の子育て論は?

清宮幸太郎の父、清宮克幸の子育て論で、「4~6歳の頃は神経発達の第一次黄金期なので、いろんな刺激を与えた方が良いと聞いています。」それを実践していたのでしょうね。父の教えで清宮幸太郎は、3歳から水泳とラグビーを習い始めて、その後も色々なスポーツを体験しています。

極めつけは、自宅にトレーニングルームを作ったことでしょう。天気が悪くてもトレーニングができる環境の元、神経発達の第二次黄金期の10~12歳を手を使ったトレーニングで過ごすのです。手を使うと言うことが、父の子育て論では重要なことなのですね。

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清宮幸太郎の父の子育ては放任主義?

一見放任主義のように見えますが、ちゃんとした考えがあったと思います。幼い頃から息子の、清宮幸太郎には「世界を目指せ」と言っていたそうです。父譲りの体力や判断力を武器に、ジュニア野球の世界大会では優勝をするのですから。父の教え通りに「世界」を目指していたのです。

清宮幸太郎はスイミングスクールに通っていた時期に、どうしても次のクラスにあがれない時が、1年半続いたそうです。昇級テストは2ヶ月に一度あっているのにです。父の清宮克幸は直談判して、指導のプロの元、1年半も昇級できないのかおかしいといって、スイミングスクールを変わったそうです。

その子にあった指導をするスクールを見極めるのも親の勤めだと言うことですね。スクールを移ったらみるみる上達したそうです。子供とはいえ、指導についてはすべてを任したくないという信念があるのでしょう。その子にあった指導方法があるはずだと言うことですね。

父清宮克幸の子育ては考えて育てる

清宮幸太郎の父、清宮克幸の子育ては、ラグビーと一緒で「考えて育てる」と言うことです。野球の試合のあとで、なぜインコースが打てたのか、同じ投手に対してつぎはどうする?とか色々考えさせたと言います。自分で考えて、正解を導き出すということですね。

早稲田大学のラグビー部も、このようにして考え、失敗を恐れずに強くなっていったのでしょう。これが清宮幸太郎の父、清宮克幸の子育てなんだと思います。

清宮幸太郎の母の子育ては?

清宮幸太郎の父、清宮克幸ここ育ては「考えて伸ばす」と言うことです。それでは母の子育てはどんな考えなのでしょうか?清宮幸太郎の母は、清宮幸代さんという方です。ネットでは離婚したとか言う噂が流れましたが、デマだと言うことが判りました。

母の幸代さんは、慶応大学出身で大学時代は、ゴルフ部のキャプテンをしていたようです。中学時代は野球部のマネージャーの経験が有り、その経験から、ちょっとしたアドバイスを清宮幸太郎に与えたそうです。それは、左打ちに転向することです。その理由が「一塁に近いから」単純なアドバイスですね。

しかし、その単純なアドバイスが、清宮幸太郎のその後の活躍の源になっているのは間違いありません。左打者への転向がなかったら、今の清宮幸太郎はなかったかもしれないのです。母の幸代さんは、フードマイスターの資格も持っています。食事の面からも子育てしていたのですね。

控えめな幸代さんですから、表にはあまり出てきませんが、スポーツフードマイスターとして、夫である清宮克幸や、息子たちの健康を食事の面からバックアップしていたのでしょう。まさに内助の功ですね。

父と母のなれそめは?

清宮克幸と母幸代さんのなれそめはどうなのでしょうか?父と幸代さんは同じサントリーで知り合ったようです。ラグビー部で活躍していた清宮克幸が、宣伝部に所属していた幸代さんに猛アタックしたと言われています。

ちなみに幸代さんは、1歳年上と言うことです。幸代さんは長男の幸太郎を出産したあとに、サントリーを退社しています。

清宮幸太郎の弟は?

清宮幸太郎には弟がいて、その名前は福太郎といいます。兄の幸太郎の後を追って「東京北砂リトル」に入部して、2015年7月20日には「全日本リトルリーグ野球選手権」では全国制覇をしています。

そんな弟の福太郎君は兄について、高3と中2ってなかなか話したりしないと思うけど、兄は色々話をしたり、アドバイスをしてくれると言っています。そして兄の凄さを「高校一年の時に金属バットを2本折った」と話しています。金属バットを折るって怪物ですね。

そんな兄の清宮幸太郎の弟は、現在は早稲田実業の中等部に通っています。兄に匹敵する体つきとパワーを兼ね備えている、身長178㎝体重93㎏の体格。まだまだ伸びシロがあるので、これからの成長が楽しみですね。兄同様の活躍、いや兄以上の活躍が望めるかもしれません。

父と共に歩む清宮幸太郎

プロ野球の日本ハムに入団する清宮幸太郎について、父の清宮克幸は次のように語っています。

『幸太郎を何とかしたい、見守ってあげたい』。多分、周りをそういう思いにしていく特徴がある息子だと思う。多くの人たちに支えられて、ようやく旅立ちの宣言ができた」

これまで父として、息子の姿を陰ながら見守っていた気持ちが表れています。父である清宮克幸は、息子のために家族と一緒に歩んできたのです。その気持ちがこのような言葉になったのでしょう。自分の教えを守り、息子が一歩ずつ夢に向かって歩んでいく姿を見守っていくことでしょう、母の幸代さんと共に。

息子がプロ入りを決意したことに黙ってうなずき、幼い頃には早稲田大学しかないと考えていた息子が、早稲田初等部に行きたいと意思表示し、野球を遣りたいと言い、それを決めた本人の意思を尊重し、その夢に向かって父としてできることを手助けしてきたのだと思います。

これからの清宮幸太郎に思う

プロ野球の門をたたく清宮幸太郎。その姿を見守り続ける父。私たちはこの家族に夢を与えて貰っています。父である清宮克幸の子育て論は参考になることが沢山あると思います。スポーツにとって、色々なスポーツを経験し、体幹を鍛えることはとても素晴らしいと思います。

そして、考えて実践することもとても大事なことです。この練習がどんな意味があるのか、今どんな練習をしたら効果があるのか。これからプロとして歩く清宮幸太郎にとっては、幼い頃から養ってきた感覚だろうと思います。

プロになれば、自分で考えて練習をしなければなりません。必要以上にコーチは教えてくれないのでしょうから。ただ一つにヒントを敏感に感じて、それを自分の物にしなければなりません。父の教えを守って歩んでいく清宮幸太郎を静かに見守りたいと思います。

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