高橋尚子の師・小出義雄さん死去。マラソン名監督の死因は?

高橋尚子さんの監督として活躍し、マラソン界でも有名な監督だった小出義雄さんが死去したというニュースが入ってきました。3月末で監督業からは引退を表明していた小出義雄さんの死因は一体何だったのでしょうか?小出義雄さんの死去された死因についてまとめます。

高橋尚子の師・小出義雄さん死去。マラソン名監督の死因は?

目次

  1. 小出義雄さんのプロフィール
  2. 小出義雄監督の経歴
  3. 監督のイメージを変えた小出義雄さんの死因は病気?
  4. 高橋尚子や有森裕子など著名人からのお悔やみの声
  5. 小出義雄監督の冥福を祈ろう

小出義雄さんのプロフィール

監督業引退後に小出義雄さんが病気で死去

愛称:???
本名:小出義雄(こいでよしお)
生年月日:1939年4月15日-2019年4月24日死去
現在年齢:80歳没
出身地:千葉県佐倉市
血液型:???
身長:???
体重:???
活動内容:マラソン・中長距離選手の指導者
所属グループ:佐倉アスリートクラブ
事務所:???
家族構成:妻、娘3人(うち1人は小出正子(娘、現・高橋)、高橋健一(甥)

日本のマラソン界で活躍した人物と言えば、高橋尚子さんを筆頭に有森裕子さんなど、数々のメダリストが存在しています。そんな日本のマラソンに貢献した監督・小出義雄さんが死去されたというニュースが、テレビでも速報で流れ悲しみの声が多く届いています。残念ながら3月31日付で、監督業からは引退するという情報が入ってきていたのもつかの間の死去となりました。

監督引退のニュースも各テレビ局が大体的に報じていましたが、そのニュースが流れたのは4月1日の事でした。そこからひと月もたたない間の死去に、まるで自分の死期を悟っていたからなのでは、というメディアもありました。そんな小出義雄さんの死去した死因が何だったのかについてもまとめていきます。年齢的にも高齢だった小出義雄さんは病気をいくつかしていたという話もあります。

いつも笑顔で、お酒が大好きだった名監督の、人間として憎めないおちゃめな人柄もここまで有名にしたポイントの一つであると言えますが、その選手の活躍の裏での小出義雄さんについてまとめていきます。また、この死去のニュースに、愛弟子だった高橋尚子さんや有森裕子さんも報道陣に対しコメントしていました。小出義雄監督の死去した死因などについてまとめていきます。

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小出義雄監督の経歴

農業から教職へ!その先の陸上競技の監督

まずは、小出義雄監督の経歴についてまとめていきます。小出義雄さんは、千葉県の出身で、亡くなる寸前までも千葉を拠点として、日本の陸上界の後継者にそのノウハウを伝え指導していました。千葉県立山武農業高等学校を卒業した後は、家業の農業をする為に日々精進していたようですが、どうしても陸上競技への思いが断ちきれず、実家から逃げ出し行方をくらましたようです。

その後、勉強と資金繰りに苦労しながらも順天堂大学体育学部に22歳の時に入学し、小出義雄さんは箱根駅伝に3年連続で出場した経歴を持っています。26歳になった1965年に大学を卒業した小出義雄さんは、保健体育の教師となり、出身地である千葉県で教鞭をとりました。千葉県立長生高等学校や千葉県立佐倉高等学校、船橋市立船橋高等学校などで教師をしていたようです。

教師時代は、鈴木秀夫や河合美香、野木丈司、鈴木大地はそれぞれ教え子で、小出義雄さんが育てた選手です。1986年には47歳となっていた小出義雄さんは、この時の全国高校駅伝で私立船橋高校を優勝に導き、当時の高校では最高記録をたたき出しています。そこから2年後に、教職を離れた小出義雄さんは、リクルート・ランニングクラブの監督となります。

リクルート時代には高橋尚子との出会いがありましたが、1997年には積水化学工業に移籍していますが、ここで高橋尚子さんがシドニーオリンピックで金メダルを獲得しています。2001年には佐倉アスリート倶楽部(SAC)を自ら設立し、多くの選手に指導していました。2019年3月31日付でユニバーサルエンターテインメントという実業団体との委託契約が切れ、監督を引退しました。

有森裕子さんや高橋尚子さんを輩出した監督小出義雄さん

小出義雄監督と言えば、今ではQちゃんこと高橋尚子選手がセットで語られることが多いですが、あの有森裕子選手も小出義雄監督の元にいて活躍した人物です。小出義雄さんの指導に置いては、その選手一人一人に合わせたものだったということは有名ですが、高橋尚子さんに至っては、怒ってしまうと気分が落ち込みすぎてしまう性質だったようで褒めて伸ばしたということは有名です。

高橋尚子さんのプロフィール

愛称:Qちゃん
本名:高橋尚子(たかはしなおこ)
生年月日:1972年5月6日
現在年齢:46歳
出身地:岐阜県岐阜市
血液型:O型
身長:163㎝
体重:46Kg
活動内容:元陸上競技選手(女子マラソン)、スポーツキャスター、マラソン解説者、中日新聞社客員、大阪学院大学特任教授、JICAオフィシャルサポーター、観光庁ランナーズインフォメーション研究所所長
所属グループ:スターツコーポレーション(スポンサー契約、陸上競技部アドバイザー)
事務所:???
家族構成:???

選手と監督という立場が無くなった後でも、小出義雄監督と高橋尚子さんは、日々電話などでやり取りをしていたようです。監督を引退すると公表した時に流れていた内容ですが、その後もに深い繋がりがあったということも分かり、なんだか微笑ましい関係にほっこりした後で、小出義雄監督の死去のニュースに、衝撃を受けた人は多かったようです。

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監督のイメージを変えた小出義雄さんの死因は病気?

死去した死因は病気だった小出義雄監督

3月下旬に監督引退を決め、すでに79歳という年齢だった小出義雄監督でしたが、それ以前には2~3年前から心臓に不調があり、ペースメーカを入れての監督業だったようです。そして高齢ということもあり、度々入退院を繰り返していたということも分かっています。病気の名前などは公表されていませんが、伝えられていないだけで病気を抱えていたことは想像がつくのではないでしょうか。

腎臓や肝臓もかなり弱っていたという小出義雄監督ですが、亡くなられたのは4月24日の午前8時5分だったといいます。3月下旬から入院していたという小出義雄さんですが、3月26日に千葉県佐倉市の自宅で倒れ浦安市の病院に救急搬送されました。そこから入院したままだった小出義雄監督は、一時は危篤状態にも陥ったようですが、そこから回復の兆しも見せていたといいます。

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集中治療室で処置を受けていたという小出義雄監督でしたが、その時点で教え子たちには入院していることなどを電話で連絡していたようです。そして、後2,3日だな、とも口にしていたということです。24日に死去した死因はこれといった病気ではなく肺炎ということでしたが、23日の夜から容体が急変し小出義雄監督は帰らぬ人となりました。死因は肺炎だったということでした。

高橋尚子や有森裕子など著名人からのお悔やみの声

病名は明かされていないが病気を併発していた小出監督

小出義雄監督の死去には、有森裕子さんや高橋尚子さんも、報道陣からの取材にコメントをしています。現在は選手としての活動はしていないとはいえ、青春時代を共にしたとも言える2人は、その死にかなり憔悴しきっているようでした。まさかの小出義雄監督の死に、様々な業界から悲しみの声が届いています。

小出義雄監督と言えば、高橋尚子をオリンピックに導いた監督ということもあり、様々な書籍も出していました。その監督の言葉は、マラソンや走ることをしない人に対しても人生の教訓として多く読まれていましたが、やはり長距離を走る人には、ノウハウ本として愛されていました。走ることと生きることは似ているからこそ、その言葉が響いたのでしょう。

小出義雄さんの死去に世間の声は?

小出義雄監督の死去に、世間の声も少しですがまとめていきます。それまで監督というと「鬼」と表現されるほど怖いイメージだった世の中に、小出義雄監督の存在の出現は、かなりイメージを変えることともなりました。お酒が好きで笑顔に愛嬌のある監督に、癒されていたという人も多かったようです。また、小出義雄監督の人間味のある部分も好感が高かったようです。

そのキャラクターも愛されていた小出義雄監督ですが、沢山の名言を残しているので、その言葉が世間の人の子心の糧になっているというようなコメントも多く見られました。亡くなった今だからこそ、そのありがたみが分かるという人もいました。今までの小出義雄監督の教えも、残された若手が繋いで行ってくれることでしょう。

小出義雄監督の冥福を祈ろう

日本のマラソン界に大きな功績を残し、貢献してきた小出義雄監督の死去についてまとめてきました。またその死因が何だったのかについてもまとめてきました。2019年3月31日付で監督業からは引退をすると発表して、そこから数週間後の死去に、日本各地だけならず世界から悲しみの声が届いています。高橋尚子とのやり取りもまだまだ見られると思っていた矢先の死去でした。

小出義雄監督の死因は肺炎ということでしたが、それまでも80歳という年齢だったこともあり、幾度も入退院を繰り返していたということも明らかになっています。今後の日本の陸上やマラソン競技なども、小出義雄さんの遺志を受け継いだ人たちが、語り継ぎ、守って行ってくれることでしょう。その冥福を祈りましょう。

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2019-07-23 時点

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