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女優の今村文美が61歳の若さで死去!1週間前まで舞台に立っていた!
劇団前進座の看板女優だった今村文美が死去したというニュースが飛び込んできました。まだ61歳という若さだったという今村文美ですが、突然死といわれているその死去の死因は一体何だったのか、死去関わる病気を抱えていたのかなども含めてまとめていきます。

目次
今村文美は病気を抱えての死去だったのか調査

2019年12月23日に、急逝したというニュースが飛び込んできたのは劇団前進座の看板女優だった今村文美の死去でした。この死去のニュースの6日前には、盛岡で行われていた『柳橋物語』という舞台の千穐楽にも立っていたということも分かっており、今村文美の死は突然死であったことも報道されました。今村文美は病気を抱えていたのかどうかについても調査しまとめていきます。
また、61歳という若さで突然死去した今村文美の今までの経歴やその人物像についてもまとめていきます。そして、今村文美と言えば前進座という劇団名がついて回ります。死去するまで活動していた前進座とは一体どんな劇団なのかについても知っていきましょう。そして、今村文美が無くなった死因についても後半でまとめていきます。
今村文美のプロフィール

愛称:???
本名:宮城文美(みやぎあやみ)
生年月日:1958年12月3日-2019年12月20日(死去)
現在年齢:61歳(没)
出身地:東京都武蔵野市
血液型:???
身長:155㎝
体重:???
活動内容:女優
所属グループ:前進座
事務所:???
家族構成:山崎辰三郎(夫・前進座)、藤川八蔵(祖父・歌舞伎俳優)、藤川矢之輔(兄・俳優)、いまむらいづみ(叔母・女優)
前進座の看板女優!今村文美の経歴

簡単なプロフィールの後は、今村文美(いまむらあやみ)の経歴についてまとめていきます。今村文美の本名は宮城文美(みやぎあやみ)といい、1958年12月3日に東京都武蔵野市で生まれ育ちました。2019年12月20日に亡くなったということですので、その年齢は61歳になったばかりだったこともわかります。亡くなるまで前進座の看板女優として数々の作品に出演してきました。
舞台女優という職業柄、今村文美に関してはあまり多くの情報がない人物なのですが、その初舞台は1965年の12月、7歳の時に『五重塔』という新橋演舞場での舞台で猪之松役を演じたことでした。その後、今でも存在する前進座の養成所に入所し、8期生として学んだ後1979年の21歳の時に前進座の役者として入座しています。
祖父は歌舞伎役者・藤川八蔵で兄は俳優の藤川矢之輔
今村文美の家族は、芸能一家と言えるもので、その祖父は歌舞伎役者の藤川八蔵であり、前進座の創立にかかわった人物でもあります。そして母は舞踏家の藤間多寿氏であり、今村文美自身も師として仰ぎ、藤間多寿紫としても活躍していたようです。さらに兄は、俳優の藤川矢之輔で、同じ前進座でも共に俳優として演技に磨きをかけていました。
兄の藤川矢之輔とは『伝七捕物帳』でも共演しており、それを知る人はこの今村文美の死去に、当時の懐かしさや若しき頃の姿を重ねながらツイートしていました。前進座については後ほどまとめていきますが、今村文美は、時代劇から歌舞伎作品、そして現代劇など幅広い作品でヒロインを演じてきており、その美しさと色気を兼ね備えた演技は特に人気の女優でした。
今村文美の夫は前進座の俳優・山崎辰三郎
そして、今村文美の夫は、同じ劇団前進座の俳優である山崎辰三郎です。2人が結婚した時期などは分かっていませんが、この山崎辰三郎の本名である「宮城進」の姓が、今村文美の本名である宮城と同じです。そして、今村文美の葬儀の喪主が夫である宮城進(山崎辰三郎)と記されていることから分かります。
最後の舞台は『柳橋物語』のおせん役
「柳橋物語」千穐楽を神戸で終えました。おせんの今村文美さんと、源六の津田恵一さんとのスリーショット!僕の役幸太は、このお二人とのシーンがいちばん多かったです。お世話になりました。 pic.twitter.com/JGdiAEQ2e4
— 嵐芳三郎 (@7teshimaya) February 28, 2018
今村文美が今まで演じてきた舞台は沢山ありますが、『夢千代日記』の主役の夢千代や『如月の華』の九條武子役、そして『出雲の阿国』お菊に『法然と親鸞』の恵信尼、と挙げきれないほどです。死去する6日前に舞台に立って演じていたのは『柳橋物語』のおせん役で、12月14日の千秋楽が最後の舞台となってしまいました。
今村文美が所属していた前進座とは?

今村文美とセットで書かれると事が多いのが「劇団前進座」ですが、それほどまでに今村文美がこの場所で命を燃やしてきたからとも言えます。ここでは少しその劇団についても知っていきましょう。劇団前進座は、1931年5月22日に創立された歌舞伎の劇団です。東京都武蔵野市を本拠地としており、前進座劇場も存在していました。
先ほど今村文美の経歴の所で少し触れましたが、この創立には祖父の歌舞伎役者・藤川八蔵が関わっていました。歌舞伎劇団ではありながらも、そのレパートリーは幅広く、現代劇や時代劇、そして歌舞伎と児童劇と多彩なため、「演劇のデパート」とも呼ばれていました。歌舞伎は男性が演じるものという認識ですが、前進座に至っては女優が多いため、女性も演じることで有名です。
前進座劇場での公演だけでなく、全国を訪ねる巡回公演も行う劇団で、演劇鑑賞会などの小さなものでも声がかかれば看板俳優が出向いてきちんと芝居をする、どんな場所でも手を抜くことは無いポリシーを持っているようです。さらには、劇団員の生活を保障することが創立時からの理念のようで、興行収入を歩合制ではなく給与制で支払っています。
法人としても株式会社の形を取っている劇団で、自社ビルには事務所と前進座付属の養成所もあります。前進座劇場は、2013年1月に閉館となってしまったのですが、これは、隣接していた吉祥寺南病院の施設を拡張することに協力したためだったようです。この劇場の閉館には多くのファンが集まり惜しんだとニュースでも報じられたほどでした。
急逝!61歳で死去した今村文美の死因は?

今村文美の人生の基盤とも言える前進座について知ったところで、ここからは本題のその死因についてまとめていきます。まだまだ若い61歳という年齢で死去したこともあり、何か病気を抱えていたのではないか問う声もあります。さらには、突然死であることから病気だったのではないかという報道もありました。がたしてその死因は何だったのでしょうか。
前進座のサイトでも死因については公表していない
【訃 報】女優・今村文美(本名:宮城文美)が、12月20日急逝いたしました。盛岡での『柳橋物語』千穐楽よりわずか六日後のことでした。生前の皆様のご厚誼に、劇団員一同深謝申し上げます。
今村文美の死去に関しては、所属劇団の前進座のサイトで上の引用の様な投稿がされていました。12月20日に急逝したということと本名が書かれ、さらには最後の盛岡公演の『柳橋物語』が最後の舞台だったことが記されています。「急逝」と書かれていることから、突然死であったことが想像できたため、ネットニュースでは「突然死」を強調する報道になっていました。
劇団のサイトを見てみても、今村文美の死因については特に明記されていないことが分かります。そして、死去した場所は自宅で午前1時頃のことだったとも書かれていました葬儀については12月27日に杉並区の光明院の観音ホールで執り行われることと、通夜は前日の26日になること、そして喪主は夫の山崎辰三郎(本名:宮城進)と記載されていました。後日お別れ会も行われることでしょう。
突然死といわれている今村文美に兆候はあったのか?

今村文美だけでなく、ここ数年で突然死という無くなり方をしている芸能人については、直接の死因である病気の病名も報道されるています。突然死と言われている今村文美に関しても、死因となった病気は何だったのか、気になる人も多いでしょう。この死因についてや病気については、現時点では明かされておらず、ただ死去したという報道のみになっています。

今後お別れ会などが行われたり、葬儀や通夜が終わり状況が落ち着いた先に、気になる死因や病気の名前なども明かされることはあるかもしれません。ですが、舞台女優をメインとしていた今村文美であり、死因についてはプライベートなことに含まれる可能性があるので、このまま分からないままかもしれません。気になる方は、今後出てくる情報をチェックしてみてください。
劇団前進座の看板女優・今村文美の死去に世間の声

最後にまとめていくのは、今村文美の死去について世間の声やファンの声についてです。時代劇などのテレビドラマに出演していたのは1980年代だったようなので、舞台を観劇していない人にとっては、今村文美はあまり馴染みのない女優かもしれません。ですが、その存在感は多くの人を魅了していたようで、数々のコメントが見られました。
前進座の俳優「今村文美さん死去」
— Hitomi (@Dollyukinomati) December 23, 2019
驚きました。良い素敵な役者さんでした。
「夢千代日記」「柳橋物語」を地方公演で観劇して熱演されてたのを今でも思い出されます。
謹んでお悔み申し上げます。
#前進座 今村文美さんの訃報。早すぎる...。美しい舞台、ありがとうございました。
— kouki (@KoukiUji) December 24, 2019
この2つのTwitterを見ても分かる通り、舞台での熱演を見た人からすると、目が離せない演技をする女優だったようです。そして、その美しさもさることながら、ここまで挙げてきた画像で分かるかもしれませんが、とても印象深い人だったようです。舞踏家としての身のこなしもあり、舞台では相当に美しかったという人もいました。

こんな急に… 凄いショックだわ 「柳橋物語」とても良いお芝居だったし劇団の看板女優さんで こんな急な事ある? あー残念過ぎる信じられないのだが ご冥福をお祈り申し上げます。
そして、最後の舞台となった『柳橋物語』を観劇した人のコメントもありました。長く続く劇団であり、昔ながらの演目も多い前進座は、今もファンが多いのも特徴です。そして今村文美の演技が好きだったという人も多いです。その急逝に驚くだけでなくショックを受けている人も沢山いるようです。
61歳という若さで死去した今村文美の冥福を祈ろう

劇団前進座の看板女優・今村文美の死去と死因についてまとめてきました。突然死とも言われているその死因ですが、病気の真相についてはまだ明かされていませんでしたが、今後、何か詳細な情報が出てくるかもしれません。昔から続く劇団の活躍を応援しながら、今村文美の冥福を祈りましょう。
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