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G大坂が昌子源を獲得へ!海外挑戦にひと区切りつけJリーグで再起検討!
海外挑戦していたサッカーの昌子源ですが、G大阪に逆オファーをしてJリーグ再起活躍を視野に入れているようです。昌子源が何故鹿島アントラーズではなくG大坂へ移籍することを決めたのか、そしてG大阪への逆オファーの理由と昌子源の今までの活躍についてまとめていきます。

目次
G大阪へ移籍の昌子源!サッカーJリーグでその姿再び!
現在、鹿島アントラーズから海外挑戦をしフランスのリーグ・アン・トゥールーズFCに移籍している昌子源(しょうじげん)ですが、どうやらJ1のG大阪(ガンバおおさか)へ移籍する、というニュースが入ってきました。関係者からの情報で、G大阪が昌子源へオファーしているということが分かりましたが、その後さらに昌子源唐逆オファーがあったという話も出ています。
2019年1月から海外挑戦している昌子源は、トゥールーズFCとの契約がまだ2年半残っているといます。今季は故障により、試合への出場も激減していただけあって、Jリーグへ戻り再起することや日本の高度な医療も視野に入れての移籍とも言われています。G大阪とのオファーのやり取りには一体どんな背景があったのか、その詳細についてみていきましょう。
昌子源のプロフィール
愛称:???
本名:昌子源(しょうじげん)
生年月日:1992年12月11日
現在年齢:27歳
出身地:兵庫県神戸市北区
血液型:AB型
身長:182㎝
体重:76Kg
活動内容:プロサッカー選手
所属グループ:元鹿島アントラーズ、リーグ・アン・トゥールーズFC
事務所:???
家族構成:妻、父(昌子力)、姉(昌子楓)
フランスに移籍中の昌子源がG大阪へ移籍決定!?
1月31日に飛び込んできた情報によると、ワールドカップ・ロシア大会の日本代表でもあった昌子源が、現在所属しているフランスのリーグ・アン・トゥールーズFCからJリーグのG大阪に完全移籍をするということが明らかになりました。まだ交渉中のようですが、それでもこの移籍は交渉が進行中ということで、3月下旬までのJリーグ1次締めきりに間に合うようです。
日本のセンターバックとしてその名を知らしめてきた昌子源ですが、2019年1月からは海外挑戦の夢を果たしており、ここから世界で活躍して行くというところでした。膝と太ももの故障に悩まされ、試合に出場したのも1試合のみとなっていました。日本の医療はかなり高度だと言われていますが、昌子源自身も、フランスよりも環境の整ったリハビリ環境を考慮していたようです。
そして、本来ならばJリーグで活躍してきた鹿島アントラーズでの復帰を希望していたようですが、トゥールーズFCから完全移籍するには、違約金が推定2億円程あるという話もあり、その交渉の影響もあるようです。どうして鹿島アントラーズではなくG大阪からのオファー受けることとなったのかは、昌子源のジュニアユース時代にさかのぼります。
それでは、G大阪からのオファーから逆オファーをしたという内容も気になるところですが、まずは昌子源とG大阪との関係はどんなものがあるのか、昌子源のサッカーへの出会いやジュニアユース時代、そして鹿島アントラーズ時代から海外挑戦までの経歴を少し振り返っていきましょう。日本を代表するセンターバックの今まではどんなものだったのでしょうか。
昌子源のサッカーと海外挑戦の経歴
昌子源は、小学生の時に地元のフレスカ神戸でサッカーを始めていきます。入った当初は、今現在得意とするセンターバックではなくフォワードだったようです。そして中学の時にはG大阪のジュニアユースに入団していきます。昌子源の過去を知らない人は、G大阪との繋がりはないと思ってしまいますが、実はこのジュニアユース時代に関係があった過去があります。
フランスでも膝を故障していた昌子源ですが、中学2年の時にもひざを故障し、思うようにサッカーができない時がありました。その反動か、中学3年の時にはG大阪のジュニアユースを退団し、しばらくはサッカーから離れた生活をしていたようです。そして、その時にサッカーJFAのB級ライセンス向けにインストラクターをしていた昌子源の父に米子北高校の顧問から提案がされます。
高校時代にフォワードからセンターバックへの転機が
たまたま同じくインストラクターのアシスタントをしていた米子北高校のコーチ中村真吾は、進路に迷っていた昌子源に練習への参加を促します。すでに高校サッカーへの意思は無かったという昌子源ですが、この縁がきっかけで米子来た高校へと進学していきます。思うように試合に出られない中、たまたま声をかけられガイナーレ鳥取との練習試合中に良い動きをし岐路に立ちます。
この時フォワードではないことが嫌だったという昌子源ですが、センターバックをやらないと試合に出られないと察知し、なんとか取り組んで行ったと言います。そして本気で取り組む中でその才能を発揮し、高校3年時にはU-19日本代表候補にも呼ばれることとなりました。結果、目立った動きが無く代表候補からは落ちてしまいますが、この挫折から練習に没頭して行きました。
海外挑戦していた昌子源は逆オファーでG大阪へ!
U-19日本代表への挫折で、昌子源はキックとフィジカルを生かす練習をこなしていき、2011年に鹿島アントラーズへと入団を決めます。2014年には全試合へ出場するなど自身初となる快挙を成し遂げ、Jリーグ優秀選手賞も授与されています。そして、2016年には浦和レッズ戦で優勝にも導いています。また、世界2位となる守備力をFIFAクラブワールドカップで評価されました。
2014年の22歳の時には日本代表に選出されるも、その直後に行われたG大阪との戦いで負傷し、辞退となります。結局代表復帰を果たし、翌年2015年のJALチャレンジカップのウズベキスタン戦で代表としてデビューを飾っています。
2018年にはロシアワールドカップで活躍し、その後巨額となるオファーを受けますが、鹿島アントラーズに残留し優勝を目指していました。ですが、左足首の負傷から離脱となります。復帰後はキャプテンとして試合に出場し、またも優勝へと導いています。そして2018年の12月にリーグ・アン所属のトゥールーズFCへ観世に関すると発表され海外挑戦への夢を手に入れていました。
一区切りつけたサッカーでの海外挑戦

2019年1月からニーム・オリンピック戦の試合に出場し、スタメンとして海外挑戦へのデビューを果たした昌子源ですが、その背景には横浜F・マリノスの元監督であるエリク・モンバエルツからの推薦により、この海外挑戦へとつながり、トゥールーズFCへの移籍となったようです。残念ながら負傷により、今季は1試合のみの出場となっており、リハビリに専念しているところでした。
怪我からの復帰も視野に入れていた昌子源ですが、海外と日本の医療の差やリハビリに関するより高度な対処などに試行錯誤していたようです。せっかくの海外挑戦の夢がかなった状況で、試合に1回しか出場できないとなれば、その悔しさも量り知れません。そんな矢先、G大阪から昌子源にオファーがあったというのが流れのようです。
G大阪に逆オファーをしたというその理由は

いまだ昌子源からのコメントは発表されておらず、サッカー関係者からのコメントやネットニュースの情報になりますが、最初は昌子源の方から鹿島アントラーズにオファーの打診があり、Jリーグへの復帰を希望していたようです。ですが、時期的にもお互いの条件の折り合いがつかなかったようです。そして、タイトル取得を目指際ているG大阪からのオファーがあったようです。
G大阪の他にもJ1の神戸も昌子源の獲得に興味を示しているようですが、ジュニアユース時代に在籍していたというG大阪のオファーを受ける確率が高そうだということです。それは、今いるメンバーと合わせ、昌子源を守備の要として獲得したいという熱い希望があったからという話です。あとは5年ぶりにタイトル取得を目指すG大阪がトゥールーズとどう交渉していくかです。
完全移籍に関しては、トゥールーズへの違約金問題もあり、推定では2億円はあるとされていますが、怪我で負傷している昌子源でもあるので、トゥールーズ側も多少の軟化を示しているという状況だと言います。最近になって真麻子源の方から逆オファーがあったという話もあり、怪我のコンディション面を解決するためには日本の医療が必要で、Jリーグでの再起を希望しているようです。
海外挑戦への夢は叶ったものの、怪我や負傷でなかなか思うようにはいかなかった昌子源でしたが、1年という期間をもって、海外挑戦にひと区切りをつけ、G大阪でJリーグ再起への希望が明確になってきています。今後の状況がどうなるのかもあわせて、昌子源に情報をチェックしてみてください。
昌子源のG大阪とJリーグでの活躍に期待しよう!
現在海外挑戦中でフランスのトゥールーズFCに在籍している昌子源のJリーグG大阪への移籍が確定しそうな詳細についてまとめてきました。今もなお移籍については違約金なども発生することから交渉が重ねられているということですが、G大阪への移籍は確定となって行きそうです。鹿島アントラーズへの移籍も希望があったようですが、主力メンバーの関係などで断念したようでした。
それでも、ジュニアユース時代に関係のあったG大阪への移籍となれば、また日本のJリーグで昌子源のセンターバックの活躍がみられることもあってファンからは喜びの声が上がっています。この移籍がどうなるのか数日中には結果も出るようなので、昌子源の今後に注目していきましょう。
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