哲学者・梅原猛さんが死去。死因や経歴は?瀬戸内寂聴さんもコメントを発表

「梅原日本学」や「知の巨人」とも呼ばれていた哲学者の梅原猛さんが死去されました。梅原猛さんの今までの経歴やその活動について、そして死因についてまとめていきます。また、この梅原猛さんの死去に瀬戸内寂聴さんからの追悼コメントもありますのでご紹介します。

哲学者・梅原猛さんが死去。死因や経歴は?瀬戸内寂聴さんもコメントを発表

目次

  1. 哲学者・梅原猛さんのプロフィール
  2. 哲学者・梅原猛さんの経歴
  3. 死去した梅原猛さんの死因は?
  4. 瀬戸内寂聴さんの梅原猛さん死去についてのコメント
  5. 哲学者として活躍した梅原猛さんの冥福を祈ろう

哲学者・梅原猛さんのプロフィール

愛称:???
本名:梅原猛(うめはらたけし)
生年月日:1925年3月20日
現在年齢:93歳没
出身地:宮城県仙台市
血液型:???
身長:???
体重:???
活動内容:哲学者
所属グループ:???
事務所:???
家族構成:妻、娘

哲学者である梅原猛さんが死去されたというニュースが飛び込んできたのは、2019年1月14日の事でした。数日前の12日に死去していた梅原猛さんは、自身の事を哲学者という括りで表現していましたが、その功績は哲学者というだけではない、さまざまな分野に影響を及ぼした人物でもありました。そんな梅原猛さんの死因や哲学者としての経歴についてもまとめます。

また、この梅原猛さんの死去については、今までの梅原猛さんの著作を読んできた一般の人から、著名人までも多くの悲しみの声や感謝を告げています。そんな世間の声の中でも、特に注目されているのが瀬戸内寂聴さんからのコメントになっていますので、あわせて紹介していきます。まずは、梅原猛さんの人物像や生い立ち、そして経歴についてみていきましょう。

梅原猛さんの人物像と生い立ち

哲学者・梅原猛さんと言えば、書ききれないほどの職歴と数多い著作がありますが、経歴の前にその人物像を見ていきましょう。宮城県仙台市で生まれた梅原猛さんは、両親が学生だったときにできた子で、両家が結婚を認めなかったため私生児として生まれました。そして、乳児期に実母が亡くなり、生後1年9カ月の時に愛知県知多郡の伯父夫婦引き取られ養子として育ちました。

実父である梅原半二さんは、後にトヨタ自動車の常務や豊田中央研究所の所長を務めた人物で、その血を受け継ぎ理科系が得意だった梅原猛さんは1942年には広島高等師範学校に入学するも2カ月で退学しました。けれどどうしても文科に進みたかった梅原猛さんは、周囲の反対を押し切って、翌年には第八高等学校の文科に入学し進学を果たしました。

梅原猛さんはその後大学進学を東京帝国大学に進むか、京都帝国大学の哲学科に進むか迷いますが、京都学派の哲学で有名だった西田幾多郎さんや田辺元さんが在籍していた京都帝国大学を選び1945年に進学します。その時すでに両名は退職していたようですが、その影響があるだろうと意思を決めたようです。そして入学直後には徴兵され戦地へ赴いた後9月復学しています。

大学院から賭博にのめりこむも結婚した梅原猛さん

大学院に進んだ梅原猛さんは、いくつかの論文を発表しますが師事していた田中美知太郎さんと対立することになります。当時はまだ梅原猛さんの意見はまだまかり通る世の中ではなく、20歳後半には言いようのない虚無感から賭博へはまっていきます。破滅的な日々を見かねた養母の勧めでピアニストの女性と結婚した梅原猛さんは、その後子宝にも恵まれ長女が誕生しています。

マルティン・ハイデッガー哲学の魅力に惹かれながらもギリシア哲学を専攻していました。この哲学の虚無思想を乗り越えるために「笑い」の研究へと向かっていったのですが、笑いを深めていくと自分の中の心の暗い部分も見つめることとなり、その後は日本の古典美学への関心が起き、神道や仏教についての研究を深めてきました。晩年は京都の和辻哲郎旧邸に住居を構えていました。

多神教や臓器移植反対論者としての顔と原発反対を説いた梅原猛さん

梅原猛さんは日本文化や神道などに惹かれて言った上で、熱烈な多神教優位論者であり反一神教主義者であることも有名でした。よって、アリストテレスのように、生物の多様性にも着目していました。そして臓器移植の反対にも力を入れており、戦争経験者でもある梅原猛さんは原発への反対や憲法9条の持つ日本のあり方や大切さも説いていました。

哲学者・梅原猛さんの経歴

哲学者としてだけではない梅原猛さんの経歴

梅原猛さんの経歴についてですが、大学での講師は龍谷大学文学部での講師の後に、立命館大学文学部での講師と助教授、教授も経験しています。京都市立芸術大学では美術学部で教授をした後に学長もされていました。そして1980年代からは、国際日本文化研究センター(仮)の室長として、創設に携わり、そののちには所長となっています。

そして、京都市立芸術大学での名誉教授や、国際日本文化研究センターの名誉教授、そして京都市名誉市民の称号も贈られている人物です。また、初代のものつくり大学の総長や東日本大震災復興構想会議では特別顧問を務め名誉議長でもあります。そして、碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長や第13代の社団法人日本ペンクラブ会長も歴任しています。

作家としての著作も数え切れない梅原猛さん

40代になる前までは、論文の執筆が多く1冊の著作も無かったという梅原猛さんですが、そこから晩年に向けては本当に多くの本を書き世に生み出していました。梅原猛さんの本は、年代問わず日本の文化や神道などに疑問を抱いた人が通過する書物として多くの人に愛され読まれてきています。新しい切り口や視点で書かれたものも多いのが特徴です。

スーパー歌舞伎やスーパー能にも貢献した梅原猛さん

また、今では浸透している「スーパー歌舞伎」や「スーパー能」を創作し、日本の古くからある古典芸能という伝統と、「梅原日本学」との新しい融合にも関わっていました。市川猿之助さんの劇団に、日本の神話として有名な『ヤマトタケル』や『オオクニヌシ』などを歌舞伎の台本として書き示し、その活動が認められ、梅原猛さんは文化勲章を受章しています。

死去した梅原猛さんの死因は?

梅原猛さんの死因についてですが、梅原猛さんは約1年前に腰部を骨折していた事が分かっています。そしてその入院生活を終えた後に京都市内の自宅に戻り、療養を続けていたようです。ですが最近になって冬の寒さもあったためか、肺炎を発症していたということが分かっています。そして容体が急変しました。梅原猛さんの死因については肺炎ということのようです。

瀬戸内寂聴さんの梅原猛さん死去についてのコメント

瀬戸内寂聴さんのプロフィール

愛称:???
本名:三谷晴美
生年月日:1922年(大正11年)5月15日
現在年齢:96歳
出身地:徳島県徳島市塀裏町
血液型:???
身長:???
体重:???
活動内容:小説家、天台宗・尼僧
所属グループ:???
事務所:???
家族構成:娘

あの瀬戸内寂聴さんが梅原猛さんへ向けたコメント

親交も深かったと言われている梅原猛さんの死去に当たって、瀬戸内寂聴さんが出したコメントについてもご紹介していきます。まずは瀬戸内寂聴さんのプロフィールについてもみていきましょう。93歳だった梅原猛さんと現在96歳の瀬戸内寂聴さんは、戦争を経験してきたという共通点だけでなく、古くからある日本の伝統や仏教や仏像などを通しても色々な交流があった人物でです。

哲学者と自称されていたが、深い研究と独自の見識を開発していて、梅原学という魅力的な学問を発明していた。机にしがみついた学者ではなく、常に世界に目を開き、自身の学問の新しい開発に余念がなかった。

瀬戸内寂聴さんは死去された梅原猛さんへ、哲学者という括りには収まりきらない学問の研究をしていたというコメントを出しています。そして、色々な場所へ赴き、新しい世界に目を向け多様性のある視点が大事だと言うことを、行動を持って示していたというその梅原猛さんの生きざまを代弁しているかのようです。

「あの人は人間じゃないですよ。喋(しゃべ)りはじめたら朗々としてつかまえる閑(ひま)がなく、その言葉を聞き取り、書くのが大変なんです。ああいう人を天才というのでしょう」私が三つ年上なので、いつの間にか「姉さん」と呼んでいた。根はロマンチストで、恐妻家で、美しい聡明(そうめい)な夫人がご自慢だった。百まで生きて書くと言い続けていたのに、九十三歳で亡くなったのが惜しい

上のコメントは2人の関係性が見えるもので、梅原猛さんと瀬戸内寂聴さんは色々なことで話をしていたということも伺えるのではないでしょうか。梅原猛さんの妻に関してはそこまで多くの話題や情報がないのですが、この瀬戸内寂聴さんの言葉からはその家庭像なども垣間見えてきます。惜しい人ほど早くに死去してしまうことが多いですが、梅原猛さんもその一人と言えるでしょう。

梅原猛さんの死去に悲しみの声も多いTwitter

ここでは、梅原猛さんのファンなど一般の人のコメントをTwitterから少し紹介します。梅原猛さんが生前説いてきた新しい見方に関する著書に影響を受けたと言う人が本当に多くいることが分かります。またそれは一般人だけでなく、著名人にも至ります。沢山の追悼コメントがありますので気になる方は是非チェックしてみてください。

梅原猛さんの死去において、もう一度著作を再読してみると言う声も多く、そして歴史好きには欠かせない人物だったことも分かります。梅腹猛さんの本からは、いつでも疑問と多様性を忘れてはいけないと言うメッセージが込められていると言ってもいいでしょう。梅原猛さんの本は沢山ありますので、気になる題材からチェックしてみるのもおすすめです。

哲学者として活躍した梅原猛さんの冥福を祈ろう

哲学者としてだけでなく社会問題や芸能分野でもその才能を発揮してきた梅原猛さんの経歴から、死去についてやその死因についてまとめてきました。惜しむ声も多い中、93歳という大往生で死去された梅原猛さんの残してくれたさまざまな影響や書籍は今後も日本人の真髄に訴えかけていくことでしょう。この機会に梅原猛さんの本を読んでみるのもおすすめです。冥福を祈りましょう。

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