「エースのジョー」宍戸錠が86歳で死去!日活の黄金期を支えたアクションスター!

昭和のアクションスター「エースのジョー」こと宍戸錠が86歳で死去したという訃報が入ってきました。日活で大活躍した宍戸錠でしたが、強面なキャラクターは昭和のスターとも呼ばれ大きな影響を残した人物でした。宍戸錠の死去した死因から今までの出演作まで振り返ります。

「エースのジョー」宍戸錠が86歳で死去!日活の黄金期を支えたアクションスター!

目次

  1. 86歳で宍戸錠さんが死去!その今までの活動を振り返る!
  2. 日活のアクションスターとして活躍した宍戸錠の経歴
  3. エースのジョーとして親しまれたその理由は?
  4. 今までの宍戸錠さんの出演作まとめ
  5. 宍戸錠さんの死去の気になる死因は?
  6. 日活で活躍したアクションスター宍戸錠さんの冥福を祈ろう!

86歳で宍戸錠さんが死去!その今までの活動を振り返る!

過去には東宝、東映、松竹と並んでいたほどの映画会社だった「日活」のアクションスターとして名を馳せた宍戸錠(ししどじょう)さんが死去していたことがわかりました。亡くなる前の数年はそこまでメディアなどにも露出はなく、人々の記憶の中の宍戸錠さんはハードボイルドで強面な俳優という印象が強いかもしれません。そんな宍戸錠さんの死去についてまとめていきます。

そして、今までの宍戸錠さんの出演作や宍戸錠さんの愛称「エースのジョー」というその由来について、また、息子である宍戸開さんとの関係についてもまとめていきます。さらにはその死去の状況はどうだったのか、亡くなる間際はどうだったのかについても詳細を調べてみました。それではまずは宍戸錠さんのプロフィールと、その活動について見ていきましょう。

エースのジョーこと宍戸錠のプロフィール

愛称:エースのジョー
本名:宍戸錠(ししどじょう)
生年月日:1933年12月6日-2020年1月21日(死去判明日)
現在年齢:86歳(没)
出身地:大阪府大阪市北区
血液型:B型
身長:174㎝
体重:???
活動内容:俳優・タレント・司会者
所属グループ:???
事務所:宍戸錠事務所
家族構成:宍戸游子(妻・2010年死別)、郷鍈治(実弟)、宍戸開(長男)、次男、宍戸史絵(現・紫しえ、長女)

日活のアクションスターとして活躍した宍戸錠の経歴

まず、宍戸錠さんの死去の理由の前に、その経歴を少し振り返ってみましょう。宍戸錠さんは大阪で生まれ育っていますが、その名前の「錠(じょう)」という理由は、子沢山の家だったこともあり、これ以上子供が増えないようにという思いをこめて、鍵をかけるという意味もあったようです。実際は宍戸錠さんの下には弟が生まれています。

大阪から東京へと住居を移した宍戸家は、宍戸錠さんが小学校6年生の時に東京大空襲があり、自宅が全焼してしまいます。そして、その住居のあった場所は知らない人間に奪われてしまったため、遠い親戚のいる現在の宮城県白石市に疎開し、そこに父親が家を建てました。高校時代までは宮城で過ごした宍戸錠さんでしたが、高校卒業後は映画が好きだったことから早稲田大学を受けます。

高校時代はバスケに専念していた宍戸錠さんでしたが、プロ野球選手への夢か、実業団で野球をしていくか、または俳優を目指すか迷っていたのですが、結局早稲田大学は落ちてしまいます。そのため日本大学の藝術学部に入学します。そして、大学2年生の時に、宍戸錠さんの名前を有名にして行った日活に合格したため中退し、日活ニューフェイスの1期生として入所していきます。

出演作多数!アクションスターの後はテレビ出演も多かった

日活時代の宍戸錠さんについては出演作の所で詳しくご紹介していきますが、ちょうどテレビの創生記に俳優として活躍していたこともあって、その活躍は多岐に渡っていました。晩年は芸能界の大御所でもあるのでテレビなどの出演作はありませんでしたが、「お昼のゴールデンショー」や「巨泉・前武ゲバゲバ90分!」など、バラエティー番組でコメディアンの顔も見せていました。

息子・宍戸開とは疎遠だったと言われている宍戸錠

宍戸錠さんは、1962年に自身と同じ日活で女優をしていた宍戸游子さんと結婚しています。そして宍戸錠さんと言えば息子の宍戸開(かい)さんの存在です。最近では俳優としての活動もそこまで見られないようですが、宍戸錠さんもかなりモテていた事もあり、昔ながらの父親像なども影響していたようで、ここ10年ほどは親子関係は疎遠だったということも明かされています。

この度は突然の事で大変驚いています。俳優として、父親として、厳しい顔、優しい顔を持った父でした。本当に多くの事を学びました。昭和の銀幕のスター「エースのジョー」を応援してくださった皆様には、心より感謝申し上げます。宍戸開

2010年には妻の游子さんが77歳で死去し、そこから宍戸錠さんは86歳まで過ごしてきた様です。宍戸錠さんの死去に関しては、息子の宍戸開さんも所属事務所を通して、コメントを発表しています。親子だからこそ抱えてきた関係が見え隠れするような、そんなコメントになっています。昭和の名俳優として活躍した宍戸錠さんだったからこその家庭の在り方だったのかもしれません。

エースのジョーとして親しまれたその理由は?

宍戸錠さんと言えば、愛称でもある「エースのジョー」という呼び名ですが、その由来についても少し知っていきましょう。エースのジョーというのは、日活時代に付けられたものですが、その当時は売り出したい俳優がいる場合は、ニックネームと称してその人物を表すような名前をつけることが普通でした。特に日活映画時代には愛称がつけられるのが当たり前だったのです。

日活の主演俳優として路線変更のために付けられたニックネーム

エースのジョーの由来は、宍戸錠さんが初主演となった映画の「ろくでなし稼業」の公開に合わせて名付けられたようです。それまでの宍戸錠さんの立ち位置は、共演していた小林旭さんの敵役が多かったのですが、長くそのまま続けて行くとファンからも飽きられてしまうため、路線変更をするタイミングでもあったようです。主演役者となるタイミングで、イメージ変更の意味もありました。

この主演映画「ろくでなし稼業」では、宍戸錠さんが路線変更に関してハリウッド映画にあるような三流ギャングに出てくる“殺し屋ジョー”というコンセプトでやりたい、とリクエストがあったようです。そこから「ジョー」という愛称は宍戸錠さんの「錠」に通じたことから、決定していったと言われています。そして、ハードボイルドな役柄もあったことから周知していきました。

そして、宍戸錠さんのタフでハードボイルドというイメージは、本人が海外ミステリーを読むことが大好きだったことも影響していたようです。今でこそ、俳優はイメージがとても大事な要素とも言えるため、綿密なブランディングが大事ですが、日活全盛期は俳優自身の趣味や好みで役柄を決めたりイメージを作り上げていたというやり方があったのもその時代特有かもしれません。

今までの宍戸錠さんの出演作まとめ

ここでは宍戸錠さんの出演作について少しまとめていきます。日活時代の映画やテレビドラマはハードボイルド系な役やアクションスターとしての活躍が多かったのですが、「渡り鳥」シリーズなどからは悪役がはまっていました。そして、その悪役に扮するために元々二枚目な顔立ちだった所を、美容整形手術で頬を膨らませる工夫をし、口髭もトレードマークとなっていました。

NHKの大河ドラマへの出演も多かった宍戸錠さん

宍戸錠さんは、バラエティ番組などではハードボイルドな容姿や言動を生かして、近年では真似しても真似できないような風格を醸し出していました。ですが、俳優としての顔ももちろん持っており、本当に多くの出演作が存在しています。1970年代からはNHKの大河ドラマにも出演しており、始まりは『国盗り物語』の柴田勝家役でした。

そして、1974年には『勝海舟』で山岡鉄太郎役、1976年の『風と雲と虹と』は、平安時代中期に存在した平将門と藤原純友の生涯を描いた作品で、宍戸錠さんは鹿島玄道役として主演の平将門と関わっていく人物を好演していました。また、1988年放送の『武田信玄』では原虎胤という役、90年代にには『秀吉』で本多正信役と、歴史上の名のある武将を演じることが多かったようです。

2000年には『葵 徳川三代』で本多忠勝役として出演し、作品を盛り上げていたのですが、そんな宍戸錠さんの最後のテレビドラマへの出演は、同じく2009年の大河ドラマ『天地人』で演じた直江景綱で、これが遺作となりました。映画での遺作は2005年の『誇り高き野望』という作品の5と言えそうです。すでに86歳という年齢だったこともあり、俳優業はなかったのかもしれません。

宍戸錠さんの死去の気になる死因は?

さて、宍戸錠さんの死去について最後にまとめていきますが、実はすでに亡くなられていたところを発見されたという事実が明かされています。死去という訃報は、2020年1月22日に入ってきたものでしたが、どうやら1月21日の未明に、東京都世田谷区にある自宅で倒れていたところを発見されたというのがその詳細の様です。宍戸錠さんの年齢は86歳となっていました。

晩年の宍戸錠さんが1人で暮らしていたのか、妻と死別した後に一緒に住んでいた人物がいたのかどうか、などの詳細は分かっていません。そして、発見された時には既に死亡していたということのようで、この場合警察や救急隊を読んで死亡確認がなされます。事件性が無いのか外傷などが無いのかなど調査が入ります。宍戸錠さんの死亡日は不明瞭で「死去判明日」が1月21日です。

20日の深夜に、自宅で倒れてて、119番通報があったのが21日午前1時24分で救急隊が呼ばれたようです。そして、宍戸錠さんは2006年に虚血性心不全と診断されており、入院していたとお言う情報もあるので、死因は明らかになっていませんが心臓が原因の可能性もありそうです。

日活で活躍したアクションスター宍戸錠さんの冥福を祈ろう!

昭和の名俳優で日活のアクションスターとして活躍した宍戸錠の死去についてまとめてきました。沢山の出演作でファンや視聴者を映像の世界に引き込んできたハードボイルド俳優は、86歳で自宅での死去を迎えていました。今までの活躍とともに昭和を支えた名俳優の冥福を祈りましょう。

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