池内淳子の死因は!息子や夫の情報や若い頃・現在の活動は?【画像あり】

昭和から平成までを駆け抜けた、大女優・池内淳子の死因についてまとめました。池内淳子が結婚した夫についてや、2人の間に息子や子供はいたのかどうかも調べてまとめました。若い頃の作品や、美しい池内淳子の画像とともに見ていきましょう。

池内淳子の死因は!息子や夫の情報や若い頃・現在の活動は?【画像あり】

目次

  1. 女優・池内淳子のプロフィール
  2. 池内淳子の夫との結婚や息子は?
  3. 池内淳子の若い頃や出演作品
  4. 池内淳子の現在は死去?
  5. 池内淳子は素晴らしい女優だった!

女優・池内淳子のプロフィール

和服が似合う上品な女優として、庶民的な女性の役から妖艶な役まで幅広く演じてきた、大女優の池内淳子の死因についてまとめます。残念ながら2010年の9月26日に、すでに亡くなってしまっていますが、池内淳子が出演してきた作品は沢山あり、今もなおその存在は大きなものとなっています。また、夫や息子である子供のことについても画像とともにまとめました。

愛称:???
本名:中澤純子(なかざわすみこ)
生年月日:1933年11月4日
現在年齢:享年76歳
出身地:東京府東京市本所区東両国(現:東京都墨田区)
血液型:O型
身長:???
体重:???
活動内容:女優
所属グループ:???
事務所:???
家族構成:???

池内淳子の経歴と画像

池内淳子は、東京の両国にある塩もの問屋の長女として生を受けました。幼稚園はトモエ学園に通っていましたが、この学園は日本で初めてリトミック教育という音楽教育を取り入れた学校でした。その後、十文字高等学校を卒業した池内淳子は、日本橋三越の入社試験に合格したものの、親から反対されてしまったようです。

祖父からの許しをもらった池内淳子は、無事に入社しますが配属された呉服売り場には、後に女優となる前田通子もおり、2人の美貌が評判となったという出来事がありました。昭和20年代後半の頃だったので、1年ほど勤めた後に花嫁修業のため退社し、料理と和裁の学校に通います。その時に友人の勧めで「サンケイグラフ」という雑誌のカバーガールに応募しました。

「サンケイグラフ」のカバーガールに合格した池内淳子でしたが、その後芸能関係者の目に留まることとなり、女優としてスカウトされ新東宝へ入社の道をたどります。そこで、三越で一緒だった前田通子と再会したというエピソードがあります。2人そろってかなりの美貌と言われた池内淳子と前田通子は、女優として活躍することとなります。

新東宝の看板女優だった若い頃の画像

池内淳子の代表作については、後ほどまとめていきますが、若い頃の1955年に『皇太子の花嫁』で映画デビューを果たしました。その後、『次郎物語』で姉役がヒットし、池部良や宇津井健の相手役として活躍しました。「東海道四谷怪談」に出演後、東宝に移籍し、若い頃はその後も人気女優の道を歩み「視聴20%の女優」とも言われました。

1956年には、『新妻鏡』で初主演を務め、久保菜穂子や三ツ矢歌子と一緒に「新東宝現代劇の女優三羽烏」とも呼ばれ注目を浴びました。一時期、結婚により芸能界から退いていますが、池内淳子は東宝の看板女優として、映画やテレビドラマに引っ張りだこでした。その他の出演作には、映画の『男はつらいよ 寅次郎恋歌』やドラマの『渡る世間は鬼ばかり』などもあります。

池内淳子の夫との結婚や息子は?

柳沢真一と結婚し芸能界引退

池内淳子は、当時ラジオで知り合ったという俳優の柳沢真一と1956年に結婚しています。翌年の10月12日には、品川プリンスホテルで挙式をしています。結婚後は、芸能界から退き、妻としての道を選んだ池内純子でしたが、約2年ほどの結婚生活の後、1958年1月17日には池内淳子が実家に戻ることとなったようです。

原因については諸説ありますが、性的不一致や姑との相性があまりよくなかった、池内淳子の暴力など、その当時メディアで報道はされたようですが、真相は不明で噂の域を出ないままでした。結婚した当の本人たちだけが知る理由なのかもしれません。

夫・柳沢真一のプロフィールと画像

愛称:???
本名:柳澤愼一
生年月日:1932年12月19日
現在年齢:85歳
出身地:東京都
血液型:???
身長:178センチ
体重:???
活動内容:ジャズ歌手、俳優、声優、福祉活動家、ボードビリアン、作詞家
所属グループ:???
事務所:エム・スリー
家族構成:???

離婚し芸能界復帰

柳沢真一との結婚生活に終止符を打った時期については、詳細が不明ではありますが、離婚後に池内淳子は女優うに復帰しています。1960年には女優として復帰作品に出演していますので、実家に戻った1958年からの間に離婚したのではないかとされています。少し昔の時期で、今とは違う風習だったこともあるので、おもむろに公表することでもなかったのでかもしれません。

復帰作「花嫁吸血魔」

池内淳子の離婚後の女優復帰作品は『花嫁吸血魔』という映画でした。この作品では、毛むくじゃらの怪物に変身してしまう美女の役で、その変身後の怪物の姿まで演じ、これは結婚に反対していた新東宝社長の大蔵貢からの冷遇だったのではないか、とファンには噂されていたようです。復帰するために泣く泣く引き受けた役だったという噂は、しばらく続いたようです。

実際の所は、不本意な役だったわけでもなく、冷遇でもなかったようで、当時の新東宝は「エログロ路線」を描いた作品が多く、池内淳子だけではなく他の女優も変わった役を演じていたようです。そして、本当にいやがらせをするならば、映画自体に出演させないと後々この噂を否定したようです。

柳沢真一との子供や息子は?

短い結婚生活だった池内淳子と柳沢真一でしたが、2人の間に子供や息子はいたのでしょうか?調べてみると、どうやら子供の存在は無いようです。結婚はしたものの、夫婦生活もそこまでなかったようで、子供や息子ができるまでには至らなかったのかもしれません。今現在も子供についてや息子がいるのではないかと検索されていますが、子供はいないことが分かりました。

池内淳子の若い頃や出演作品

日日の背信

池内淳子の若い頃の出演作についても見ていきましょう。テレビドラマでの作品では「日日の背信」という作品が高視聴率を上げ、池内淳子を人気女優としての確立させました。丹羽文雄による小説でしたが、病床の妻がありながら、温泉宿で出会った未亡人との背徳の恋を描いた作品です。

花影

『花影(かえい)』は、1961年12月9日に公開された映画で、池内淳子は主役の足立葉子役を演じました。実際に存在した、銀座の文壇バーで働くホステス・坂本睦子を描いた作品で、多くの文化人と関係を持ったその波乱万丈な生き様を映画化したものでした。

けものみち

松本清張原作の『けものみち』では、主役の成沢民子を演じた池内淳子。この作品は戦後の日本の権力構造社会を描いた作品で、その動きの中で渦巻く人間たちの運命を描いた作品です。病の夫のために割烹旅館で働く女中の役で、そこで出会うホテルの支配人から、生活を楽にするために、示された条件を飲む、というストーリーです。

苦しい現状から抜け出すために、夫を焼き殺し、政財界の大物と関係を持ち、今までとは全く違う自由奔放な暮らしをして行く成沢民子の、あの時代に流された人間の弱さや葛藤を美貌の池内淳子が演じています。

女と味噌汁

『女と味噌汁』という作品は、1965年に平岩弓枝が『別冊小説新潮』に書いていた作品です。大人気作品だったため、1965年から1980年までに年2~3本のペースでドラマが制作され放送されました。池内淳子は芸者のてまり役で、将来は小料理屋を営みたいと夢をみながら、毎晩ライトバンで味噌汁とおにぎりの店を出している、というストーリーです。

渡る世間は鬼ばかり

日本のテレビドラマで知らない人はいないとされる『渡る世間は鬼ばかり』の第9シリーズには、主人公の岡倉大吉から好意を寄せられている女性の役で、小宮怜子として出演しています。この作品では、2008年から2009年に池内淳子は出演していました。

天うらら

1988年のNHK連続テレビ小説『天うらら』には、主人公うららの祖母役・大滝ハツコとして出演していました。この当時まだ注目されていなかった、バリアフリーについてを描いた作品で、主人公世代と、池内淳子の祖母世代の両方を軸に描かれていました。

池内淳子と言えばほんだしのCM!懐かしい画像

池内淳子と言えば、ほんだしのイメージキャラクターで有名でした。CMなどにも出演していた池内淳子は、綺麗なお母さんという印象も強くあり、また、昔ながらのお母さんのイメージも持っていたため、長く味噌汁やほんだしなどの「母」をイメージするものに縁があったようです。

近年では宮﨑あおいと共演した「ほんだし」のCMも記憶に新しいかもしれません。和服姿の池内淳子だけを見てしまうと、名前を聞いても一瞬分からないかもしれませんが、このCMを見ると見たことがある女優だということも分かるでしょう。

池内淳子の現在は死去?

死因は肺腺がんだった

それでは、池内淳子の死去した死因についてまとめていきましょう。2010年9月26日に亡くなった池内淳子は、享年76歳でした。亡くなった時間は午後4時21分で、東京都内の病院で死去したということです。死因については、肺腺がんと公表されています。

池内淳子の闘病生活

2007年に地方公演の舞台の最中、胸に違和感を感じて検査をした池内淳子は、間質性肺炎、胸水貯留、肺腫瘍と、3つの病名が診断されたようです。その際3か月の安静療養を言われたため、入院したようですが、同年中に復帰しています。そして2010年に再び入院となり、その4カ月後に肺腺がんのため死去しました。元々愛煙家だったのも死因に影響があるかもしれません。

池内淳子と黒柳徹子の関係性

幼稚園のトモエ学園から一緒だった黒柳徹子とは、若い頃からなkが良かったようで、一緒の老人ホームに入ろうと約束していたエピソードがあったようです。そして、池内淳子の葬儀では、別れが速すぎることと、涙が止まらない、というコメントをしているようです。「徹子の部屋」では追悼番組も放送されました。

池内淳子と坂上忍の関係性

池内淳子さんが.....亡くなってしまった。 池内さんには子役時代からお世話になっているわたしとしては、辛い。 池内さんは、背筋の伸びたというか、凛とした、品のある女優さんだった。 わたしの中では、山岡久乃さんと池内淳子さんは、同じ匂いがした。 ブレない.....というか、言うべきことを言う代わりに、言えるだけのことを誰よりもキッチリやっている方。 一方で、芝居に対してはとても謙虚な方だった。

子役から活躍していた坂上忍も、池内淳子の死に自身のブログで追悼の記事を上げています。子役時代から共演することも多かったようで、とても影響を受けた人物だったことがうかがえます。

天海祐希などがお別れ会に参列

池内淳子のお別れ会には、そうそうたる人物が名を連ねて参加していましたが、その中でも『演歌の女王』で共演した天海祐希を筆頭に、その最期を看取り長年妹のように中の良かった長山藍子や佐久間涼子、八千草薫、三田佳子も参列していました。池内淳子の遺作はテレビドラマの「Wの悲劇」と、舞台「三婆」となりました。

池内淳子は素晴らしい女優だった!

女優の池内淳子の死因について画像とともにまとめてきました。今は亡き大女優の池内淳子ですが、たくさんの作品に出演し愛されていた女優だったことが分かります。結婚し離婚はしてしまいましたが、その後の女優人生は素晴らしいものだったのではないでしょうか。池内淳子の冥福を祈るとともに、作品を観てみるのも良いかもしれません。

その他の女優の死去に関する記事はこちら

Thumb女優・樹木希林さんが死去。死因やみんなに愛された生き方や名言を紹介! | 大人女子のライフマガジンPinky[ピンキー]
Thumb女優・仁和令子さんが死去!「必殺シリーズ」での活躍や死因について! | 大人女子のライフマガジンPinky[ピンキー]
Thumb女優・生田悦子さん死去。闘病生活を支えた夫や若い頃について調査! | 大人女子のライフマガジンPinky[ピンキー]

こちらの関連記事もおすすめ

アクセスランキング

2018-12-10 時点

新着一覧