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桶田敬太郎が2019年11月に死去!「ボキャブラ天国」などで活躍!
ボキャブラ天国でも活躍していた元フォークダンスde成子坂の桶田敬太郎が、2019年11月に48歳という若さで死去していたことが分かりました。桶田敬太郎の死因とは何だったのでしょうか。今回は昨年11月に死去した桶田敬太郎について、詳しくリサーチしました。

目次
元フォークダンスde成子坂の桶田敬太郎が48歳で死去していた!
【訃報】お笑いコンビ「フォークダンスDE成子坂」桶田敬太郎さんが48歳で死去 https://t.co/iPuaH3AFU3 pic.twitter.com/164Z9MBHTY
— virtualkj (@virtualkj1) February 26, 2020
1990年代後半に「ボキャブラ天国」などのお笑い番組で活躍していた元フォークダンスde成子坂のメンバー桶田敬太郎が、2019年11月23日に48歳という若さで死去していたことが分かりました。フォークダンスde成子坂はボキャブラ天国世代の人にとって知らない人はいないと言われるほど人気のコンビでしたが、最近はテレビで見かけることもありませんでした。
そんな元フォークダンスde成子坂のボケ担当である桶田敬太郎とは、どのような人物で亡くなるまでどのような活動をしていたのでしょうか。また、桶田敬太郎の早すぎる死の死因とは何だったのでしょうか。今回は元フォークダンスde成子坂の桶田敬太郎死去について、詳しく調査しました。
フォークダンスde成子坂とは
ボキャブラ天国をリアルタイムで見ていた世代は懐かしいと感じるフォークダンスde成子坂ですが、最近の若い世代は彼らのことを良く知らないかもしれません。そこでここでは、フォークダンスde成子坂とはどんなお笑いコンビだったのかをご紹介します。フォークダンスde成子坂は、ホリプロ所属のボケ担当桶田敬太郎と突っ込み担当村田渚で構成されていたお笑いコンビです。
同級生だった桶田敬太郎と村田渚は高校生の頃にコンビを組み、ネタを作ってはオーディションを受ける生活を送っていました。その後ホリプロの研究生となり、高校卒業後に上京します。そして1991年に「フォークダンスde成子坂」としてデビューを果たします。
天才と呼ばれるほど芸人仲間からの評価も高いコンビで、1994年にボキャブラ天国がレギュラー放送開始すると、当時まだ若手であった爆笑問題やネプチューンとともに人気を博しました。しかし1999年、コンビは解散してしまいました。
元フォークダンスde成子坂・桶田敬太郎のプロフィール
1991年テレビ朝日系『GAHAHAキング』で第2代チャンピオンになった『フォークダンスDE成子坂』の桶田敬太郎さんが亡くなりました。
— 植竹公和 (@kimikazu5uetake) February 27, 2020
この番組の構成と僕がやっていたが、僕も主催している渋谷ラママ新人コント大会の常連でもありました。
・・・https://t.co/TVRkQux2DS pic.twitter.com/5zXYEhAdPj
・愛称:???
・本名:桶田敬太郎(おけだけいたろう)
・生年月日:1971年10月4日
・現在年齢:48歳
・出身地:三重県鈴鹿郡関町
・血液型:A型
・身長:177cm
・体重:???
・活動内容:構成作家、元お笑い芸人
・所属グループ:元フォークダンスde成子坂
・事務所:MR
・家族構成:???
桶田敬太郎の死因は?

フォークダンスde成子坂のメンバーとして人気を博し、まだ48歳という若さで死去したことが報じられた桶田敬太郎ですが、死因は何だったのでしょうか。48歳という若さからさまざまな憶測を呼んでいますが、ここでは桶田敬太郎の死因について調べてみました。
桶田敬太郎の死因は公開されていない

桶田敬太郎の所属事務所は、2020年2月26日元フォークダンスde成子坂の桶田敬太郎が2019年11月23日に死去していたことを発表しました。事務所は桶田敬太郎の詳細な死因などは公表していませんが、一部報道によると病気のために亡くなったと言われています。葬儀や告別式、七七日法要は桶田敬太郎の遺志により、近親者のみで済ませたようです。

お別れの会などの予定もありません。桶田敬太郎の死去は所属事務所のホームページにより発表されましたが、コメントの最後には故人が生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げますと感謝の言葉がありました。葬儀などを故人の遺志で近親者のみで行ったということですので、突然の事故死ではなくある程度予想されていた死だったのかもしれません。
元相方・村田渚も35歳で死去していた
48歳の若さで死去した桶田敬太郎ですが、実は元相方の村田渚も若くして死去しています。元相方の村田渚が亡くなったのは、2006年のことです。元相方の村田渚は、くも膜下出血のため35歳という若さでこの世を去りました。
桶田敬太郎は芸人を辞めていた!芸人引退後の活動は?
人気バラエティ番組ボキャブラ天国で活躍していたフォークダンスde成子坂でしたが、ボキャブラ天国が放送終了後はブレイクすることはありませんでした。そのままテレビで見ることはほとんどありませんでしたが、実は桶田敬太郎は芸人をやめており別の方面で活躍をしていました。桶田敬太郎は芸人引退後、どんな活動をしていたのでしょうか。
天才過ぎて売れなかった芸人時代
フォークダンスde成子坂の2人は、同じ芸人仲間から天才と称されたコンビで、元相方の村田渚とともにダウンタウンの2人もその実力を認めていたほどです。しかし残念ながら、同じ時期にボキャブラ天国で活躍していたネプチューンやくりーむしちゅーのようにブレイクを果たすことはできませんでした。爆笑問題の太田光はのちに、あの二人は天才過ぎて売れなかったと語っています。
1999年フォークダンスde成子坂は解散し音楽活動
人気番組ボキャブラ天国が放送終了した1999年、フォークダンスde成子坂は10年続いたコンビを解散します。そしてコンビ解散後桶田敬太郎は、音楽活動を開始して「The 3cm~」というバンドでボーカルを務めました。このバンドはロックバンドであり、インディーズからCDデビューも果たしています。
元相方はピン芸人として活動
桶田敬太郎の元相方である村田渚は、フォークダンスde成子坂の解散後は事務所を退所し、フリーのピン芸人として路上パフォーマンスなどで活動していたようです。2005年には元坂道コロンブスの松丘慎吾と新コンビ「鼻エンジン」を結成し、M-1グランプリ2005に出場し準決勝まで勝ち残りました。亡くなる2006年にも、M-1グランプリ出場を果たしています。
2004年構成作家としてデビュー
30年前から足しげくお笑いライブに通い数万に及ぶネタを見続けてきた筋金入りのお笑いファン浦口ナオキ氏。
— しもきたドーン (@shimokita_dawn) February 6, 2018
そんな浦口氏と人気絶頂で解散した伝説のお笑いコンビ・フォークダンスDE成子坂・桶田敬太郎が、理想のお笑いライブを目指し立ち上げたのがショーゲキしもきたドォ~ン!
次は今月17日… pic.twitter.com/v02h2270Ap
コンビ解散後はインディーズ歌手として活動していた桶田敬太郎ですが、2004年頃からかつての同僚からの後押しがあったことで、放送作家や構成作家として活躍するようになります。バラエティ番組のほか、イベント、舞台、CMなどの企画や構成を手がけるようになり、2005年12月には、ますだおかだのイベントに裏方として参加していました。
2007年4月には三原じゅん子の歌手活動再開ライブのプロデューサーを担当し、さらに構成作家としてだけでなく新規ビジネスモデルやコンテンツアイデアの企画や考案にも参加するなど、マルチな活動を行っていました。
2014年Youtubeで動画配信開始
2014年頃からは構成作家や放送作家としてだけでなく、Youtubeに自ら新ネタをアップするなどお笑い芸人としての仕事も少しづつ始めていたようです。ピン芸人として活動する傍ら、若手の育成にも力を入れておりネタ提供やプロデュースなどを行っていました。
桶田敬太郎の死去に対する世間の反応
桶田敬太郎が残した功績は大きいでしょ
— 名前を追化 (@kaikaiwands) February 27, 2020
笑いの天才
死について正直かなり驚いてる
元フォークダンスde成子坂の桶田敬太郎が48歳で死去していたとのニュースを受け、インターネット上では桶田敬太郎をしのぶ声が多数聞かれています。桶田敬太郎の早すぎる死に、世間はどのように反応しているのでしょうか。ここでは、桶田敬太郎の死去に対する世間の反応をご紹介します。
ボキャブラ天国世代からは早すぎる死を惜しむ声多数
フォークダンスDE成子坂はボキャ天で一番好きだった pic.twitter.com/nC36R4NVGu
— クリスチーネ剛田 (@fujikoism) February 27, 2020
かつてボキャブラ天国でフォークダンスde成子坂を見ていた世代からは、その早すぎる死を惜しむ声が多数聞かれました。フォークダンスde成子坂はボキャブラ天国に出てくる芸人の中で一番好きだったという声も多く、ファンが多かったことがうかがえます。
え?えぇ?!ビックリだし、ショック…。
— 彩月-satsuki- (@xxxromietxxx) February 27, 2020
相方の村田さんも亡くなってるのに…
二人とも、コンビ揃って若すぎるでしょ…(´;ω;`)
ご冥福をお祈り致します。
フォークダンスDE成子坂・桶田敬太郎さん、昨年11月に死去 48歳 『ボキャブラ』で活躍 (ORICON NEWS) https://t.co/CX4porGXXG #linenews
元相方の村田渚も35歳という若さで亡くなったことから、2人の死を早すぎるという声が多数聞かれています。天国で再開してまた2人でコンビ組んで仲良くしてね、という追悼の声もありました。
1月末には有吉がラジオで桶田敬太郎の死去に触れていた
桶田敬太郎さん、2019年に死去 有吉弘行がラジオで触れていた。元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんが、2019年に死去と分かった。有吉弘行は公表前の1月26日のラジオで、「お2人ともお亡くなりに…」と言及。訃報を知ったリスナーからは、「本当んだ…」などの声が上がっているだって!
— 気になるにゅーすBOT (@twtorendo) February 27, 2020
2020年2月26日に公式発表された元フォークダンスde成子坂桶田敬太郎の死去ですが、実は約1ヶ月前に有吉弘行が自身のラジオ番組「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」で、桶田敬太郎の死去について触れていました。ラジオを聞いていたリスナーが驚いてネットを検索したものの、該当する情報が無かったため他の人と間違っているのでは?と言われていました。
しかし今回所属事務所によって桶田敬太郎の死去が公表されたことにより、有吉弘行のラジオのリスナーからは、やっぱり有吉が言ってたことは本当だったんだ、本当に悲しいと驚きの声が聞かれています。
若すぎる桶田敬太郎の死にご冥福をお祈りします
二人とも亡くなるとは、寂しいもんだな。ボキャブラ時代人気あったよね?
— みっふぃまにあ (@miffymania0403) February 27, 2020
「訃報:「フォークダンスde成子坂」元メンバー桶田敬太郎さんの死去が判明」 https://t.co/sNXTDe11mb
今回は1990年代に一世を風靡したボキャブラ天国でも大人気であった元フォークダンスde成子坂の桶田敬太郎について、昨年11月に死去していたことをご紹介しました。桶田敬太郎は芸人仲間から天才と言われるほど才能にあふれる人物でしたが、残念ながらブレイクすることなく芸人を引退し構成作家として活動していました。
そんな桶田敬太郎が、48歳という若さで亡くなったのはとても残念でなりません。死因は不明ですが、おそらく療養中の病気が原因で亡くなったのでしょう。若すぎる桶田敬太郎の死にご冥福をお祈りします。