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プロ野球・戦後初の3冠王の野村克也が死去!ヤクルト監督時代には日本一3回!
日本のプロ野球を支えてきた名監督・野村克也が死去しました。84歳という年齢で死去した野村克也ですが、戦後初の3冠王でもあり、ヤクルト監督時代はに日本一に3回も導くなどその功績は語り尽くせないものがあります。名解説とも言われた野村克也についてまとめていきます。

目次
84歳で亡くなった野村克也監督の死去について迫る!
数々のプロ野球チームで名監督として功績を治めてきた、元ヤクルト監督の野村克也が死去したという訃報が入ってきました。野村克也監督が死去したのは2020年2月11日のことでしたが、その死去には本当に多くの追悼コメントが届いています。それだけ野村克也の存在は、野球界だけでなくプロ野球を視聴している人やファンの心をつかみ、離さなかったことも分かります。
後半では、野村克也監督の死去に対して寄せられた関係者のコメントもご紹介していきますが、まずはっ戦後初と言われた3冠王達成の功績や、ヤクルト監督時代に築き上げた3回にも及ぶ日本一について、そして今までの野村克也のプロ野球の名解説についてもまとめていきます。さらには、愛妻サッチーこと野村沙知代やその息子についてなども知っていきましょう。

そして、84歳で死去という報道は多くあるのですが、亡くなられた死因は何だったのかについてもまとめていきます。偶然かも知れませんが、その死因にも愛妻サッチーとの縁を感じてしまうような内容でもあります。それでは、まずは名捕手・名監督・名解説と言われた野村克也監督の簡単なプロフィールを見ていきながら、今までのプロ野球選手としての活躍や監督時代をご紹介します。
野村克也監督のプロフィール
愛称:ノムさん、ムース
本名:野村克也(のむらかつや)
生年月日:1935年6月29日-2020年2月11日(死去)
現在年齢:84歳(没)
出身地:京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)
血液型:B型
身長:175㎝
体重:85Kg
活動内容:元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家、タレント
所属グループ:元東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督
事務所:エフエンタープライズ、KDNスポーツジャパン(マネジメント)
家族構成:野村沙知代(妻・2017年死別)、野村克則(息子)、野村忠克(孫)、前妻との間に子供1人、団野村(継子)、ケニー野村(継子)
プロ野球に人生をかけたその経歴!3冠王の野村克也

それではここからは野村克也の経歴を少しまとめていきます。野村克也(のむらかつや)は、1935年に京都府竹野郡という現在で言うところの京丹後市で生まれ育ちました。死去するまでは、プロ野球の捕手としてや、コーチや監督、そして野球の名解説としても活動していました。その他には野球の評論家としての顔や妻とともにタレントとしてもテレビに出演していたことがあります。
幼少期の野村克也はに、父親の戦死や母親の闘病などで苦しい生活をしていた小学生時代に、兄と力を合わせて新聞配達をしたりアイスキャンディー売ったりしていた過去もあるようです。その中で、歌手や俳優になろうと決めた先に、プロ野球選手の活躍を知り、次第に目指して行ったといわれています。そして、中学2年の時に野球部へと入り捕手となって行きました。
名捕手として3冠王に輝いた野村克也
野村克也がプロになったのは1954年のことで、南海ホークスに違約金0とうテスト生として入団しまし。この当時巨人ファンだったという野村克也でしたが、捕手層が手薄かったのが南海ホークスだったようです。そして、この辺りでファンから送られた『バッティングの科学』という著書から投手の癖などにも着目していくようになり「ID野球」の確率に繋がっていきます。
そして迎えた1957年には本塁打王のタイトルを獲得し、その翌年もタイトルを取得して行き、南海の黄金時代を作り上げていきました。野村克也といえば3冠王ですが、野球における3冠王とは、首位打者・最多本塁打・最多打点の3つのタイトルを1人の選手が取得することです。野村克也は8年連続の本塁打王と1965年に3冠王に輝いています。
この野村克也の3冠王は、戦後初となる功績で、今でも野村克也を語る時には欠かすことのできない伝説となっています。この3冠王の他にも、捕手として1959年、1961年、1964年、1965年、1966年にはリーグ優勝、そのうち1959年と1964年は日本一に南海ホークスを導く、チームの貢献者として称えられました。その後1968年からはコーチとしても兼任で在籍していました。
ヤクルト監督や阪神・楽天での監督としての活躍
野村克也がプロ野球の捕手を引退したのは1980年のことでした。その現役生活は1954年から数えて27年にもわたり、南海だけでなくロッテオリオンズ、西武ライオンズでもプレーしてきており、その時の年齢は45歳でした。その後、1990年からはヤクルト監督として、1999年から2001年までは阪神の監督として、途中社会人野球シダックスの監督も務めていました。
野村克也と言えばヤクルト監督のイメージが強いかもしれませんが、その後の2006年から2009年までは東北楽天ゴールデンイーグルスの監督をし、最後は2010年から2012年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉監督となっていました。その後は84歳で亡くなるまで野球解説者として名解説をしたり、サンケイスポーツの野球評論家としての活動が主となっていました。
野球選手として、史上2人目の3冠王達成をした人物でもあり、これは世界のプロ野球史上初の捕手による3冠王でもありました。また選手として出場した試合の数は歴代2位であり、監督として出場した試合の数は歴代3位と言われています。また、ヤクルト監督としての監督時代も含めて、平成という年号で1番の最多勝利を収めた監督で、1053勝の保持者です。
ボヤキとも言われた野村克也監督と名解説とは?

2020年2月11日に84歳で死去した野村克也監督ですが、その亡くなるまでの間は、野球評論家としての活動をしていました。そして、その野球人生の中でも名監督としてだけでなく、名解説者という呼び名もあります。評論家としての説明も名解説が多かったのですが、その内容は、野球をよく知らない人でも納得できるような表現で、分かりやすいと評判でした。
ラジオの名解説としても名を馳せた野村克也
ヤクルト監督時代だけでなく、楽天の監督として表に立っていた時代には、「ボヤキ」とも言われる独特な言い回しで名言を残していた野村克也ですが、1981年からはTBSテレビ同列のラジオで野球の解説者としてもその能力を発揮していました。プロ野球の中継などでは「ノムさんのクール解説」とも親しまれ、打者や投手の心理まで読むその内容に、名解説と言われていました。
テレビ朝日で解説者をしていた時代は、配球の読みなども予想的中で「ノムラスコープ」という名称も付いていたほどです。過去のプロ野球の解説者とは違った切り口で語るその予想や独特の視点は、視聴者からも球団ファンからも人気で今でも名解説者といわれているゆえんです。この野村克也の名解説ももう聞けなくなる、という悲しみの声も多く、野球ファンが嘆いています。
恐妻サッチー(野村沙知代)と歩んだ夫婦40年の道

さて、ここまで野村克也のヤクルト監督時代も含め捕手としての今までをまとめてきました。ここからは、野村克也を語る上では外せないであろう、家族のこともまとめていきましょう。野村克也監督と言えば、恐妻サッチーこと野村沙知代とのツーショットではないでしょうか。そんな夫婦コンビだった2人にも、お別れがあり2017年に妻・沙知代がこの世を去ってしまいました。
2人が結婚したのは1978年のことでした。それまでは野村克也にも本妻がおり、沙知代にも離婚していない夫がいたりして、愛人関係だったようです。そして、両方の離婚が成立する前の1973年には2人の実子である野村活克則が誕生するなど、波乱万丈な結婚生活までの道のりがありました。強いイメージの沙知代ですが、南海のやり方に口を出すなどもあり揉めていた時期もありました。
それでも、野村沙知代がテレビに出演するなどし、野村克也も一緒にタレント活動をする機会も増え、監督として活動する背景には、必ず妻の助言があったと言います。メディア的には「恐妻」というイメージが強いですが、それでも夫を立てる妻という役割も務めており、野村克也が上手く動けるようにしていた水面下での采配は妻のおかげだったとも明かしています。
そして、妻の沙知代が突然の死去となったのが2018年の12月8日のことでした。実は2011年頃から老化が進んでいたということも後から明かされており、すでにその年辺りからメディアには一切姿を現さない状態でした。この日の沙知代は朝食を一口しか食べなかったと言い、その後呼びかけに反応することが無くなり心肺停止の状態で病院に搬送され16時9分に虚血性心不全で死去しました。
野村克也監督の妻・野村沙知代のプロフィール
愛称:サッチー
本名:野村沙知代(のむらさちよ)、出生名は伊東芳枝(いとうよしえ)
生年月日:1932年3月26日-2017年12月8日(死去)
現在年齢:85歳(没)
出身地:福島県西白河郡西郷村
血液型:B型
身長:???
体重:???
活動内容:タレント
所属グループ:???
事務所:元・株式会社エフエンタープライズ
家族構成:野村克也(夫)、ダン野村(長男)、ケニー野村(次男)、野村克則(三男)
野村克也監督の息子もプロ野球の世界で活躍中
2人の実子である野村克則も父・野村克也の死去にコメントを寄せていますが、突然の死であったことで急逝と明かしています。そんな息子もプロ野球で活躍してきた人物で、2020年の今は東北楽天イーグルスで一軍の作戦コーチをしています。また、2019年から東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍バッテリーと守備作戦コーチを務めていました。
妻に先立たれ食事ものどを通らなくなっていたという野村克也
それでは、ここからは野村克也の死因についてまとめていきます。死去した当初は、メディアやネットニュースでは84歳で死去したという部分が強調されていて、あまり死因について書かれている内容がありませんでした。徐々に分かってきたその詳細によると、その死因は妻である沙知代と同じ虚血性心不全だったことが分かっています。
野村克也監督の気になる死因は?
野村克也の死去の詳細は、最後に監督として在籍していた東北楽天イーグルスからの公表となりましたが、2020年2月11日の未明に、東京都世田谷区の自宅の浴槽で家政婦によって発見されたようです。ぐったりとしていたようで、都内の病院に搬送されたのち、死亡が確認されたということです。死亡時刻は午前3時30分とされていて、84歳で死去しました。
晩年の野村克也は、2018年に妻を亡くした辺りからめっきり弱っていたという話も聞かれていました。家政婦はいたようでしたが、自宅に帰宅して妻がいない生活というのは張り合いが無く、食事もあまり喉を通らない状態もあったということです。長年連れ添った夫婦のうち、残された夫側がどんどん弱っていくという話はよく聞きますが、寂しさは計り知れないものがあったのでしょう。
妻が85歳で亡くなり先立たれてしまったのですが、野村克也は後を追うように84歳という年齢で死去となりました。数週間前には、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督とも会って話していたということも、後ほどご紹介しますが、大きな病気を抱えていた話もなく、こちらも突然の急逝だったことが分かります。まるで妻の後を追うように84歳で人生の幕を引きました。
プロ野球界から続々と届く野村克也監督への追悼コメント
突然の訃報に言葉が出ません。
— 田中将大/MASAHIRO TANAKA (@t_masahiro18) February 11, 2020
野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。
プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。
どんなに感謝してもしきれません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
最後にまとめていくのは、プロ野球界からの追悼コメントです。この上のTwitterコメントは楽天時代の愛弟子とも言われている田中将大からのものです。突然の訃報だったようで、感謝の言葉を綴っています。まだいつか会えると思っていたでしょうが、その年齢84歳ということを考えると、いつ亡くなってもおかしくは無かったのかもしれません。
長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(83=報知新聞社客員)が野村克也さん死去を受けて追悼コメント発表 pic.twitter.com/EQZM7qBgPx
— スポーツ報知 巨人取材班 (@hochi_giants) February 11, 2020
こちらは、先ほども少しふれた、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督からのコメントです。そして、野村克也が84歳で死去したということも、年齢に驚きましたが、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督も既に83歳です。まだまだ元気だった時の会話で、死去するとは思えないやり取りがみられます。
10分ほど話しました。
— ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) February 11, 2020
本当に感謝しています。
もちろん広告はつけていません。
野村克也監督の訃報について https://t.co/AzqMnaFt7h @YouTubeより
このTwitterはダルビッシュ有のものです。実際、野村克也と同じチームでプロ野球をしたことは無かったようですが、一緒にやってみたかったというコメントもありました。野村克也の「ボヤキ」や少し話したことがあった時の感謝を動画で話していました。
84歳で死去した野村克也監督の冥福を祈ろう
元ヤクルト監督の野村克也の死去についてまとめてきました。その今までの功績は語り尽くせないほど凄いものがありましたが、戦後初の3冠王という活躍や、ヤクルト監督として3回にも及ぶ日本一を導きだしたりと、監督業から離れた後も語り継がれるものでした。そして、その死因は2017年に亡くなった愛妻・沙知代と同じ虚血性心不全ということも分かりました。

妻が亡くなってからの2年弱は、寂しさもあったのか食事ものどを通らないこともあったという話もありました。それほどもまでに強い繋がりのあった2人は、今ようやく天国で一緒なのかもしれません。野村克也監督の今までの功績やはたらきは、今の野球界に浸透していっています。今後もその流れ月づいいていくこと、今までの功績をたたえながら野村監督の冥福を祈りましょう。
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